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❁人生を変えるきっかけ~What brought you to go abroad?~

Hi, how are you doing?

こんにちは、Akariです!
いかがお過ごしでしょうか?

今回は私が海外留学を目指すきっかけとなった出来事を
お話しできたらと思います。



1999年、ど田舎に生まれた一人っ子の私。

幼少期は
本当に人見知りで
親離れができず


一人で何かをするということが
不安で仕方なく
家族以外の他人と話すことすらさえも
恥ずかしい人間でした

なので学生時代は
一度も発言をしたことがなく
先生や
目上の人と話すことでさえも
できれば避けたいと思いながら
生きていました

しかし
日本の教育というのは
個性を出すというのは
あまり求められることはなく

自分に自信がなく
発言嫌いの私が
これだけはと思いしていたことと言えば

課題提出
授業態度
テストの点数の確保

そこで通知表の数字を稼ぐしかなかったのです



全ての教科の中でも
特に得意意識を持っていたのは

『 英語 』


だったのです



私の英語との出会いは小学校の頃でした


友人に誘われて
小学校低学年の頃から
ネイティブ講師が自宅で行っている英語塾に
通っていました

学校終わりに
週1回、先生の自宅に行って
生徒4人と先生1人
アットホームな雰囲気で

英語の歌を歌ったり
ボードゲームをしたり
その時の環境がとても心地よかったのが
思い出に残っています

小学校高学年になると
洋楽のアルバムを買って聴いたり
海外ドラマや洋画を観たりして
英語圏の文化に
興味を持つようになっていました

ただ周りに洋楽好きな友達はとてもおらず、、
共有できないまま一人でヲタ活をしていました笑

小学生の頃は他に
ダンス、水泳、珠算も習っていました


ピアノも近所の先生に教わっていたけど
集中力が長続きしない私は
すぐに辞めてしまいました笑


そう思えば、
私は環境に恵まれていて
やりたい事をやらせてくれた
両親に本当に感謝しています。




その後中学、高校時代と
人見知りを克服できるすることはできず

とにかく個性を押し殺して
友人の顔色や世間体を気にして
生きてきたのでした



高校卒業後は進学せず
介護福祉士として介護施設で働き始めました

18歳で社会人になった私は
様々な年代の方と働いたり
入居者やその家族にサービスを提供する上で
コミュニケーションが不可欠だということを知り

それまで初対面の方と会話をするのは苦手でしたが
面会に来てくださる家族や
意思疎通が可能な入居者の方との
心の距離を縮めるために
徐々に人見知りを克服していきました


2021年
社会人5年目の私は、
コロナ禍での入居者対応や
人手不足の慢性化
業務上での責任感の増加
人間関係など、、、

諸々のストレスから
仕事に行く意欲が湧かなくなってしまい
適応障害の診断を受け
2週間ほどお休みを頂くことに

その際に知り合いのいる宮崎を訪ね
自分のこれまでとこれからの人生を見直しました

それまで多忙で
有休もましてや
公休も取れていなかった私は
一度、仕事から離れたことによって
自分のことについて考えることが
どれだけ大切か
気づくことができました


宮崎という場所が
私にとって必要なことを
教えてくれました

Love Yourself💓

=自分を愛すること
=自分の本心に従って行動すること
=自分の軸を持って生きること



私には昔から叶えたかった夢がありました
それは
海外留学に行って
外の世界の文化に触れること

幼少期から
英語が好きだったり
海外の文化に興味があった私は
学生時代、留学を夢に見ていました

高校卒業後、
志望すれば国際学科等の大学に進学できたはず

けれどその頃の私は
高校で福祉を専攻して資格を取ったのに
その後、全く別のジャンルの道に進むのはおかしいし

私みたいな勉強もできない人間が行けるわけない

と自分の中にブレーキをかけていました


とはいえ
やはりその夢を諦めきれず
2019年から
留学エージェントに相談したり
留学に関する情報を収集し始めました

ところが
コロナ禍もあり
国境が閉鎖

行きたくても行けない状況に、、



2021年12月
仕事復帰し
新卒で5年働いた職場の上司に
退職届を提出し

2022年2月一杯で
退職する旨を伝えました

上司に退職理由を聞かれた私は

『留学に行きます。』

と答えました

すると上司も
『いいじゃん。まだ若いから、色々経験してみるといいよ』

思っていたよりすんなり辞めることができて
びっくりしました

その時に周りに
留学に行くことを公表したことで
背中を押してくれる人がたくさんいて

留学エージェントとの
Zoomでの打ち合わせで
ビザ申請、必要書類の手配
その他諸々、気の遠くなるような準備を
急ピッチで進めていきました

その頃には
適応障害の症状もすっかり改善し

お世話になった方々に
お別れの挨拶をし

2022年7月
オーストラリア、シドニーに渡航しました




私の人生を変えるきっかけ

仕事で心がズタボロになり
限界を迎え
宮崎に行って
自分を内観する時間を設け
自分の軸を明確にできたことでしょうか

それまでは辛い道のりだったとしても
夢を叶えるためには
全て必要な経験だったなと
今は心から感じます


渡航してから、1年半が経ちます
今日は休日で
シドニーのカフェで
この記事を書いています

今の夢は
日本にいた時
留学すると決めた時に
背中を押してくれた人に
恩返しできるような人になることです


これまで読んでくださりありがとうございました!

Thank you for reading!
Have a good one:)

Akari






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