『Beep21』お試し記事パック④ 古代祐三が訊く! セガサウンドの秘密【第1回 】前編 セガ・川口博史(Hiro師匠)インタビュー(聞き手・古代祐三/文・鶴見六百)
※本記事は『Beep21』で人気のあった記事を「お試し版」として無料で読めるものです。
▼『Beep21』が初めてという方は、こちらの『Beep21』2021〜2022年分 超全部入りお得パックがオススメです!(※ご購入いただくと2021〜2022年に刊行された創刊1号・2号・3号・メガドライブミニ2臨時増刊号すべての記事を読むことができます!)
▼2023年以降の『Beep21』を一番手軽に読むことができるのはこちらのサブスク版(※下の「2023年間購読版」もかなりお得でオススメです)。
▼「2023年間購読版」は2023年の記事を読むのに一番お得です。
古代祐三が「自分が読者だったら読みたい」記事
──それではよろしくお願いします。
Hiro 対談ではなくインタビューなの?
古代 ええ。当初は私のコラムはどうか、という打診を(編集部から)受けていたんですけど、今まででだいたいネタは出し尽くしてしまっていまして(苦笑)。なので自分が読みたいものだったら面白いんじゃないかな、と。それで真っ先に頭に浮かんだのが、Hiro師匠。どうやって曲を作っていたのかとか、今まで想像はしていたのですが、実はあんまりお訊きしたことがないので。
──古代さんが、「自分が読者だったら、ここまで突っ込んだインタビューを読みたい」という、そんな内容をお聞かせいただくことになるかと思います。特に今回は、Hiro師匠の長いキャリアの中でも、ハングオンからアフターバーナー辺りまでにフォーカスして、深~くお願いできればと。
Hiro なるほど。
古代 本当は直接お会いしてと思ったのですけど、コロナでこういう状況になってしまったので、遠隔会議になってしまいました。
──ではまず、これを読んでいる読者を「あの頃」にお連れするためにも、当時の開発環境からお伺いしたいと思います。
古代 開発機材はどんなものをお使いだったんですか?
Hiro よく覚えていないけれど、入社当時のPC本体はHP(ヒューレット・パッカード社のワークステーション端末)だったような気もするけど、違うかもしれない。CP/M(※1)で動いていたのは覚えている。当時は4人で1台の開発用端末を使っていた。
イメージがつかないかもしれないけど、「曲作りました」、「プログラムのフローチャート作りました」、で「打ち込みます」という段階になってやっと、その端末の前に行って打ち込んで。で、デバッグしてまた自分の席に戻って考える。それで1台を4人で使う。こういう開発環境だった。すご腕のプログラマーの人は1人1台与えられてた。そういう時代。
古代 サウンドプログラムって、ドライバーも全部込みでってことですか?
Hiro いや、自分がセガに入社した時は、プログラマーとして入ったけど、サウンドのプログラムじゃなくて、ゲームのプログラムをやってた。
古代 あぁ、そうなんですか。ゲームのプログラム自体をやって、サウンドは一切ノータッチ?
Hiro ノータッチというか、ガールズガーデンのときに林君(※2)へ「こんな曲作って」ってオーダー的なことはやっていたけど、サウンドドライバーはその時は作ってない。サウンドドライバーはサウンドの人が作るという文化があって。だからプログラマーはもう、サウンドドライバーでここにリクエストナンバーを書いてくださいっていうアドレスを知っているだけ。
古代 なるほど、昔のやり方ですね。
Hiro もう分かれてる(分業になっている)。
古代 それでセガに入られて、プログラムは何年間ぐらいやられたんですか?
Hiro 「チャンピオンサッカー」(※3)っていうSG-1000用ゲームのプログラムが最後だと思う。アーケードのゲームプログラムはやってない。ハングオンのときはまだだったけど、「曲を書いてよ」と(鈴木)裕さんに言われて曲だけ書いた。
古代 ハングオンは1985年だから、84年にはもうサウンドの仕事には入られていたんですね?
Hiro いや、俺、84年入社だから。
古代 えぇ? ものすごく短い間にいろいろやられていたということですか?
Hiro そうだね。
※Hiro師匠のツイートから。「8インチ・フロッピーディスク」が強烈に時代を感じさせます。
師匠の「マイコン少年」時代
──セガでのキャリアをプログラマーからスタートしたということですが、元々プログラムの知識があったということなんでしょうか?
古代 Hiro師匠、先日ツイートしてたじゃないですか。『I/O(アイオー)』(※4)に自作ゲームを投稿していたって。
Hiro 『I/O』とか『マイコンゲームの本』(※5)と、3誌ぐらい(に投稿していた)。
古代 セガに入られる前ですか?
Hiro そうそうそう。中学校か高校の頃。
古代 パソコンは親に買ってもらったとか?
Hiro 自分で小遣いをためて。
古代 え、中高生で?
