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御茶ノ水物語1

登場人物

森絵美     :文系大学心理学科の2年生、明彦の恋人
宮部明彦    :理系大学物理学科の2年生、美術部。横浜出身

神宮寺奈々   :絵美の大学の同級生
加藤恵美    :明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、心理学科専攻
杉田真理子   :明彦の大学の近くの文系学生、大学2年生、哲学専攻
島津洋子    :新潟出身の弁護士

清美      :明彦と同じ理系大学化学科の1年生、美術部
小森雅子    :理系大学化学科の3年生、美術部。京都出身、実家は和紙問屋、明彦の別れた恋人
田中美佐子   :外資系サラリーマンの妻。哲学科出身

御茶ノ水物語1

1979年2月16日(金)

森絵美の家

 我が家の庭の北向きに昔から蝋梅(ロウバイ)が植えられている。半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようで、臘月(旧暦十二月)に咲くことにちなんで蝋梅というらしい。花が少ない冬に自然の甘い香りがする。中国原産の落葉樹なのだそうだ。
 
 お母さまが樹齢四十年くらいと言っていた。四十年といえば戦前だ。植えられたのは1939年、昭和十四年くらいかな?樹高は六メートルを超えている。毎年、落葉が終わる十一月頃、植木屋さんが来て剪定していく。私の二階の窓からちょうど見えるのだ。窓を開けると甘い匂いが部屋に入ってくる。
 
 おっと、私は蝋梅の花見をしているわけじゃない。優雅に手指の爪を切り、ものすごい格好で足の爪を切っているところなのだ。

 私は、プロの演奏家じゃない。でも、ピアノも弾くし、チェロも弾く。プロでなくても指の爪の切り方には気を使う。深爪はもちろんダメ。では、すべての指の爪の長さを揃えるかというとそうじゃない。
 
 ピアノを弾いていると爪が鍵盤にぶつかったり、あるいは、ピアノの鍵盤の蓋(カバー)にぶつかったりということがある。爪が伸びすぎると、割れてしまったりとか、トラブルの原因になる。かなり気を使う。
 
 私はプロじゃないので、適当にしているが、でも、ある目安はあって、それに気を使いながら爪切りをする。プロの人にお聞きしたら、私の爪切りはいい加減らしい。
 
 まず、私は、指によって爪の長さを変えている。親指は、他の爪と違って、鍵盤に打つ時にぶつかる面というのは外側になるのだ。だから、左右の親指の外側は深爪にならないギリギリまで切る。それから、内側にいくに従って2~3ミリ残す。鍵盤に対して爪を切ったところがなるべく平面になるように切る。
 
 人差し指は、他の爪に比べて肉球の厚さが薄い。1~2ミリ残す。中指も同じくらいかな。薬指と小指は2~3ミリ残す。切りながらヤスリで整えていく。
 
 プロの人だと、マニュキュアを塗ると、微妙に爪の重さが違ってくるのだそうだ。私はそこまで気にしない、そこまでうまくないから。マニュキュアの代わりに、私は薄くハードナーを塗る。
 
 チェロは、あまり爪が気にならない。長いとダメだが、ギターのように爪弾くわけじゃなく、ボーを操るのに邪魔にならなければいいのだ。だから、爪の長さはピアノの演奏に合わせてお手入れをする。
 
 うん、できた。完璧。我ながら、細くて長い良い指だと思う。次は足の爪。ピアノのペダルを踏むことはあるけど、靴越しだもの。足の爪は演奏には関係ない。深爪しない程度に2~3ミリ残して、クリアのペディキュアを塗る。

 足の爪を切っているところは、これは、彼氏には見せられないな。今は彼氏、いないけれど。立膝をして爪の周囲が綺麗に切れればいいが、どうしても、左右の縁がうまく切れない。開脚をしないとダメなのだ。
 
 だいたい、足の爪を切る時は、着飾らないでしょ?Tシャツにパンティー姿。それで、ヨガのポーズよろしく、開脚をしたり、つま先を持ち上げたり、かなり際どい格好になる。
 
 これ、彼氏に見せられます?私はダメだな。今は、フリーで彼氏がいないけれど、足の爪を切る時は部屋を出ていってもらうだろう。
 
 あれ?足の爪を切っている時に私の部屋にいるような彼氏って、かなり近しい存在かな?それなら、M字開脚のパンツ丸見えでも彼には見せてもいいのかな?
 
