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ボードゲームのルールを誤解してしまうと(Getting the rules wrong)

本記事は、Anthony Faber氏が2023年2月26日に投稿した「Getting the rules wrong」の翻訳である。

ボードゲームのルールを誤解してプレイすることがある。特に、重量級のゲームだと、ルール抜けや処理忘れといったことは避け難く、最初からルールブックに記載されたルールでプレイすることは諦めてしまうことがよくある。

こういった現象は悪い体験をもたらすことにつながる。そして、それは不可逆的なものだ。そういうことを話した短いエッセイとなる。

元記事は以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリー機能を利用させていただいた。

もし、ルールを誤って理解することや、それがゲーム体験にいかなる影響を与えるかに関する説教くさい文章を読むよりも、口頭での議論を聞きたいのであれば、ポッドキャスト「Two Wood for a Wheat」での私たちの会話を聞いてくれ。

特定のゲームの熱狂的なファンが、コメント欄での否定的なレビューに対して、そのレビュアーが間違ったルールでプレイしているなどと主張して反応しているのを見ると、いつもおかしくなってしまうよね。他の誰かが自分の意見に賛成してくれるかどうかを必死に気にする姿は、ばかばかしいほど人間らしい。特に私たちみたいなゲームオタクにとってはね。

ただ、実をというと、そいつらが正しいかもしれないよね。レビュアーが不愉快なことをしたというわけじゃない。私たちは常に間違ってプレイしているということなんだ。ミスは、氷山の一角のようだ。つまり、時々、ルールを忘れたり誤解したりすることがわかっていても、大体気づいたミス1つにつき見落としていることが3つはあるということを無視する。

このことは、ボードゲームに対してエピキュロス的なアプローチをとる人たち、つまり、限られた数のゲームを何回も遊ぶよりもあらゆるゲームをつまみ食いする(sampling)ような人たちに特有ではあって、それは必然的にレビュアーを含む集団となる。人生の半分をルールブックを読むのに費やしているので、流し読みを身につけ、動画を見て、他者から学ぶ。目を細めて小さな活字を見るための大量の時間を短縮化するためのあらゆることを行う。物事を見逃すことは、別に驚くことはない。

クレジット: Dan Hallagan

間違ったルールで遊んだボードゲーム レビュアーが振り返って、もう一度ゲームをプレイし、完全に異なる意見をもって戻ってきたことなんてあるだろうか。ほとんどないわな。ルールミスに基づくネガティブな体験の後に、改めてゲームをプレイすることで違いが生じるはずだけど、そんなことはないみたいだ。最近、初めて「Obsession」をプレイした。そして、その後、ポッドキャストの共同ホストと連絡をとって、一緒にレビューしてくれないか聞いたんだよ。このゲームには、大好きなところがたくさんあったし、それ以上に大嫌いなところがあったんで、面白いレビューが生まれると思ったんだ。彼(※共同ホスト)は一回プレイしたことがあって、すごい不愉快な経験をしたということを話してくれた。

もっと深く探ってみると、彼にインストした人が根本的なメカニズムを省いていたことに気付いたんだ。「Obsession」は、「コンコルディア」といったカードがなくなるまでアクションを行うためにカードを出し続けて、その後、カードを手札に戻すアクションを行うことでもう一度カードを出すことができるゲームに似ている。私の友人は、回収のアクションを教えられていなかった。つまり、彼がカードを使い果たしてしまうと、その残りのゲームにおいてアクションを行えなくなっていた。これは、ゲームが言葉どおりプレイ不可能になったという極端な例ではある。この経験は、彼がこのゲームのそばに近寄りたくなくなるほどネガティブなものだった。たとえ、ひどいインストが彼の不幸の原因だとわかっていたとしてもね。

そして、こういったことは、私たちのほとんどすべてにとって当てはまる。ひどい体験が、永遠に私たちのものの見方を歪めてしまう(stains)。ルールミスがレビューに影響を与えた後に、レビュアーが振り返ってゲームをリプレイするという稀な場合においても、彼らは、そうだとしてもこのゲームが嫌いだと必ず言っていることに気づく。単純に、彼らは他の理由を思い付くだけなんだ。

はっきり言っておくが、私は、誰も批判していない。レビュアーを批判していないし、当然、私の共同ホストのことも批判していない。私たちの脳は、第一印象が真実であり続けるように設定されている(are wired)だけだ。特に、第一印象が非常にネガティブなものだった場合には。これは、生存するためのメカニズムといっていい。

クレジット: W. Eric Martin

私がこのバイアス以上のことを主張していると思われないように、最も激しく嫌っているゲームについて検討した。思ったとおり、初めてのプレイでひどい体験をして、私の見解に影響を与えたことが多かった。唯一、「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」において、5人戦だったけど、5時間に及ぶひどい惨状で、最初の2時間が経過したら自分の喉を切り裂きたくなったよ。そんで、間違ったルールでプレイしていたんだろう。「スペースベース」をプレイした唯一の時間は、混雑していた誰もが使用できるフードコートで、ひどい頭痛が生じていて、ゲームが3時間かかったんだった(どうしてそうなったかは聞かないでくれ。)。私は、この2つのゲームをもう一度プレイするのは拒否するし、誰かが提案したら狂ってしまうよ。たとえ、自分の体験のゲームそれ自体とはほとんど関係がないと客観的にわかっていたとしてもだ。それは重要なことではない。そういったことを考えるだけで、嫌な気持ちになるんだよね。

1回の悪い経験の後にそれを避けるようになってしまう、ひとまとめにされている多くの異なる人間のバイアスというのが存在する。ネガティビティバイアスがその1つだし、名前はどうあれ、現象の全体よりも、1つの特定の結果を過度に着目してしまうものだ。

こういった理由で、ルール間違いの話からバイアスに関する話をしたんだ。間違ったルールでプレイすることで、1回きりのことだったとしても、永久にゲームを見限ってしまうことが多くある。間違ったルールがその問題の原因だと気付いていたとしてもね。重ねていうけど、ミス1つを発見するたびに、発見していないミスが3つ以上あるだろうさ。間違ったルールでプレイしたことに基づいて、ゲームの評価をしたことが何回あるだろうか。そして、そのことに私たちは気づいてすらいなかったことが何回あっただろうか。おそらくかなりあったはずだ。

こうしたことが、あまり真剣にゲームに関する意見を受け止めない理由の1つとなる。自分自身や他の誰かのものを含めてね。それに、みんなに振り返ってもらって、もう一度好きでもないゲームを試してみることを推奨しているわけじゃない。世の中には他に素晴らしいゲームなんて多くあるし、自分自身のバイアスと戦うなんて惨めな話だよね。

これが今日の暴言だ。みんなはどうかな。主要なルールを誤解して、その結果、ゲームの評価に劇的な影響が与えられたのはいつのことかな。間違ったルールの方が好きで、正しいルールのゲームだとあんまり好きじゃないってことは今まで何回あったかな。コメント欄で教えてくれよな。

以上

※Anthony Faber氏の記事としては、他に以下のものがある。

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