Hiro そうそうそう。でも今考えるとどこにそんな金があったんだろう。すごく不思議なんだけど、自分の小遣いとお年玉を貯めて買ったんだよな。
古代 当時めちゃくちゃ高かったですよね。
Hiro 俺が買ったのはコモドールのVIC-1001(※6)ってやつで。本体が69,800円。
古代 当時の69,800円は高いですよね。
Hiro それとモニターと、データをテープで録音するためのカセットテープレコーダーと、あともろもろで10万近くかかってる。俺どうやって買ったんだろう? 自分で貯めたお金で買ったというイメージはすごくあるのよ。
古代 ご立派ですね。
Hiro すごく大切に使いましたけど。でもその経験があったからセガに入ったのかな、と。
古代 当時のセガの応募って、どんな感じだったんですか。プログラマーとして入る時。ぼくらの時代だと、作ったプログラムを提出しなさいとかありましたけど…。
Hiro プログラムは見せてないけど、雑誌に載って、いくらか印税もらいました的なことは話したね。
古代 ああ、なるほど。
Hiro でもセガに来て面接受けた時は、サウンドをやりたいとは言った。「ゲームにサウンドをつける仕事をしたいです」と、猛烈にアピールして。こういうゲームも自分で作っていて、投稿もしています。で、BASIC(※7)も分かってたし、マシン語(※8)もできてたからアセンブラ(※9)もできますって言って。で、セガに入ったらプログラマーになってた。
古代 え、アセンブラはどうやって学ばれたんですか?
Hiro コモドール(VIC-1001)のCPUって6502(※10)なんだよ。でも、当時はZ80(※11)ぐらいしか(本や資料が)なくて。だから、とりあえず基本は同じだろうという仮定のもと、そのZ80の本を読んだ。で、マシン語の分厚い本が出てた中にほんの数ページだけ6502の説明があって。それと両方を見て、これはこうこうだから、こうだろうと。ゼロから学んだ感じでしたね。
※師匠はいまだに当時の資料をお持ちのようです。
古代 プログラム入力ツールみたいなものはあったんですか? アセンブラの。
Hiro アセンブラはないよ。ハンドアセンブラ(※12)だね。
古代 ハンドアセンブラ(笑)。
Hiro BASICはそれほど難しくないじゃん。で、BASICでプログラムを書く時にちゃんとフローチャートを書くようにしてたの。で、流れとかを把握できるようになってから、マシン語に入ったから、まだやりたい事のゴールは何となく分かったんだよね。でもハンドアセンブラは行番号とか無いでしょ? そこからもう分かんないんですよ。なんでこの数字だけのものが動くのか、理解するまでにかなり時間がかかった。でも面白かった。自分で分からないものを見つけて、どんどん進んでいく感じが。自分でできることが広がっていく感じがね。すごく面白かった。
古代 当時の面白さですよね。
Hiro だからその経験があるから、今は分からないことが見つかるとうれしいんだよ。
古代 今でもプログラムされたりすることってあるんですか?
Hiro プログラムではないけど、たとえば知らない音楽に出会うとか、このミックスどうやってるんだろうとか、あと最近だと、Bluetoothヘッドホンの遅延に関して自分で調べて、だんだん分かっていって。(知識が)広がっていくのは面白いっていうのは、あの当時自分で独学する楽しさを学んでいたからかな、というのはある。
「男の60回」
──話を伺っていると、Hiro師匠の「マイコン少年」っぷりが、ありありと目に浮かびますが、音楽の方はどうだったんでしょう?
Hiro 高校3年のとき、YAMAHAのDX7(※13)を発売日に予約して買った。
古代 ちなみにそれは、お金は?
Hiro ローンです。
古代 それはローンを自分で組んで?
Hiro そうそう。
古代 すげえ(笑)。
Hiro 「男の60回払い」って知らない?
──楽器雑誌の広告で、当時よく載っていましたね。60回ローン。
Hiro あれです、あれ。(結果的に)倍くらい支払っている気がするんだけど、コンピューターが好きだったこともあって、DX7というマシンはすごく未来だったの。これはもう買うしかない!と思って、発表されてすぐ予約して。
DX7は今までと違って、FM音源というか…モジュレーションとキャリアという概念じゃない? 「なんだろう?これは?」から始まって(笑)。でもそこは、プログラムを独学で覚えていったような、そんな楽しみがあった。マニュアルの1~2ページ目に「FM音源とは?」って書かれているんだけど、そこを100回くらい読んだ。
古代 (驚嘆)。
Hiro 最初は「なんでサイン波の音色変わるの?」って。そもそも「サイン波って何?」から始まってる(笑)。
古代 アナログシンセは?
Hiro アナログシンセは兄が持っていて、いじってはいた。
古代 機種は何だったのでしょう?
Hiro …なんとか10と、なんとか30…。CS10かな…?