 自分の部屋で足の爪切りをしていて、さあ、ペディキュアでも塗ろうかしら?なんて考えていたら、電話がかかってきた。

「もしもし、森でございますが?」と受話器を肩に乗せながら応答すると、「絵美?奈々です。元気?何してるの?」と中高大学とずっと一緒の神宮寺奈々からだ。「足の爪のお手入れをしてるのよ」と答えた。

「ねえねえ、絵美、明日ね・・・」
「イヤよ。行かない。遠慮しておきます」
「絵美ぃ~、私、何も言ってない!」
「どうせ、奈々のことだから、男の子絡みでしょ?」
「・・・それはそうだけどさ、この前知り合った子がドライブに行こうっていうのよ。それで、彼の友達も連れてくるっていうから・・・」
「奈々、あなたと男の子の趣味が合わないのよ。ドライブに行って、あわよくば、というハンサムな男の子でしょう?私の土曜日をそんな子と時間を共にしたくない」
「そんな、肉食じゃないって、今度の子は・・・」
「ダメね。どうせ、肉食の奈々ちゃんだから、相手もそうなるのよ。私、そういうセックス主導のお付き合いってしません」
「ドライブだけだからさ。海を見てね・・・」
「イヤです。他をあたって下さい」
「絵美、あなた、今、フリーでしょ?いいじゃない?」
「ダメです。玲子にでも声をかけたら?私は行きません。玲子だったら、あなたと趣味が合うじゃない?」
「つれないなあ・・・明日は何か予定でもあるの?」
「明日はピアノの練習でもしようと思って」
「男の子よりもピアノなの?信じられない!」
「悪いわね。私は、男の子よりもピアノなのよ。今度、付き合うから」
「あなたの今度は十年後なんじゃないの?」
「そうかもしれない。さあ、玲子に電話しなさい。私はほっておいてね。でも、お誘い、ありがとう。男の子がらみでなければ、喜んで付き合うわ。じゃあね」
「まったく、もう・・・わかりました。玲子に電話するわよ。じゃあね~」

 奈々はいい子なんだけどなあ。でも、ハンサムな子に弱い。すぐ寝てしまう。そういうお付き合いは長続きしないわよ、という私の忠告は聞かないんだから。私はセックスを人質にするのって、できないもの。
 
 もちろん、私はセックスが嫌いってわけじゃない。相手と通じあえるセックスならいいのだ。一人しか経験がないけれどね。
 
 しかし、それがセックスが人質になるのなんてイヤなのだ。セックスをしてしまうと、大なり小なり相手に対する独占欲、所有欲、支配欲がムクムクと頭を持ち上げる。相手に依存してしまったり、執着してしまったりするようになる。セックスが介在してそういった感情が出てくるのがイヤ。でも、気持ちいいことは好き。
 
 う~ん、これじゃあ、しばらく相手は現れないかな?待ち人来たらずなのかしらね?

 おっと、そうだ、ピアノの手配をしないと。明治大学の総務課の知り合い、米倉さんに電話をかけた。「もしもし、総務課でございますが」「もしもし、森と申しますが、米倉さん、お願いいたします」しばらく待つと彼女が電話に出た。

「お待たせ。絵美ちゃん、今日は何?何のお願いかな?」
「米倉さん、明日、小講堂になにか予定は入っていません?借りられるかしら?」
「小講堂ねえ、ちょっと待ってね。予定表を確認するわ」と紙をめくる音がした。「午前も午後も空いているわよ。また、ピアノが弾きたくなったの?」
「ハイ、そうなんです」
「あなたの大学にもピアノはあるでしょうに?」
「それが、ウチの大学のピアノはヤマハで、スタインウェイじゃないんですよ。私、ヤマハは慣れなくて。では、午後二時頃にお伺いいたします」
「わかったわ。ピアノだって、飾っているだけじゃあ可哀想だから。こっちに着いたら、私の事務室に寄ってね。鍵を渡すから」
「ありがとうございます」

 よしよし、これで明日は思い切りピアノが弾ける。米倉さんへのお土産は・・・いただき物だけど、バームクーヘンがあったわね。お母さまに断ってこれを持っていこう。総務課のみなさんで食べられる分量くらいはあるわね。他校の生徒に大学施設を使わせてもらうんだから、ちゃんとしておかないと。

1979年2月17日(土)

御茶ノ水、明治大学

 昼食のお手伝いをしようと下に降りてみると、お母さまがいそいそと台所で準備をしている。いつの間に買ったのか、業務用の大きなアルミの段付き鍋があって、お湯がグラグラ湧いている。湯切り用の竹の取っ手のてぼも買っている。
 
 また、この人の悪い癖で、まさか、手打ちのうどんとかそばを作るつもりじゃないでしょうね?前回は、イタリアから直輸入したパスタマシンで二ヶ月間、毎日パスタだった。二ヶ月で気が済んだのか、その後は、普段の食生活に戻ったが、またムズムズしたのだろうか?
 
