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絶罪殺機アンタゴニアス #11

  目次

 今だけなのだ。六つの鉤爪を封ずることができるのは。
 今だけなのだ。本体を守るために六つを総動員しなければならないのは。
 乙零式が直下勁力弾の射線から逃れれば、ただそれだけで鉤爪どもは防御の必要がなくなり、フリーになる。
 寸毫の勝ち目すら、失せる。
 ゆえに。
 男の勝機は、この一瞬のみにあった。
 軽功による疾走。瞬時に肉薄。踏み込みの脚を、敵の脚と絡める。
『おと……』
 前腕部のブレードを展開しかけたが、男は脚を払って体勢を崩させ、倒れかかるその矮躯に銃口を押し付けた。
 ビルをも両断する規格外の攻撃能力を前に、距離を取って撃ち合っても勝ち目など一切ない。
 全身の関節の可動と、体重移動を同期させ、乙零式の胸に寸勁弾を叩き込んだ。
『かッ……』
 轟音。仰向けに倒れた乙零式の周囲に、後光めいた亀裂が全方位に走った。砕けた鋼片が舞う。
 装甲は貫通しえなかったが、寸勁と銃撃が乗算的に噛み合った功夫は、その衝撃が内部の肉体に浸透したはずだ。
『……ぐ……ぅ……』
 くぐもった喘鳴。装甲越しに伝わる微かな聴勁から、臓器をいくつか破裂させた手ごたえを感じた。
『お……とう……さ……』
「黙れッ!!」
 さらに一撃。全体重を拳銃の筒先に集中させ、発勁。轟音とともに、亀裂が長く、深く刻まれてゆく。
 仮面の下から、血が溢れ出てきた。吐血か、喀血か。
 手足を拡げて横たわった乙零式の四肢が、断続的に痙攣する。
 徐々に、徐々に、男の胸から、狂乱と激情の熱が去ってゆく。
 そして、寒気すら感じられぬほどの虚無が、その魂を包み込もうとしていた。
 だが――

『……に……げ……て……』

 そのか細い声に、その意味するところに、男は一瞬、理解が至らなかった。
 ぎち、と。
 ぎちり、と。
 小さく醜い生き物が上げる鳴き声のような、奇妙な音。
 金属が上げる、断末魔の苦悶。
 ――限界が、近かったのだ。
 この貧民街に逗留し、すでに二度ほど機動牢獄の制圧部隊を退けている。そのつど行った爆撃のごとき踏み込みは、周辺一帯のメタルセルユニット構造に不可避の金属疲労をもたらしていた。
 そこに加えて、たった今二度にわたる寸勁弾を叩き込まれた。
 男が周囲に目を向けた瞬間、鋼の床が、異様な悲鳴を上げながら、崩壊した。
 望まぬ浮遊感。セル構造の結合が緩くなっていたせいか、連鎖的に破壊が進む。男の浸透勁の冴えが、逆に仇となった。
 落下し、鋼の粉の海に沈み、窒息死する。
 どうやらそれが、男の末路であるらしい。
 唐突に、乙零式の手が男の体を突き飛ばした。
 その行いをいぶかしんだ瞬間、上空から唸りと輝きを帯びて降り来たる勁力弾頭が、少年を撃ち抜いた。
 上半身と下半身が引き千切れ、腸が空中に咲いた。
 そのまま光弾は勁風で鉄粉を四散させながら、遥か下方へと突き進んでゆく。
 男は、自分でも理解不能な激情に駆られ、絶叫した。

【続く】

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