古代 CSかPSRくらいしかないですね。
Hiro 黒いやつでココが斜めになっているやつで…。
古代 ああ、CSですね。
Hiro 高いほうは内部シーケンサーが8音くらい…。
古代 YAMAHAのCS10(※14)ですね。
Hiro で、まあそういうのはいじっていたので、シンセサイザーっていうのはなんとなく分かっていたんですが、FM音源ってのがまったく分からなくて。でもそこに未来を感じたんですよ。小さい2行だけの窓(液晶ディスプレイ)があるじゃない? あそこだけで音色を作るっていうのがすごく面白くて。それでFM音源を理解していって、曲音色を作ってた。その経験があったから、アウトランに積まれた音源がYAMAHAのYM2151(※15)だったじゃない? 「あ! これなら自分で音色も作れる!」と思って。
一同 (うなずく)。
師匠が聴いていた曲、聴いてきた曲
──さて、いよいよ本格的に音楽の話となってきました。
あらかじめ古代さんから師匠に、「当時よく聴いていたアーティストは何か?」という質問を投げさせていただいています。「当時」というのは、ハングオンからアフターバーナー辺りまでの制作当時、ということですね。その回答がこちらになりますので、これを見ながら続けていただきましょう。
古代 フュージョン系が非常に多いという。
Hiro そうですね。日本の曲はあんまり聴いていなかった。この頃は。
古代 カシオペア(※16)と高中(正義)(※17)と松岡直也(※18)は…。
Hiro そこら辺は日本か。フュージョンは日本ですね。
古代 あとは、おおむね洋楽ですね。
ちょっと思ったんですけど、歌謡曲なんか特に当時は割と全盛で、聴きたくなくても耳に入ってくるじゃないですか。テレビをオンにしていると。あんまり意識して聴かなかったんですか?
Hiro ほとんど聴いてないかな。ザ・ベストテンとか2、3回しか観てないし。
一同 (驚き)。
Hiro テレビを見てなかった気がするな、あんまり。小中学生の頃は見てたけど。会社入ってからはテレビなかったしね。
古代 会社の寮には、テレビがなかった?
Hiro 食堂にはあったけど、自分の部屋にはなくて。84年に会社に入社した頃はほとんど会社にいたから。会社に寝泊まりしてた。そういう時代だったから、あんまり日本の曲は聴いてなかったかな。フュージョンのコピーバンドをやる時に日本のバンドを聴いた…ぐらいかな。
あ、でもその前は聴いてた。中学生の頃のフォークソングは聴いてた。
古代 あー、フォークソングの時代ですねー。
Hiro フォークソングは自分でフォークギターを弾きながら(曲を)書いてたよ。
古代 ほぉ! じゃあその頃から、作曲とかは独学で?
Hiro うん、独学だね。最初はコピーから入って、(後には)自分で歌モノの曲を作ったんだよね。どんな曲だったか全然覚えてないんだけど。だから、そこでなんか曲を作る、作曲をするという経験はあったんだろうなと。
古代 じゃあ、ピアノとかは習われてなかったんですか?
Hiro 全然習ってないね。小学校4年か3年の時に「猫ふんじゃった」を音楽の実習生に教わって、やったぐらいだね。
古代 すごいですね。完全に作曲も独学で、プログラムも独学ですもんね。まあプログラムは当時は独学じゃないとどうにもならない時代でしたけど。
Hiro ギターも独学で最初、F(コード)とか弾けなかったからね。
フュージョンの影響
──師匠といえば一般的にも「フュージョンの影響を受けている」という印象があるわけですが…。
古代 Hiro師匠には何度も言ってるんですけど、(自分は)スペースハリアーにむちゃくちゃハマって、当時は音楽ジャンルにも詳しくなかったんで、そんなにフュージョンの影響があるとか思わなかったんですけど、あとになってから、「あ、これ絶対フュージョンだな」と。
「(Hiro師匠は)結構、高中好きなんじゃないかな」と思ったのが、アウトランを聴いたときです。私、中学の時にめちゃくちゃ高中にハマって、高中ばっかり聴いていた時期があって。それでアウトランの曲を聴いて、共通項というかシンパシ―というか、そういうものを感じたことがあったので。これ絶対Hiro師匠は聴いてただろうな、と。近年のインタビューでも(高中の)名前を出されていたことがあったんで、「あ、やっぱりな」って思ったんですけど、やっぱり(高中は)聴かれてました?
Hiro アルバムはほぼ全部。最後の方でボーカル曲出したじゃん…それ以前まで全部聴いてたよ。
古代 あー、私が聴いていたのは『虹伝説』(※19)ぐらいまでなんですけど、当時たぶん一番表に出てた頃ですよね。あのスーパーライブとかやってた。
Hiro 聴いた聴いた。ライブも2回ぐらい行ったもん。
古代 あぁ、行かれました?