「お母さま、まさか、手打ちの蕎麦とかうどんを作ろうというおつもりじゃないでしょうね?」
「あら?絵美ちゃん、手打ちのお蕎麦やおうどんが食べたいの?言ってくれれば、麺棒や蕎麦包丁だって買ったのに」
「そういうことではありません。また、二ヶ月間、蕎麦とうどんばっかりな生活はイヤです」
「まあまあ、心配しなくても、大丈夫よ。パスタと違って、手打ちのお蕎麦やおうどんは力がいるんだから。そこまではしません。今日はね、新潟の妻有そばが手に入ったので、それを作るつもりよ。おいしいのよ。つなぎにね、布海苔を使っていて、つるつるの喉越しと滑らかな舌触りが最高なのよ」
「お手伝いしましょうか?」
「あら、済んじゃったわ。お蕎麦も茹でて晒してあるから。かき揚げ作ったわ。お座りなさい」

 彼女は、それはそれはうれしそうに、晒した蕎麦をてぼに放り込んで、茹でている。出汁も手作りで作ったに違いない。手早く二人分、蕎麦を作った。テーブルに運ぶと「さあ、召し上がれ」と言って麺をすする。私も食べてみた。あら、本当においしい。
 
 テレビでは、中越戦争勃発なんてやっている。それを見ていた彼女が「あらあら、共産主義と言っても一枚岩じゃない証拠ね。イデオロギーで世界が変わるなら、紀元前にとっくに変わっていていいものね」と言う。「民族的な確執をイデオロギーというオブラートに包んでいるだけなんじゃないかしら?」となんとなく私が答えた。すると、
 
「確かに、ベトナムがポル・ポトのカンボジアへ去年侵攻したのが発端。ただ、ポル・ポトのクメール・ルージュは民族主義というわけじゃないわ。フランスなどのインドシナ半島からの撤退後の反植民地主義的なナショナリズムと極端な毛沢東思想を組み合わせたもの。カンボジアのクメール人はカンボジアでは多数派。インド文明の影響が強い。それに対して、ベトナムのキン族は、千年以上にわたって中国の支配を受け続けたから、カンボジアなどの周辺地域の民族と違って、インド文明をほとんど受容しなかった。漢字を使用し、中国風の姓を使っていて、中国文明を受け入れた。今回は、ベトナムの小中華的覇権主義に対して、本家の中国が本場中華的覇権主義を発揮した戦争だもの。すぐ終わるわよ」と時々彼女はおかしな知識を開陳するのだ。

 我が母親ながら、彼女はあまり自分のことを話さない。哲学科出身で、カール・ポパーというイギリスの哲学者の研究をしていたらしい。どういう人物なのか調べたら、フロイトやアドラーといった心理学者、マルクス主義の歴史理論、全体主義などの人種主義的な歴史解釈を疑似科学を伴った理論として批判していた哲学者のようだ。戦前、戦後の大学時代にこういった人物を研究していたのなら、かなりの変わり者だったんだろう。
 
 それから、朝鮮戦争が勃発した頃、一時期、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に勤務していたということをお父さまが言っていた。マッカーサーの秘書でもやっていたのかしらね?

「ところで、今日はお出かけ?デートかしら?」と彼女が聞くので、「いいえ、男の子には今の所、興味がないので。明大の米倉さんにお願いして、小講堂のピアノをお借りしたのよ。二時ぐらいから弾いてこようと思ってます」と答えた。

「この寒いのにもの好きねえ」
「ウチのピアノではどう大空間で聞こえるかわかりませんし、私の大学の講堂のピアノはヤマハなの。鍵盤が硬いの。明大のはスタインウェイだから、弾きやすいのよ」
「ふ~ん、私は音楽がわからないけど、ピアノのメーカーによってそういう違いがあるのね」
「そうそう。あ、ところで、目白から御茶ノ水に出るのに、山の手線で池袋まで行って、丸の内線に乗り換えないといけないなんて面倒くさい。バス一本で行けないのかしら?」と彼女に聞いたら、バスだと駅前から新宿駅西口行きに乗って江戸川橋まで行き、上野公園行きに乗り換えて、本郷三丁目駅前で降りて、二十分くらい歩くと御茶ノ水よ、合計一時間くらいかかるかしら、あなたももの好きね、と言われた。
 
 よくご存知ですわね?それだけ知っておられるなら、そのもの好きをご自身で実践なさったのかもしれませんわね?とは言わなかった。この人だったらやりかねない。
 
 黒のジーンズとハイネックのセータにダッフルコートを羽織った。手が凍えないように手袋をして、完全装備。でも寒い。テレビのニュースでは、午後に入っても気温は上がらず、8~10度の間なんて言っている。確かに、こういう日に寒い大学の講堂にピアノを弾きに行くのはもの好きだ。
 
