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映画「JOKER」レビュー感想【社会から見捨てられた男の喜劇】

あらすじ

舞台はゴッサム・シティ。

大都市でありながらも、財政の悪化により街には失業者や犯罪者があふれ、貧富の差は大きくなるばかり。

そんな荒廃した街に住む道化師、アーサーは、派遣ピエロとしてわずかな金を稼ぎながら、年老いた母親ペニーとつつましい生活を送っていた。

彼は緊張すると発作的に笑い出してしまう病気のため定期的にカウンセリングを受け、大量の精神安定剤を手放せない自身の現状に苦しんでいる。

しかしアーサーには一流のコメディアンになるという夢があった。

ネタを思いつけばノートに書き記し、尊敬する芸人マレーが司会を務めるトークショーが始まれば彼の横で脚光を浴びる自分の姿を夢想する。

(Wikiより一部引用)

テーマ

この作品は、強者に優しく弱者に厳しい今の世の中に対するアンチテーゼのように思える作品だ。

主人公はお金もなく、余裕のない生活、また当然笑いだしてしまうという病気のせいで実生活ではトラブルばかり。

誰もが自分のことをゴミクズのように扱い、社会から見捨てられた男アーサー。

そんな男による社会への復讐が本作品の主題であり最大の見どころ。

この資本主義社会では、自分で彫った利益はすべて自分で独占できる、いわば弱肉強食の世界で、私たちはそれを社会の常識であり、平等で公平なルールだと感じている。

しかし、アーサーのように、自分の努力では変えられようもない現実に立たされている人間は確かに存在する。

そのような人間は社会の仕組みに頼るしかなくなる。

だがそうはいっても、社会が必ず助けてくれるかというと、そううまくいかないのが世の現実。

アーサーはそんな現実に苦しみ、抗い続ける。思い悩んだ末に、彼はピエロの化粧をして道化を演じることで、どうしようもない現実から逃げていたように感じる。

良かった点

震えるほどのアーサーの狂気

まず言いたいのは、ホアキン・フェニックス演じるアーサー役のあふれる狂気が凄まじい。

本作ではアーサーの顔のアップがしばしば映し出されるのだが、その時のアーサーの表情管理が完璧すぎる。

笑いの表情のなかに隠れた悲壮感。殺した相手の返り血を浴びた顔面から漂う狂気のオーラ。

アーサーというキャラクターが鮮明に描写されていて、嫌でも感情移入ができた。

間の管理

ここまで感情移入ができるのは、おそらく”間”の管理ができていたからだと思う。

セリフが何もない時間が多かったのが印象的だが、逆にそれがアーサーという男の性格、心情を際立たせていた。

悪かった点

彼女(?)との関係性が謎

一つだけ悪い点を上げるとするのなら、隣人の女性がアーサーにとって何者だったのかがずっと疑問だ。

恋人なのかもよくわからなかったし、関係性がわからないまま終わってしまったので、それだけが心残り。

また、アーサーの家族についても理解が曖昧だったので、気になったのはそこだけ。

笑ってほしいけどバカにされたくない

アーサーの夢はコメディアンであり、人を笑わせたかった。

しかし、自分の思うように人を笑わせることはできなかった。

自分が笑われるのはいつも、病気の発作が出た時だけ。

そしてアーサーもまた、人と笑いのツボがズレていた

笑いは人の主観であり、それだけでなく、正義と悪の定義も人それぞれの主観。

この善悪についても後半で言及されることだが、私たちは常に社会的弱者に対して「その人自身の問題であり、社会や私達とは関係ない」と安全な場所から石を投げる。

資本主義社会に生き、社会的弱者には目もくれない私たち現代人に対して、深く刺さる作品でもあった。

普通の人のフリをしろ

出る杭は打たれる世の中。

障害を持っている人間は健常者と区別され、時には差別され...。

普通の人と違う人間は目立つし、少数の人種に多数の人間が石を投げるのは昔から変わっていない。

それはアーサーも同じで、彼はバスや電車の中でも突然笑い出し、トラブルに巻き込まれていた。

その度に「普通の人を演じよう」としていたが、彼の精神はとうに限界を迎えており、虐げられてばかりの人生に嫌気が差していたのだ。

【ネタバレあり】かまってほしい

アーサーは幼少期から父親にも見捨てられ、良くない家庭環境で育ったのだろう。

母親との二人暮らしで、アーサー自身の体型はひどくやせ細っており歪な感じがする。

まともな環境で育ってなかったアーサーは、寂しかったのだろう。

実際、自分を見捨てたウェイン市長に対しては、「俺が欲しかったのはぬくもりとハグなんだよ!パパ!!」と叫んだ。

子供のまま大人になったせいで、心の拠り所もなく不安定な精神のまま過ごしてきたからこそ、殺人に手を染め、歪んだ人格が形成されてしまったのだと思う。

【ネタバレあり】善悪

アーサーは3人のエリート証券マンを殺し、そのことをマレーのテレビ番組で打ち明けるのだが、その時にアーサーは「あのエリート3人には同情するくせに、俺のことは見向きもせずにゴミのように踏みつける!」と言った。

確かに殺人は許されることではないと思うが、それと同時にアーサーの気持ちや動機も知らずに軽々しく一方的に叩くのも違う気がする。

実際、アーサーは最初は病気の発作が出ただけで、殺した3人に対しては何もしていない。

絡んできて暴力を振るったのは3人の方で、それに対する抵抗手段として拳銃を抜いた(ちょっとやりすぎなようにも感じるが…)。

私たちはニュースなどで殺人事件の犯人に対して悪いイメージばかりをいだき、思考停止で「こいつは悪だ!」と判断する。

何度も言うように殺人は到底許されるべき行為ではないが、その犯人の育った環境、動機に目を向け、その犯人の立場にたって考えることも必要ではないだろうか。

総評

本作品は、今を生きる私たちに与えるメッセージ性が強い作品で、今の社会構造について考えさせられるものが多かった。

また、映画の予告映像でもあったように、顔を白塗りにしてして路上で奇妙な踊りをする彼には不思議とカッコよさを感じてまった自分がいる。

頭はイカれているが、その狂気に魅せられたのだ。

社会ではボロ雑巾のように扱われた男がどんな最後を迎え、またそのときに何を思うかは、実際に観て確認してほしい。

※本記事で使用した画像は公式サイト(https://www.warnerbros.com/movies/joker)から引用したものです。

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