Hiro 湘南のプールサイドかなんかでやったやつ。
古代 横浜スタジアムとかでも、よくやってたんですよね。すごいですよね、ギターのインストをスタジアムでやれるって。
Hiro メロがすごく洗練されていていいじゃない。
古代 フュージョンってカシオペアとかいろいろあって、当時私も聴いてたんですけど、やっぱり高中がブッチギリで好きで。なんでかっていうと、メロとコードワークが一番洗練されてるというか。
Hiro 分かりやすい。伝わりやすい
古代 そうなんですよね。難解なところがあんまりないんですよね。それでさりげなく玄人技を入れてくるじゃないですか。
Hiro すごいことをやってるんだけど、すごいって見せないところがすごい。
古代 そうそう。そうなんです。そこがむちゃくちゃ良くて。今でも自分影響が強くて。その辺のスタンスというか、あんまり難しいことを難しく見せないっていうか。すごく憧れて聴いてたんで。
Hiro 聴いてた聴いてた。
(高中ではないけれど)最初に自分たちがバンドでカシオペアをやるとき、『ASAYAKE』(※20)をやろうってなったのね。それまでカシオペア知らなかった。で、ASAYAKEを聴いたら、「なんだろ、このリズムしかない曲は」ってなって。
古代 あー。
Hiro バンドでやるにあたって、仕方ないから、まずはテンション的なコード(※21)をそこで覚えていくわけ。で、弾いてると、「あ、コードのトップがメロになってたりする(※22)じゃない」(と気づいた)。それで、キメだったりリフだったり、だんだん…フュージョンの深いところが楽しくなってきて。だから、カシオペアを聴いたのは、自分の音楽的には良かった。
古代 松岡直也さんもインストで頑張られてた方ですよね。割と王道なインストなんだけど、ちょっとラテン系が入っているという。私、『ミ・アモーレ』(※23)すごく好きなんですけど、その曲を(松岡さんが)作られていたという事実を知りませんで。調べてビックリしたんですよ、「えー、そうだったんだ!」って。
Hiro あと、『ようこそ日曜島へ』(※24)とか。松岡直也ライブとかを聴いて、なるほどパーカッションとかベースを回すとカッコいいんだって、学んだ。
必聴盤『ベイクド・ポテト・スーパーライブ』
──フュージョン以外、師匠がよく聴かれていたアルバムは洋楽ばかりですね。
古代 洋楽はやっぱり当時ってソースが限られてたから、だいたい洋楽ファンが聴くものって一緒で。ボン・ジョヴィ(※25)とかヴァン・ヘイレン(※26)とかはみんなが聴いてたんで特に驚きはないんですけど…『ベイクド・ポテト・スーパーライブ』(※27)っていうのを私知らなくって、調べたら、洋楽では割と珍しいインストのライブ企画というか。
Hiro そうなんだよね、セッション企画というか。
古代 この辺がスペハリのルーツかなぁ?って、聴いてて思いました。
Hiro そうだね。あの曲は高校の時に一番聴いたアルバムだから、影響はすごく受けてるよ。
古代 今聴くと「ああ、素晴らしいな」って思いますね。
Hiro 今日(会社に)来るとき、電車の中でも聴いてた。
古代 素晴らしい、いいですね。たぶん当時中学生だった私が聴いたら違うかもしれないけど、今聴くと良さがすごく分かる。これはいいバンドだなって。曲のタイトルまでは分からないですけど、どれ聴いても良かったですね。
Hiro プロ中のプロだからね。
古代 当時ならではの、プロ中のプロですよね。
Hiro あのキーボードというかオルガン奏者の人(グレッグ・マティソン(※28))が曲作ってて、ギターのスティーヴ・ルカサー(※29)がいい味出してる。あのアルバムはとても聴きました。
古代 この当時に、ボーカルのいないバンドで、というのがすごいなと。
Hiro こういうロック調。
古代 ジャズでもなくて。
Hiro ロックでもないんだよね。なんだろ、メロがちゃんとしてて、それもむちゃくちゃうまくて。なかなかないよね。
古代 いや、ないですよね。あんまり他に記憶がないですね。
(自分の考えでは)当時のゲーム音楽って、フュージョンを聴いてきた人たちが各メーカーさんで曲を作られて、それの影響を受けたものがゲームで表面化してきて。それを聴いて「おぉ~」って感銘を受けたのが僕の世代。その原点がそこにあったなっていうか。なんかそういう感じを受けましたね。
Hiro 原点ですね。
古代 ああ、こういうものがあるんだ、って感動しちゃいました。聴いてて。
師匠の洋楽体験
──洋楽は昔から聴かれていたんですか?
Hiro 小学校の時は、FM(ラジオ)で海外の曲ばっかり聴いてた。
古代 どこのFMで? たぶん当時、J-WAVEとかないですよね。
Hiro どこのチャンネルかな。俺、千葉の銚子なんだけど、そこで入る局。
古代 あー、当時のFMって今ほど電波が強くないから、たぶんそんな遠くのは聴けないと思うんですよ。
Hiro 『FMレコバル』(※30)ってあったじゃない。たぶん(FMレコパルの)番組表に載ってたやつで、3チャンネルぐらいは聴けたのかな。(ラジオから曲が流れる時、アナウンサーに)「じゃあ、お聴きください」って言われたら、そこで録音を始めて。曲が良かったらそのまま録音して、嫌だったらそのまま巻き戻して…ってやってたんだ。
古代 じゃあベイクド・ポテト・スーパーライブもそれ(FM)で聴いた?