 さて、しょうがない。電車で御茶ノ水に向かう。外堀通り沿いの出口から地上に出た。左に曲がって、神田川を渡った。二月の雨降る土曜日の午後だもの、人影もまばら。
 
 古本漁りのおじさんが足早に古本街に向かっているのが目に見える。おじさんは私の待ち人じゃないわね。でも、今日は待ち人来たる、そんな気がして、なんだか楽しい。次の角を曲がると、突然、待ち人来たる?そんなバカな。
 
 明大の薄緑の緑青のふいたドーム屋根の記念館を迂回して、後ろの事務棟に。総務課に行く。受付の窓ガラスから「森と言いますが、米倉さんを・・・」と言いかけると、彼女が机から立ち上がって、こちらに来た。「絵美ちゃん、これ、小講堂の鍵」と木のキーフォルダーの付いた大きな真鍮の鍵を渡された。「米倉さん、ありがとう。二時間くらいかな?お借りします。あの、これはウチのいただき物で悪いけれど、バームクーヘン。みなさんでお食べになって」と菓子折りを彼女に渡した。「あら、ありがとう。三時にみんなでいただくわ。電気の配電盤の位置は知っているわね?使わない時はブレーカーを切っているの」「ハイ、わかります。じゃあ、使い終わったら、みんな元に戻して、またまいりますので」と失礼した。
 
 鍵をクルクル回して、小講堂へ。小講堂の観客席の後ろの扉から入った。廊下の明かりで仄暗く見えにくいが、観客席の通路を通って、舞台袖へ。電気の配電盤の位置は知っているので、配電盤の扉を開く。主電源を入れて、照明のブレーカーをオンにしていく。舞台のスポットライトだけで良い。カチンとブレーカーを押し上げると、ちょうどピアノの鍵盤の真上のライトが点灯した。観客席の後ろの扉を閉める。
 
 小講堂は冷え切っている。手をすり合わせて温めた。
 
 鍵盤カバーを開いて、フェルトの布を丁寧にたたんだ。曲が曲だから、譜面は要らない。譜面台は寝かしたまま。ピアノの大屋根を持ち上げて、突上棒でしっかりとロックした。よしよし。
 
 私は、鍵盤と連動したハンマーが弦をたたくアクションという部分を十円玉で弾いてみる。うん?たぶんいいんじゃない?ホンキィトンクじゃないみたい。もちろん、プロの調律師じゃないので、わかるわけがないが、してみたかっただけ。
 
 さぁって。キース・ジャレットになったつもりで。ケルン・コンサート、うまく弾けるかな?

1979年2月17日(土)

明大の講堂

 今年は、雨の多い春だった。ピーコートというのは寸詰まりのせいか腰から下がスカスカしてかなり寒い。飯田橋に行って来期の単位票を提出した。来年度から三年か。研究室はどこにするかなあ。誰とも会わなかった。部室に行っても誰もいなかった。今日はしっかり南京錠がかかっている。鍵を忘れたので、入るわけにもいかなかった。当たり前だ。春休みで小雨の降る土曜日の午後に誰が大学に出てくるものか。

 まっすぐ家に帰る気もせず、お茶の水で降りてしまった。茗溪通りを歩いてみる。まだ2時だ。レモン画翠に入った。ちょうど画材が切れていたので、テレピン油、リンシード油の500ミリリットル瓶、ジンクホワイト、バーミリオン、ビリジャン、ピーチブラックなどを買った。クロッキー用の木炭、パステルも買う。メグミがアクリルをやり始めたので、ホルベインのアクリルガッシュのセットも買った。
 
 さて、なにをしよう?古本屋でもあさろうか。

 レモン画翠を出て、駅の御茶ノ水橋前の交差点を渡り、明大通りの坂を下る。お茶の水は何事もなく、ひっそりしていて、春休みの大学街には古本あさりのおじさんがちらほら傘を差して歩いているだけだ。この坂で70年安保の際に、石畳を剥がして投石していた十年前が想像できない。トボトボ歩いて、明治大学の横に来た。文系の大学の方が理系の大学より大学っぽい、というのはなぜなのだろうか?やはり、女の子がいるか、いないかの差なのかもしれない。

 門をくぐって、構内に入っても誰もとがめる人もいないので、ズンズン奥の方に行ってしまう。ここは、いつもなら飯田橋の理学部にはあまりいない女子学生が闊歩しているのだろうな、などと思いながら、教室、教室を覗いて歩く。もちろん、誰もいないのだが。

 どこを歩いているかわからなくなった時、廊下がつきて、ロビーに出た。ロビーに面して、第一講堂なんて、両開きの古い木の扉の上に大書してあり、その木の扉はちょっと開いていた。そして、講堂の中から、ピアノが聞こえた。

◯ Keith Jarrett、The Köln Concert、01 Part I 1.m4a 
https://app.box.com/s/cpf81x4q3k65k92b9wljxrcbuzmcmduw

