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そうだ。「倫理」や「哲学」の話をしよう①。

「倫理」「哲学」
その単語を聞いても、私は何も思い浮かばない。
大学の教養科目で「哲学」があったような気もするが、そこでハイデガーという人の名前を聞いたような気もするが、記憶は定かではない。

でも、私は何とか生活できている。
「倫理」や「哲学」を知らなくても、社会で普通に生きていける。
では、現代においては「倫理」や「哲学」は不要なのか?
そもそも、「倫理」や「哲学」とは何のための学問なのか?

「ここは今から倫理です。」(天瀬シオリ)
という漫画をご存じだろうか。
私は、この漫画の絵が気になって、漫画アプリで読み始めた。

まだ途中ではあるが、読むと、何か、心が落ち着く。
素敵な言葉が描かれているという効果もあるだろうが、
その内容が、不安定な自分の心を少し、安定させてくれるような気がする。

悩んで当たり前。
不安で当たり前。

そんな言葉は描かれていないが、昔の偉人達が、現代の悩める人々にそっと話しかけているようだ。

「倫理」や「哲学」って、必要なのでは?
と思えてくる。

「倫理は、学ばなくても将来困ることはほぼ無い学問です。地理や歴史の様に生活する上で触れる事は多くないし、数学の様な汎用性も、英語の様な実用性もありません。この授業で得た知識が役に立つ仕事は、ほぼ無い。この知識がよく役に立つ場面があるとすればー」
「死が近づいた時とか」

漫画の中で、高柳先生は、最初の授業で言う。
「別に知らなくてもいいけれど、知っておいた方がいい気はしませんか?」


日本は、若者の自殺率が高いと言われている。
若者は、学校や友達の世界が全てのような感覚をもつ。
そこで起きる辛い出来事は、逃げ道のない、耐えることができない、大きな苦難であるように感じてしまう。
大人にとっては、「そんなこと」「その程度」と思えることが、若者にとっては「死をも考える重大な出来事」なのだ。
日本の若者は、世界の中でも、過酷な状況におかれているのではないか?

漫画の中で、高柳先生は、どんな事件にも真剣になる。生徒に問う。生徒との会話を積み重ねる。決して、先生である自分の判断が正しいとは言わない。生徒が自ら考えることのみを奨励する。


もし、日本の教育が、中学校か高校で、「倫理」「哲学」を「国語」や「社会」と同レベルの科目として取り扱っていたのなら、
もしかして、

今の学校におけるいじめ問題はもっと少なく、企業におけるパワハラもいじめも少なく、自殺する人も少なく、人々がもっと幸せを感じられる社会になっていたかもしれない。

この漫画を読むと、そう思わずにはいられない。


人は、大人になって自らが生活していく為に、学校に行き「国語」「算数」「理科」「社会」を学ぶ。
ロボットの様に、会社の歯車として働くのみであれば、それで足りるだろう。
でも、何のために働くのか、何のために生きるのか、幸せとは?
それを考えるには、「国語算数理科社会」だけでは足りない。

学校が教えてくれない大事なことは沢山ある。
その中の一つが、「倫理」「哲学」だと思った。


(しかし、国が「倫理」「哲学」という言葉を使う時、それは国にとって都合の良い「倫理」「哲学」の押し付けとなる危険があるから注意が必要である。国が国民を支配する為に使う「愛国心」と同じである。)

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