Hiro いや、それは友達に「このバンドすごいよ」って教わった。(FMは)バンドも曲名とかも気にせず、ただもうランダムに、カセットに曲を録音してただけだから。今聴くと、その曲の中には、ビートルズ(※31)とかポール・モーリア(※32)とか…『茶色の小瓶』で有名な、グレン・ミラー(※33)とか。グレン・ミラーとかはすんごい聴いてたんだ。あとは映画音楽とか。
古代 あー、やっぱりそうなんだ。さっき、「日本の歌謡曲は聴かなかったんですか?」と訊きましたけど、普通はテレビで聞こえてくる曲ばっかりじゃないですか。だけどHiro師匠の曲って、ポップさと、当時学生だった自分にはあんまり耳なじみのなかったフュージョン系の曲が感じられて、そういう(テレビで聞こえてくるような曲を)聴かれなかった、クールさというか、ブレンドされる感じがね、すごく良かったと思うんです。で、影響を受けられてきたアーティストさんを見てると、「あぁ、なるほどな」という感じはありますね。やっぱりどこかキャッチ―さが突き抜けている方が多いかな、と。
楽曲制作の秘訣
──ここまでで、Hiro師匠が影響を受けた音楽について語っていただきましたが、ではそれをどのように「自分の曲」としていったのか、その辺りについてお訊きできればと思います。
古代 (例えば自分の場合)当時よくやってたのは、いいなと思った曲をまず耳コピして。で、MTR(マルチトラックレコーダー)とかに打ち込んで、鳴らす、と。Hiro師匠の曲を一生懸命コピーしてました。スペハリの曲とかコピーして持っていったのって覚えてます?
Hiro 覚えているよ。学生の時でしょ?
古代 Hiro師匠は、当時いいなと思われたバンドを、どうやって分析して、自分の曲に昇華していったんですか。そのプロセスっていうのは?
Hiro 根本的に、耳コピは嫌い。というか苦手。今でもほぼできないから、すごく時間がかかる。
古代 (驚く)。
Hiro 自分で弾いたさっきの曲フレーズがもう再現できないから。
古代 えー、じゃあどうやったのかな、と。
Hiro コードとコード進行は中学生時代のフォークソングで覚えたのと、さっき言ったみたいにバンドでこの曲やろうとなるじゃない。すると譜面を買って譜面のコピーはするというか、まあ練習するじゃない。だから、それぐらいじゃないかな。
※Hiro師匠が所有しているバンドスコア
古代 (驚き)…たとえば(スペース)ハリアーのメロとか思いつくとするじゃないですか。メロ思いついても、すぐに楽譜に書きとめて?
Hiro いや、あの時はたぶんカセットテープだったと思う。カセットテープに録音する。
古代 自分で、もう弾く?
Hiro そうそうそう。
古代 コードもベースも一緒に弾いて?
Hiro 基本左手でベースを弾いて、右手でコード弾いて、右の小指がメロ的な感じ。だからフュージョンで覚えた、カシオペアで覚えたことがめちゃくちゃ生きてる。
古代 なるほど!
──先ほどおっしゃられていた、「コードのトップがメロ」というやつですね。
Hiro たぶん。そんな感じでやってた。
※師匠のアイデアスケッチが収録されたカセットテープ。
古代 なんていうんですかね。私もパソコンでHiro師匠の曲とか、作家さんの曲とかをいっぱいコピーしたんですけど、結構トライ&エラーというか、自分の曲を作るまでにものすごくコピーをしてるんですよ。たぶん1年間で100曲ぐらいコピーしてると思うんです。
だけど、今Hiro師匠の話を聞いてると、コピーをして研究・分析をしました、という形跡があんまり感じられないのが不思議だな、と。いきなりオリジナルのハングオンがあって、スペハリがあって。制作プロセスがあんまり分かんないんですよね。見えないというか。
Hiro 他の人の曲を聴いた時に「ここはいい」っていうところは、たぶん覚えてる。
古代 覚えてて。
Hiro すぐに再現はできないけれど、曲があったら、ぎゅーって(※手で握るジェスチャー)していって、「これ(※握りこぶしの部分)」は覚えてる。
古代 あー、はいはいはい。
Hiro なんとなくね。それは自分の引き出しに入ってる。で、別の曲のもぎゅーっとしたのが(同じように引き出しに)入ってて。で、なんか(曲)を自分で弾くじゃない。そん時に自分の引き出しが光った時は、好きな曲なの。
古代 ははは。そうですね。
Hiro で、自分の引き出しに自分の好きが溜まってる感じがするのが、大事なのかなという気がします。
古代 今だったら、たとえばCubase(※34)とかに書きためておいて、とりあえずセーブしておこうとかできるじゃないですか。好きなものを(自分の引き出しに)留めておく方法というのは、今ならいくらでもあるんですけど、当時はそれをするのが結構大変だったと思うんですよね。「譜面に残しておく」か「テレコに残しておく」か。