(へぇー、キース・ジャレットを弾いている人がいる)

 扉を少し開けて、ソォーと、着ていたピーコートを引っかけないようにすり抜けて、講堂に入った。後ろの扉だったので、演壇まではエンエンと座席が三十列くらい続いていた。

 演壇にはスポットライトが一灯だけついていて、その光の輪の中で、女の子が長い髪をサラサラ揺らしながら、鍵盤をのぞき込むようにして、ケルン・コンサートのパートⅠを弾いていた。やけに脚も手も長い女の子だ。
 
 ぼくは邪魔をしないように、一番後ろの列のたまたま下がっていた座席にそっと腰を下ろした。キース・ジャレット本人とまではいかないが、ミスタッチがないのはすごい。ケルン・コンサートは即興で演奏されたので、譜面なんかないのだが、ぼくが聞く限りそのままだ。
 
 女の子は、全曲を弾き終わると、顔を上げ、一番後ろに座っているぼくをジッと見た。

「見たわね?」彼女は、演壇からよく通る声でぼくに怒鳴った。

 ぼくはギクッとして、「ごめん、気付いていたの?」と謝りながら、演壇の方に降りていった。こう離れているとお互い怒鳴り合わなきゃいけない。怒鳴り合っていると喧嘩のようだ。

「ドアが開いて、一瞬明るくなれば気付くわよ」

 なるほど。講堂の後ろの扉を開ければ外光が入って一瞬光る。それが目に付いたということか。

 彼女は、前屈みにぼくを見下ろす。演壇の上から見下ろされるものだから、心理的に分が悪い。彼女は、誰もが目を引くような美人ではなかった。体つきはしなやかで背が高く、スラリとしたウェストと小ぶりな胸、長い黒髪に日本人にしては高い鼻。少し離れていても感じる強靭な意志と聡明さを感じさせる女性だった。20才の絵美は、非常に魅力的な女の子だったのだ。目がまったく大きな久保田早紀という感じだ。

「女性はね、注意しなくても、みんな見えるのよ」と言った。確かに、男性は注意しないと何も見えない。女の子は器用だな。
「ふむ、確かにその通り。ゴメン、たまたまキース・ジャレットが聞こえたものだから・・・」
「あら、知っているの?」
「ちょっと前、高校のとき、FM東京で十一時くらいから岡田真澄の番組でオープニングにかかっていたからね」
「へぇー、あまり、知っている人がいない曲よ。ジャズか何かやっているの?」
「いや、音楽関係じゃない。趣味で油絵を描いている。大学では美術サークルに所属しているんだ」
「美術部だけど、ジャズも好きなの?」
「楽器は演奏できないけど、聴くのは好きだね。キースは気に入ったんだ」
「まあ、いいわ。だけど、覗き見はいけないぞ、キミ」
「たまたまさ」
「男はいいのだろうけれど、女は、期待した時にしか、何かを見せないものなのよ」
「ふーん、なるほどね。準備がいるってヤツだな。だけどね、男は、偶然とか、たまたまとかが好きなんだ。ココをまっすぐ歩け、寄り道するな、っていわれると、寄り道したくなる」
「女はね、出発点から、ゴールまで見渡せないと気が済まない。それで、ゴールで期待通り、花束と祝福の嵐、ってこと」
「男は、ゴールで誰も待っていなくて、トボトボ帰ろうとしたら、物陰から、ワッと、現れて、花束差し出されるのが好きなんだ」
「フン、わかりあえそうもないわね、女と男なんて・・・で?」
「で?って?」
「名前ぐらい名乗りたまえ、キミ」
「おお、ゴメン、明彦、っていうんだ、宮部明彦」
「明彦くん・・・性格は、明るいの?」

 明るい?性格が?バカみたいだ。まあ、どうでもいいけど。

「まあね。キミは?」
「何が?」
「だから名前・・・」
「エミよ、モリ・エミ」
「恵まれる、美しく?」
「違うわ。フェルメールの絵、美術館の美」
「ああ、絵美だね、絵のように美しく」

 ちょっとキースの話をした。「ねえねえ、キミ、いまひま?」と彼女がうれしそうに訊ねた。

「小雨の降っているこんな土曜の午後に見知らぬ女の子の弾くキース・ジャレットのケルン・コンサートを聴いていたぐらいだからひまだろうね」
「まわりくどいいいかた。つまり、ひまなのね?」
「ひまだよ」
「ちょっとキミと話してもいいわよ、明彦?」という。「私も絵美ともっと話したい」と率直に言った。彼女は、「じゃ、ここを閉めるからちょっと待っていてね」と言う。
「それでね、こういう寒い日にはブランディーが一番だと思うの」
「土曜日の午後の4時にお茶の水のどこでブランディーが飲めるというんだい?」
「それは任せて。じゃ、行きましょうか」絵美は、演奏はこれでお仕舞い、と言った。

