行き着く場所が見えてなくても(2)
知識欲は旺盛だった
当時のガキにとっては知識の源はテレビだった
ただ、テレビで放送される内容はすぐに消滅してしまう
なので私はメモを取りながらテレビを見ていた
バカな父親はそれを嫌がった
なにか書くんだったらテレビは消せ、といった
いや、テレビの内容を書いている、と言ってもバカには理解ができなかったらしく、メモを取っているとすぐにテレビを消された
テレビを消されるとメモが取れないので私はすぐにテレビを点け直そうとしたが、そのたびに結構なダメージが有るレベルでぶん殴られ、なにか書くんだったら書き終えてからテレビを見ろ、と理不尽なことを言われた
私はテレビを見ながらメモをとるのをやめた
社会人になってすぐ、どうしてお前はメモを取らないのだと散々指摘されたが、ガキの頃の習慣はそう簡単に是正できず、大変苦労した
父親にとって、何かを書く、というのがつまり勉強だったのだろう
勉強するのならテレビを見ながらするな、という彼なりのバカ理論だったのだろうということは理解できなくもないが、つまりは彼の頭のレベルもそんなものだ
しかたなく私の頭のレベルは中卒筋肉バカのレベルにシンクされていったのだ
小学6年のとき家を建てることになったのだが、その土地が当時住んでいた町から2つ町境を超えた村で、わざわざ村人になることになった
排他的な村の小学校では私は秒で浮き上がってしまった
村での中学生時代、父親は沖縄に転勤になった
ついていくか行かないかを選ばされ、バカと一緒の暮らしは嫌だったのと、小学生時代沖縄から転校してきた男が常識のまったくないやつだったのでそんな環境で自分がますますバカになっていく未来しか想像できず、断った
父親は単身赴任先で女を作った
村に引っ越す前にも、入校(自衛隊内の学校に入ることをこういう)という事態で半年ほど家を出ていたことがあったのだが、その時も入校先のどこかの夜の店の女から年賀状が届き、派手な夫婦喧嘩をやらかし、父親はムカついて家を出ていくといい、母親が泣いて引き止めていた
父親はいつも大河ドラマを見ていた
なのでその裏でやっていた山ねずみロッキーチャックを見ることができず、学校の話題が一つ減っていた
いいチャンスだと思い、玄関先で出ていくの行かないの激高する父親とそれを引き留めようとしてギャーギャー泣き叫ぶ母親というそこそこな笑える地獄絵図の中、テレビつけていい?と尋ねた
いいよ、とボロボロ涙を流している表情で母親に言われ、私は一人で居間でロッキーチャックを見た
たいして面白くもなかった
まぁ、私と親との関係はこの程度のものだ
中学の時も女の影がすると母親はいつもきいきいしていた
生活費を引き出すために琉球銀行のキャッシュカードを使ったときの先月と今月の明細書を並べて
今月は増えてないとおかしいのに減っている
女のために何万円か使っているに違いない
と言っていたのだが、その「減っている」のが100の位以下の数だったのだ
先月の明細の下3桁が850円で、今月の給与の下3桁が590円だったとしたら、今月の明細の下3桁は440だ
これを、先月は850だったのに今月は440に減っている、と認識していたのだ
当時の私の語彙力ではこのバカ頭を是正することはできず、だまって脳内で距離を取った
中学時代IQを測定する機会があり、私は156だった
当時一般的にはIQが130ないし140を超えたら天才だと言われていた
そういう高IQを見たことも聞いたこともなかった中学のバカ教員たちは、このIQでこの程度の成績しか取れないのはおかしい、と言い出した
私は、幼稚園のピンポンパン体操の大蛇の一件以来、バカに合わせて生きてきた
親もバカだったのでとても苦労した
例えば遊びに行くとき、読みかけの本をポケットに入れたりしていた事がある
そうするとバカな田舎のガキどもは
学校じゃないところでも勉強するとかバカじゃないの
頭おかしいぞこいつ
一緒に遊んでいられないこんなのと
などと言われ排除されそうになった
ちいさなちいさなクソ田舎のコミュニティの中で排斥されるのは今後一生排斥され続けることを意味する
なので、極力他の連中の頭のレベルに合わせるように行動していた
ガキなのでここを出てどこか新しいところで暮らすという選択肢が端から頭の中になかった
(続く)
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