(疑問に思っているのは)今師匠に言ってもらったような漠然としたイメージよりも、楽曲の完成度が高いように思うんですよ。楽曲がすごくキッチリしているので、よほどの方法論とか、かなりコードプログレッション(コード進行)とかを研究されて、確固たる「これだ!」っていうものを、バーッと作っていったようなイメージを持ってたんですけど…。
Hiro いや、それはないかな。コード理論とか分かんないので。
古代 えー。それはビックリですね。
Hiro 3回ぐらいチャレンジしたけど、3回ぐらい挫折したから。今でもよく分からない。
古代 (笑)。えー、それでなんでアウトランができるんだって、逆に思っちゃいますよ。
アウトランとコード理論
Hiro アウトランの時は、コード理論というものがあることすら知らなかったからね。
古代 ええーっ(驚き)。それは私の理解だと、やっぱり(師匠の)耳がよかったんだなって思っちゃうんですよね。当時のゲームミュージックって、いいものも、悪いものも、いい意味で「まざり合ってる状態」だったんです。他のメーカーのも含めて。だけど師匠のは飛びぬけて完成度が高いんです。和声バランスやコードプログレッションがすごく美しいんですよ。だから、これは絶対「かなりやり込んでいる人なんだな」という印象しか持ってなかったんですよ。
Hiro けど、単に難しいことをしてないから、という気もする。
古代 いやいやいや。かなり、かなり、かなりすごいですよ。
Hiro MAGICAL SOUND SHOWERあるじゃない。あれを作ったあと、かなり後からサウンドに入ってきた人に、「あの簡単なコードでよくあの曲ができましたね」って言われて。
――ひどい。
Hiro バカにした訳じゃなくて、なんかすごいですねって言って。
古代 うんうんうん。
Hiro 自分の中では簡単なコード、難しいコードって事の概念さえ無かったから。はぁそうなんだ、と。
古代 7th(※35)ぐらいまでは使われてたかな?
Hiro そうだね。たぶん全部で5個くらいしかコード使ってないし。
古代 コードとしてはそうなんですけど、でも7thでも(構成音)4つ全部バーッって鳴らしてるわけじゃなくて、ベースとバッキングとメロディーのトップで上手く(コード感を)感じさせてる。たぶんコードはまったく意識してないんだと思うんですけど。やっぱバランスですよね。音の散り方っていうか。
Hiro 最近、自分の、MAGICAL SOUND SHOWERとか、アレンジするじゃない? …その時コピーっていうか耳コピっていうか…やり直すんです。
古代 (笑)。
Hiro で、そうするとコードではない、ちゃんと違うところのメロを取ったりとか。9th(※36)だったり。
古代 ああ、9th、入りますよね。はいはい。
Hiro そうなってるから、まあそれっぽく特徴があるのかなって。
古代 それっぽく聞こえるってやつですよね。はいはいはい。
Hiro なるほどって思って。昔の俺すげえって思った(笑)。
古代 (笑)。いや~、なんか分かります。知らないでやってると、そういう法則に縛られない凄みが出るというかね。
Hiro 自由だよね。それがいまだにあるので、音楽理論を知らなくてもいいのかなっていう…。最低限知ってれば。
古代 でも、まったく知らなかったっていうのは結構、衝撃でしたね。
Hiro まったく知らなかったです。まあ7thっていうコードがあるってのは知ってたし。C→C7に行くとFに行きやすい、ってぐらいは、法則としては知ってたけど。みんなそうやってるからね。
古代 私もイースまでは完全にコード無視とかやってて…でもすぐ限界感じてソーサリアンからコード勉強して。
Hiro へ~。
古代 ええ、一応徐々にやりはじめて。ソーサリアンくらいから9thとか7th意識して。ちょうどソーサリアン作ってた時…アウトラン、アフターバーナーの時期か。あの頃は、この人達のサウンド(アウトラン、アフターバーナー)に追いつくためには勉強しないといけない!とコードの勉強して。だから、結構衝撃ですよね。「アウトランが? ええええ!?」って感じです。
Hiro うん、まったく勉強はしてない。
古代 ええ。
Hiro ただ、アフターバーナーはさっき言ったボン・ジョヴィとか(を聴き込んだ)。
古代 ああ、分かります、分かります。
Hiro 曲を作る為に意識して聞いたのはそれくらい。そもそもロックとか知らなかったから。
古代 (笑)。
Hiro たぶん、一回も(ロックに)出会ってないんだよ。自分の中では。
古代 うん。でも自分はそう思ってました。ロック派の人じゃないのは。あのアフターバーナーもロックな形してるけど、やっぱフュージョンなんですよ。