1979年2月17日(土)

山の上ホテル

 絵美はピアノの鍵盤にフェルトの覆いをかぶせ、蓋を閉じた。舞台の後ろに行く。そこには電気の盤があって、彼女はその扉を乱暴に開ける。ブレーカーのスイッチをひとつひとつ丁寧に切っていく。舞台の照明が落ちていく。慣れた手つきだ。だいたい、女の子が電気の分電盤を開いて、ブレーカーのスイッチを切るなんて動作が出来るというのは、信じられなかった。よくわからない女の子だ。

 講堂の鍵を明大の営繕課にてきぱきと返す。「森さんは明大の何学部なの?」「あら、私はここの学生じゃないわ。ここに知り合いがいて、講堂が空いている時にピアノを借りられるの。大学は目白よ」

 ぼくたちは明大の講堂を出て、駿河台の坂をさらに下った。明大前の交差点を日大理工学部の方に曲がった。左手の山の上ホテルのアネックスを通り過ぎて、山の上ホテルの本館の方に向かう。

「まかせておいてよ。ついてらっしゃい」こういわれて、山の上ホテルのバー『ノンノン』まで連れて行かれた。

 たしかに『ノンノン』は開店時間が午後4時からだ。もちろん、四時からバーにいる人間など宿泊客でもいない。バーテンがグラスを磨きながら「いらっしゃいませ」とぼくたちに言った。
「カウンターでいい?」と絵美がいう。
「カウンターでいいよ」とぼく。
「こぢんまりしているでしょ?」
「いいバーだね。」
「そうでしょ?」絵美は言った。「ところで、ねえねえ、キミのこと、明彦って呼んでいい?」
「いいよ」(って、最初からそう呼んでいるじゃないか?)
「私も絵美と呼んで。名字で呼ばれるのが嫌いなの」
「そりゃあぼくも同じだ」

 ぼくたちはカウンターに座り、絵美はマーテルを、ぼくはメーカーズマークを注文した。ブランディーじゃなかったけれどね。

「絵美はどうしてこのバーを知っているの?」とぼくは訊いた。
「叔父がね、よく連れてきてくれるのよ。明彦も大学生のくせにホテルのバーに慣れているようね?」
「中華街のホリデーインでよく飲むんだ。それに新橋のホテルのバーでバイトしているからね」

 ぼくたちは、ジャズや音楽の話をした。それから、大学のこと、専門のことも。彼女は犯罪心理学を専攻したいという。
 
「十年くらい前にシャロン・テートを殺害した事件があったじゃない?チャールズ・マンソンとそのファミリーが起こした事件なんだけど、知ってる?」
「ああ、ロマン・ポランスキーの奥さんだった女優だよね。猟奇的殺人事件、妊婦殺害、カルト集団、七十年代の産物・・・」
「あの事件を知った後、犯罪心理に興味を持ったの。中学生の時に」
「なるほど。だけど、日本じゃあ、犯罪心理学を専攻しても日本の警察がそういう学者を必要としていないようだね?」
「そう、その方面の専門家が日本には少ないのが実情なのよ。でも、日本はアメリカの二十年遅れを歩んでいるみたいだから、将来、アメリカのようなカルト的で猟奇的な事件が増えてくると思うの」
「ぼくはそれに関して何ともいえないけれど、でも、心理学というのは面白そうな学問だと思っているんだ」
「明彦の専攻はなあに?美術じゃないでしょ?」
「物理学。素粒子物理を研究したいと思っている」
「素粒子物理?」
「まだ、よくわからないんだ。物理学というのは幅の広い学問で、理論物理と実験物理では違う。理論系の物理屋はまるで哲学者のようなんだ。それから、理論物理でも、ミクロの分野を扱う量子力学系の物理学と、マクロの天体の運行や宇宙の成り立ちを扱う宇宙物理学とがある。ミクロとマクロの間は仲が悪い。アインシュタインは、その両者、ミクロとマクロを統合した統一場の理論を作ろうとして失敗したんだ。アインシュタイン、知ってる?」
「相対性理論でしょ?」
「そうそう」
「私、相対性理論って習ってみたいな。面白そうじゃない?」
「絵美っておかしいね。犯罪心理学をやってみたくて、相対性理論も習ってみたいなんて?」とぼくは彼女に言った。
「ねえねえ」とうれしそうにぼくの方に乗り出して絵美はいった。「あのね、もしもだけど、明彦がウチの学部のニセ学生で心理学を私と一緒に受講して、私が明彦の学部で相対性理論を受講するのってどうなの?」
「ちょうど、来期の受講に相対性理論は入ってるんだ。うーん、教授に訊いてみてもいいけどね。まあ、訊いてみなくても、必須じゃなくて選択科目だから、一人ぐらい紛れ込んでも教授は気にしないさ。生徒が気にするくらいかな」
「なに?その生徒が気にするって?」
「物理科では女性の生徒は全学年で数人しかしかいないんだ。だから女性なら誰が誰だか知っているってこと」とぼくはいった。「それにね、キミだからね・・・」
「その『キミ』だからね、ってなに?」
「つまりね、物理科を志望する女性って、かなり変わり者なんだ。ガリガリのガリ勉で身仕舞いを気にしない女性とか、化粧もしない女性とかで・・・数学科や化学科よりも変わり者なんだよね」とぼくはいいにくかったのだけれども言い足した。「絵美みたいな女の子が物理科に来ると目立つんだ・・・つまりね、キミは、その、かなり綺麗だってことだけどね・・・」といった。
「それ、ほめているの?」と、ぼくの方に乗り出して、うれしそうに絵美はいった。
「事実を述べているに過ぎないだけ」
「ふ~ん、喜んでいいの?」
「じゅうぶん、喜んでいいんじゃないかな。かなり綺麗だよ、絵美は」
「ありがと。よぉ~し、じゃあ、二人して四月からニセ学部生になるのに賛成でいい?」
「いいよ、心理学も面白そうだ」

