行き着く場所が見えてなくても(3)

というのも、当時、もともと住んでいた町にはある通信機器の大きな工場があり、そこに勤められれば一生安泰というなんとなく町民全員が持っている共通認識があったのだ


なので、なんとなく、高校を卒業したらすぐにその通信機器会社の工場に勤務して一生この街で暮らす、というのがこの町に暮らす庶民の中での最高のステータスだ、というのがみんなの中で薄っすらと共通認識として持たれていたのだった


私は、この工場に勤めても、バカのままで田舎でくすぶって暮らすのが我慢ならなかった、が。当時はネットもなくこの町を出てどうしたらいいのかという情報もまったくなかったのでただ毎日取り留めもなく考えるだけだった


辛うじて、


福岡の大学に行こう、そうすれば誰も私を知らない、そこで思いっきり勉強できるだろう、できれば法学部がいい、九州大学法学部卒でKBCかRKBのアナウンサーになれればいい


そう思っていた


高校は、元住んでいた町にあった高校に学区を変えて受験して、首尾よく合格し、幼なじみもたくさんいる中で高校生活が始まった


勉強は楽しかった

もう知りたいことがあったときテレビをメモする必要もなく図書室で好きなだけ調べ物をすることができた


成績はとても良かった

大学に行きたい、とだけは親に伝えてあった

とにかく勉強だけ頑張ればいい、と親からは言われていた


高校1年の夏、同じ学年の女子と恋仲になった

世の中の優先順位がガラリと変わった


この子と一緒に一生生きられるのならこの町で一生暮らすのもアリかもしれない、とまで考えた


通信機器の工場、さくら通信機器という社名だったので地元民はさくらの工場と呼んでいたが、そこに勤務するにはどういう進路を取ればいいのか必死に調べた

同級生の中に親がその工場に勤めているのもいたので色々と尋ねた


さくらにはこの土地の人間だけが就職しているわけではなく、近隣の町や隣県から勤務に来ているものもいて、しかも実際の工場勤務だけではなく上層部は日本中から転勤してきている人たちだそうで、実はさくらに勤めるというのはそこそこの能力では難しそうだということだった


どうしたものか、と思ったが、もしさくらに就職できなくても県内の都市圏にはここは十分通勤可能な位置関係にある

さくらがだめでもどうにかなるだろう


そんな中、2年生になった私達の学校に、転入生がやってきた

公立高校の転入生は割と珍しい


恭子ちゃんと言った

制服が揃うまで前の高校の制服を着ていて、ブレザータイプのウチとは違う正統派セーラー服はとても目立った


私と、恋仲になっていた彼女とは偶然2年で同じクラスになり、気づく人は気づくようなそこそこ公認の中になっていった


私達は同じ文化部に所属していて、恭子ちゃんも同じ部活に入った


恭子ちゃんは彼女と仲良くなり、その関係で私ともちょっとだけ仲良くしてくれた


2年生の夏休み、秋の学祭に向けてちょっと大掛かりな展示をしようとしていた私達は、そこそこ派手な準備を始めた

が、私と彼女は理系クラス、恭子ちゃんは文系クラスだったため補習授業の日程が合わず、細かい話し合いが進まなくなってしまう事態が起きた


恭子ちゃんは、じゃあ私の家で打ち合わせましょ、と言ってきた


恭子ちゃんの家は小さな町の中心部にある高校から、駅の反対側に少し歩いた位置にあった


同じタイプの戸建ての家がたくさん並んでいる場所で、古くからこの町にいた私達には別に昔からここにある古い家たち、という認識しかなかったのだが、この住宅群はさくら通信機器の社宅で、しかも戸建てに住んでいるということは管理職だということをその時知った


何年も外から眺めているだけだった住宅の中に初めて入った


当時としては珍しく恭子ちゃんの個室にもエアコンが付いていて、各部屋にさくら通信機器のビジネスホンが据え付けてあった

電話番号は家の一つだけなのだが、転送することで各部屋で電話を受けられるようになっていた


恭子ちゃんは私達に、小さなカップに入った高級なアイスクリームを出してくれた

先端が平らな薄いアイスクリーム用のスプーンも初めて見た

部屋にテレビが有り、当時まだそこまで普及していなかったビデオデッキもあった

なにより、部屋の中に、なんともいえないいい香りが漂っていた


格の違いに圧倒された

さくらで管理職になるとこういう暮らしが手に入るのか


1年生の時はこの町を出てアナウンサーになるために大学に入りたいと思っていた

2年生の今、彼女とこの街でこのような良い暮らしをするために大学に入りたいと思うようになった


ガキの頃この町のみんなが、誰かがさくらに就職したとなったらすぐに街中の噂になるぐらい話題にし、どこの親も子供に対して「おまえももうちょっとちゃんと勉強したら✕✕さんところの✕✕ちゃんみたいにさくらに勤められるようになるのに」と貶めるような言葉を浴びせているのをとても鬱陶しいと思っていたが、実際に格の違いを見せつけられると大人の言うことも尤もだと思うようになっていった


夏休みの最終日、父親は私を隣町の寿司屋に連れて行った

寿司を食いながら父親は、お前を大学にやるカネはないので高校を出たら就職しろ、と言ってきた


当時は敬老の日が9月15日固定だったが、その宣言から敬老の日辺りまでの記憶がすっぽり抜けている


彼女によれば、ずっと遠くを見ていた、のだそうだ

(続く)

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