Hiro そうだよね。
古代 で、今回「なんでだろうな?」って言う疑問が、ベイクド・ポテトを聞かせていただいて「ああ!」、エイジアとか聞いて「あああ!」と、謎解きの答えを貰ったみたいな感じです。バリバリロックじゃないなってのは分かりました。
Hiro そうだよね。まったくロックには関わってなかったからね。
古代 でもまたこれがね、結構、その独特の良さみたいなのがあるんで、ええ。それはそれで、すごくいいですよね。
Hiro そうだね。まあ独自性がそれで。
古代祐三の「研究」
──それにしても、古代さんは本当にHiro師匠の曲を細かく研究されていますね。音楽理論の分からない読者にも、師匠の曲が素晴らしいのと同様に、古代さんが細かく分析していることはよく分かるかなと思います。
古代 あの~何ていうんですかね…師匠の曲は、ベースとメロとリズムと、あとバッキングの割り当てがすごくスマートなんですよ。
私、パソコン音楽出身なんで…なんていうんですかね、ちょっと言い方キツいんですけどパソコンの黎明期って、どれもあんまり音源を使いこなせてないんですよ。たぶんプロのミュージシャンとかがやっても、和音数が少なすぎて、弾いたものが再現できなかったんですよね。だからバランスのおかしいBGMがいっぱいできてきたんです。物凄く単調だったりとか、あと特定の音だけギャンギャン鳴ってるとか。FM音源ならではの帯域でメロを考えないといけないんですよ。それをさらにチャンネルごとにどのセクションを割り当てるかっていうのをちゃんと計算しながらやらなきゃいけないんです。
Hiro ふむ。
古代 それがね、Hiro師匠をはじめセガのサウンドの皆さんは、FM音源黎明期でも、曲のバランスがめちゃくちゃいいんですよね。無駄がないし、でもコードはちゃんとコードに聞こえるし、力技で分散和音でコード鳴らしますみたいなテクニックもあるんですけど、そういうのも一切使ってなくて。
例えばハリアーだったら、Aメロからあの「タ~ララ~」ってのと、後ろで「タ~ラタ~ラッタラ」ってメロディが入ってるじゃないですか。で途中からBメロの「タタタタ」ってバッキングだけになるんですけど、それはちゃんとFMサウンドを使ってたバッキングしてるんですよね。Aセクション、Bセクションごとに、バランス配分が非常に均整が取れてるんですよね。楽曲としての完成度が高い。うん。
Hiro ほう、そうなんだ。
一同 (笑)。
古代 そうなんですよ(笑)。Hiro師匠は、お話聞くと天才的な感覚でおやりになってるから、気付かないところもあるかと思うんですけど、私いろんなメーカーの曲を当時から聴いてるので。セガとかナムコとかコナミとか頂上決戦みたいなすごいのもあれば、パソコンのよく分かんないようなものまで、めちゃくちゃ幅広く聴いてたんで。
Hiro ふ~ん。
古代 だから私にとっては、アーケードミュージックが最高峰だから、とにかくパソコンでそれを目指さなきゃいけないって想いがすごくあって。でHiro師匠のバランスってすごく勉強になったっていうか。こういう風にやれば、無理なくいろんなパートをアレンジ変えることなくいろいろ鳴らせるんだなっていう、当時としては方法論としてメモってた訳じゃないんですけど、肌感覚としてそれはもういっぱい身につけてきました。今だから言葉にして言えるんですけども。
Hiro 少ない音でやってた時は、出せないから、「ここしか出せない」とこを選ぶじゃん。必要なとこだけを。
古代 ですよね。で、音色によって帯域の良さが出るとこと出ないとこがあるじゃないですか? それの選び方も間違ってないんですよ。
Hiro それは音色を作ってたからじゃないかな?
古代 ああ、でしょうね。それも話聞いて、そうなんだなってのが分かりました、今回。
Hiro だってメロ作ってるとき、最初はピアノ一本で作ってるから。だから1個しか鳴ってないじゃん、音色。
古代 ええ。
Hiro そっから落とし込んだ時に、バッキングに合う音色、メロに合う音色…そう作ってったからなのかも。
古代 それでも音色は鳴らしてみないとけっこう分からなかったりもするんで、トライ&エラーが多くないとなかなか分からないところも…。
Hiro たぶんそれは、「男の60回」で買ったDX7でいろんな音を作ってたから。こうやるとこんな感じ、こうやるとこんな感じって。いっぱいなんとなく、そこで学習してたから。あまり迷わずに、こうしたい、もっと丸くしたいとかできてた気がする。だからその男の60回ローンは無駄じゃなかった。
古代 ああ(笑)。男の60回ローンいいですよ(笑)。今回、かなりポイントになってます。
一同 (笑)。
──ちなみにその(男の60回払いの)広告が掲載されていた雑誌は何ですか?