 ノンノンでは、三時間話し込んでしまった。食事もしなかった。バーでナッツをつまみ、唐揚げを注文したくらいだ。絵美はマーテルを五杯飲んだし、ぼくもメーカーズマークを六杯飲んでしまった。バーテンさんは、午後四時からバーにあらわれて、食事もしないでブランディーとウィスキーを何杯も飲んでいる学生カップルに呆れたことだろう。しかし、商売柄ポーカーフェイスだ。ぼくもアルバイトで同じことをしているのでよくわかる。

 普通、初めて会った女の子とはそれほど話がはずむ、ということはぼくの場合にはない。相手のバックグラウンドがまったくわからないからだ。しかし、絵美とは、何でも話ができた。ぼくの知っていることをたいてい彼女も知っていたし、彼女の知っていることをぼくもよく知っている。こんなに楽しい会話はまずない。

 大学の女の子は、地方各地から来ているので、話があまり合わない。ぼくの大学に限らず、法政とかポン女の女の子とかでも同じだ。メグミは例外みたいなものだった。

 絵美は、何代もつづいた家の東京っ子で、私立の中高六年間一貫教育の学校だから、ぼくとバックグラウンドが合うのだろう。横浜の石川町にある女子校の女の子達とは、話が合う。でも、絵美ほどではない。

 70から80年代は、21世紀と違って、かなり大学生も理屈っぽかった。資本論だってかなりの割合の学生が読んでいたし、毛語録を持っているのがかっこいい、という時代だった。もちろん、60、70年安保世代よりもしらけてはいたが、それでも、みんなかなりの量の本を読み、片手に朝日ジャーナルを抱えている学生が多かった。

 ぼくは理系だが、友人は文系が多かったし、物理科にいかなかったら文学部で、江戸の黄表紙本の研究でもするかなあ、と思っていたぐらいだ。

 絵美と話をすると、ブラッドベリ読んだ?読んだ、読んだ。ホーンブロワーシリーズ知ってる?もちろん!ぜんぶもってる、ヒギンズ好き?大好き!リーアム・デブリン、愛しちゃっているんだなあ、なんていう。じゃあ、明彦、ディック・フランシス知ってる、もちろんだよ、パーカーは?ユダの山羊よかったよ、庄司薫読んだ?彼も好きだ、ホームズは?何度も!夏目漱石?イエス、鴎外?イエス・・・

「じゃあ、明彦、ユング知ってる?」
「現代思想からユング特集がでたよね?去年。それで、フロイトは読んでいたけど、ユングも読んでみた」
「ペルソナ・・・」
「外面的人格。ぼくは、男性であり、大学生であり、家の長男であり、たとえば、絵美にとって・・・え~と、ボーイフレンドであり、って、ゴメン、単なる例だけど・・・」
「そうじゃないの?もう、私のボーイフレンドでしょ?」
「うん、わかった、サンキュー。で、まあ、もろもろ、ぼくは、社会から『男性、男、男の子』という役割をもたされ、期待されて、それからはずれないことを求められる、そういうことだよね?だから、形容詞としての、『女々しい』とか『女の腐ったようなヤツ』などという言葉が侮辱の言葉になる。これらはみんなペルソナ、仮面なんだ。ここまで合ってる?」
「じゅうぶんよ」
「で、女性、女、女の子についても同じことがいえる。女の子は女の子らしくとか、男性に従えとか。これも小さい頃から、女の子がこう吹き込まれて、ペルソナ、社会的な仮面が形成される。しかし、じゃあ、内面はどうなのだろうか?絵美はヘッセのデミアンを読んだ?」
「読んだわよ」
「ぼくは、デミアンを高校の頃読んだんだけど、あれがユングの影響を受けて書いたとは知らなかった。ぼくがクリスチャンの中高だっていったよね?」
「聞いたわ」
「それで、デミアンを読んで、グノーシスとか、ナグ・ハマディ文書とかを調べてね。そういうの、知ってる?」「知ってるわ」「学校にそういう図書がいっぱいあったからね。で、外面的なペルソナと自分の内面ってなんだろうか?ということを考え始めたんだ。それから、男と女のことも。だから、ぼくは、女の子は女の子らしく、とはまったく思わないし、肉体的・物理的な面を除いたら、男が女を守らなければいけないとか、男性が主導権を持つ、それを女性に発揮すべきだ、なんてことも思わないよ」
「へぇ~、明彦、話せるじゃない。絵美、キミのことが好きだよ、明彦」