Hiro キーボードマガジン。でも買ったのは、当時知ってる楽器屋さん。一緒にバンドやってたドラマーの楽器屋さん。そこの60回ローン組んだ。セガに入った後もローン返してたからね。有意義な投資でした(笑)。
──確かに。
古代 あとハリアーは、いろんな曲のバリエーションがあったのも良かった。民族音楽っぽいものとか。あれがやっぱり衝撃ですよね。
Hiro (バリエーションがあるのは)3曲ぐらい(鈴木)裕さんが書いてるから。ボス曲のどれか、裕さんテイストも混ざってるから、いい感じにバリエーションが(生まれている)。
古代 へ~、知らなかった。それは知らなかった。
Hiro 裕さんがギターで作ってきたやつを俺が譜面に起こして、あとドラムとかつけて。最初なんか、裕さんギター1本でフレーズだけを弾いてきて。
古代 へえ~。ゴダーニとかそうかな?
Hiro うん?
古代、いや、なんかギター1本でって聞いた瞬間にメロディーが…ベ~ンベ~ンベ~ン。
Hiro 曲名は分かんない(笑)。
古代 (笑)。
MIDIデータ残ってます
Hiro そういえばアウトランの時は、ローランドのMC-500(※37)があったんだよ。
古代 えー、ああ、そうですね。そうですね。
Hiro それでMIDIで録音してたかな。ハリアーもMIDIがちょこっと残ってるんで。たぶん(ハリアー以降は)MIDIで何かしら残してる。
ハングオンは、ただ手弾きしたやつをカセットテープに録音して、当時はデータを入れてくれる人に渡したのよ。だから、譜面も書いてない。で、ハリアーとアウトランは、さっき言ったMC-500を使ってMIDIでスケッチ書いたものから、自分で譜面に書いてる。で、譜面にする時に曲を清書をするという感じ。
古代 はあはあ。
Hiro で、それを基板で鳴らして、で実際に音を聴いて、またそこで直す。
古代 はぁ…。なんか自分の経験だとやっぱり、ある程度法則を知ってやらないと、やっぱりトライ&エラーが増えると思うんですよね。「力技的」というか…自分の昔の曲はまさにそうで、今聴くと素人みたいな力技を感じるんですよ。でも師匠のは全然そういうのがなくて。師匠の話を聞くと、自分的にはただただビックリするというか。マトにうまく入ってるんですよね。音楽的に。
Hiro この間Mac(のハードディスク)を見ていたら、昔の「アウトラン」の(MIDI)データが出てきたんだよ。MC-500で(オリジナルを)作ったじゃない? それをPRELUDE(※38)(にデータを移植)、そのあと何かにいって、最後にCubase(に移植)…っていう。脈々とMIDIデータを移植していったんだけど、当時のアウトランのMIDIデータが残っていた。
古代 それって聴けるんですか?
Hiro ツイートしてる(笑)。
SPLASH WAVE スケッチ
SPLASH WAVE スケッチ(最終バージョン)
PASSING BREEZEスケッチ
PASSING BREEZE(別バージョン)
MAGICAL SOUND SHOWER
LAST WAVE
Hiro 1曲目が「SPLASH WAVE」だったっけ? これは4パターンくらい書いてる。バージョンが4つ。完成形はないんだけど、そこにいくまでの過程が4段階。で、次の「PASSING BREEZE」、これは2つくらいバージョンがあって。「MASICAL(SOUND SHOWER)」は1つしかなかった。当時のスケッチでもMASICALはすぐできたんだよ。なぜなら、鈴木裕さんに「好きなジャンルでいいよ」って言われたから。何も悩まずに作った。
古代 トロピカルな雰囲気は松岡さんの影響?
Hiro 100%(笑)。ラテンピアノをこう弾けばそれっぽいんだというのを学んだ。松岡直也さんの曲は(自分たちの)バンドでも1回くらいしかやってない。あんまりコピーしてなかったんだよね。弾くのは好きだったからいろいろやってて、初めてラテンの曲を作ったのがアレ。
古代 一発目であれっていうのはすごいですね。
Hiro こう弾くとそれっぽくなるんだーっていう。
前編のまとめ
インタビューはまだまだ続きますが、今回はここまで。Hiro師匠の音楽的なバックグラウンドから作曲作法まで、ちょっとビックリするような内容だったのではないでしょうか。
次回(後編)は、古代さんが長年疑問に抱いてきた超マニアックな質問や、同じゲームミュージック作曲家の後輩としてのお悩み相談(?)などなど、古代さんならではの質問が繰り出されます。さらにディープな後編をお楽しみに!
▼後編と続く記事はこちらから読めます!
Hiro師匠のオリジナル曲が聴ける、「Hiro music records」の配信はこちら!
「80年代のゲーセンで大流行を記録した、赤い魚の背中に乗って水平線の向こうのゴールを目指すゲーム『OUTRUS』」のBGMなど感涙もののセルフ・パロディから、アイドル歌ものまで、オリジナル曲多数!
・YouTube music
・Spotify
・Apple Music
・Amazon
・TuneCore
この記事が楽しめた!
という人は左下の「スキ」も押していってくださいね!
みなさんからの感想やコメントはこちら!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?