 突然、会った当日に、「私、キミのことが好きだよ」なんていう女の子をぼくは知らない。ちょっとドギマギしてしまったが、「ぼくもキミのことが好きだよ、絵美」と言った。ちょっと自然に出たセリフじゃなく、とってつけたような話し方になってしまったが。彼女は、自然だった。

「そうそう、お付き合いするのなら、話しておくことがある。ぼくの中学高校で躾られたことがあるんだよ」
「うん?」
「女の子には、食事でも何でも、ぜったいに支払いをさせてはいけない、ってこと」
「まあ!」
「だから、ここはぼくのおごり。これから・・・もしも、つき合ってくれるなら、すべての支払いはぼく。これが条件だけど、よろしい?」
「私の信念とはちょっと違うけど、でも、いいわ。だって、叔父にも父にも払ってもらっているのだし」
「それと、絵美、ひとつ聞きたいのだけど・・・キミ、ボーイフレンドいるの?」
「それって、友人で、性別が男性、という存在?」
「う~ん、親密な男性の存在、ってことだけど」
「親密な男性ねえ、いるようでいて、いないようでいて・・・でも、今晩で明彦が優先順位のトップに昇格した、という答えじゃダメ?」
「ありがとう、ぼくも同じだ。キミがいまや優先順位のトップだ」メグミのふてくされる顔が浮かんだ。
「親密な関係?」と絵美は眼をクルクル回しながらいう。
「アハハ、会った初日から親密な関係というのもおかしい」
「でも、親密な関係になりそう?」
「ぼくは、もう親密な関係だと思いたい。キミがなんといおうと。ただ、ぼくの女性の友人をすべて抹殺、なんて、宇宙家族ロビンソンのロボットじゃあるまいし、それは勘弁して欲しいし、キミの男性の友人を抹殺してくれ、なんてことを金輪際いいたくない」
「私も同じことを考えていたの。私たち、同じ母親をもった兄妹みたいな感じがする」
「ちょ、ちょっと、それはマズイ。兄妹だと、キミにキスもできないよ」(またキスだ。メグミが怒る。)
「あら、概念として、ということで、キスでも何でもしていいのよ」(それはマズイ。メグミが激怒する)
「う~、ま、まあ、それは将来の課題にとっておきたい」
「初日ですものね」
「そう、初日も何も、まだ数時間しか経過してない・・・おっと、もう七時半過ぎだよ。絵美、帰らないと・・・」
「あら、ホントだ。母に早く帰る、といってきたのよ」
「帰ろう」といって、バーテンさんに「チェックお願いします」と頼んだ。
「条件よね、ごちそうさま」
「おやすいご用で」

 ぼくたちは電話番号と住所を交換して、ホテルを出た。御茶ノ水駅まで行く途中で、絵美が、「ねえねえ、明日もひま?」とうれしそうにいう。「ひまだよ」とぼく。
「上野行かない?近代美術館と、国立博物館と科学博物館に行きたい!」
「いいよ、ぼくも最近行っていないから」
「じゃあ、明日、お昼過ぎでどう?」
「了解、出る前に電話かけるよ」
「つき合ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ」

 ぼくらは、御茶ノ水駅で1、2番線と3、4番線で別れた。彼女の電車が来るまで、ぼくは彼女をずっと見ていた。彼女もぼくをずっと見ていた。いろいろな人がホームにあふれていて、面白そうな人を見かけると、無言で指さして彼女は笑った。ぼくもつられてしまった。

 絵美の期待した時でも、場所でもなかったけど、その日から、ぼくは絵美とつき合うようになった。

 2月も3月も、1週間に2日か3日、ぼくらは会っていた。デート、という表現はそぐわないような気がするんだけど。

 ぼくは恋をしたのだ。たぶん。

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フランク・ロイド
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