『かそけき彼の地のエリクシル』 #2
「――〈太陽はその父にして月はその母、風はそを己が胎内に宿し、大地はその乳母。万象の意志はそこにあり〉――」
駆動文言。
手の甲に浮かび上がる半球体に火が灯り、古の錬成文字が浮かび上がる。
「白銀錬成・斬伐霊光――!」
瞬間、フィンの手から銀の閃光が放射状に解き放たれた。
かと思えた直後、光は消える。
否――消えたのではない。見えなくなったのだ。
銀の流体が、肉眼では見えないほど細い糸となって、全方位に伸びていったのだ。
切断・偵察用錬金兵装、斬伐霊光。
フィンの武器であり、命綱であり――そして触覚を宿した神経でもある。
自在に動く不可視の糸が、どこまでも伸びて触れた者を探知し、時に捕え、時に切り裂く。
フィンの周囲は、もはやフィンの体内も同然であった。何があっても即座に対応できる。
――いつでも来い!
ごくりと唾を飲み下し、フィンはカイン人らを待った。
●
カイン人。
学名「ホモ・テネブレ」。
この、麗しき人型の災厄が現れたのは、今よりわずか五十年前のことである。
――下賤なるセツの継嗣どもよ、この世界の正当なる主が帰還せり。頭を垂れ、服従せよ。さすれば我らは寛大に遇するであろう。
いずこからともなく現れた、美しくも禍々しい腫瘍艦の群れが空を覆いつくし、あらゆる電波帯をジャックしてそのような声明を発したのだ。
これが、人類の零落の始まりであった。
腫瘍艦から次々と地面に降り立ったのは、青白い肌と凍りつくような美貌を湛えた人々であった。全員が金属ともプラスチックともつかぬ材質の甲冑に身を固めており、拷問具じみて奇怪に歪んだ武具類を携えていた。
ともかく対話しようと近づいて行った者は、何が起こったのかもわからずバラバラに解体された。
抜く手も見せぬ抜剣斬撃。一瞬の早業であった。
――無礼な。誰の許しを得てその臭い息を我らに吐きかけたのか。おぉ、臭や臭や。この世界はセツの悪臭に満ちておるわ。
心底不快げに鼻元を覆い、カイン人らは秀麗な眉をしかめた。
――これは掃除が必要であることよ。
――然り然り。徹底的に焼き清めるより他にあるまい。
そもそも最初から、投降を呼びかけるつもりも、支配するつもりもなかったのだ。
ただ殺すために、彼らは来たのだ。
●
アルコロジーの巨大な回廊に、黒い染みのようにして、五つの船影が現れた。
遠近感の狂う巨大さだ。
そのおぞましくも荘厳な姿を見た者は、歴戦の兵士でさえ、一瞬だけ恐慌に囚われてしまう。
腐敗し奇形化したクジラに、装甲を付けたものに近い。
五対の糜爛したヒレが緩やかに動き、空中を滑るように移動していた。
粘液が、したたり落ちる。
それが床に落ちた瞬間、瘴気が吹き上がり、黒い染みとなって残った。
この世界そのものが、カイン人らを拒絶しているのだ。
扼殺される女の呻きじみた鳴き声を上げ、異形のクジラたちは血走った巨大な眼球をぎょろつかせた。はっきりとこちらを向いている。
不快な戦慄がフィンの全身を駆け抜けた。
「連隊長どの、気づかれているでありますっ」
「あぁ、どうやらカイン人にも敵将の位置を気にするだけの知恵はあるようだな」
口の端に笑みを乗せて、アバツは答える。
「奴らにひとつ戦争のやり方を教えてやるとしよう。連隊長より第一火砲中隊に告ぐ。そこから敵のケツが見えるな?」
『サー! 丸見えであります! サー! 砲撃するでありますか連隊長!』
「あぁ、スッキリしてこい」
『イエッサー!』
アバツが無線を切った瞬間、黒い光が腫瘍艦の下部で瞬いた。
何かが亜音速で接近してくる。
「っ!」
フィンは即応した。
光の反射加減によって一瞬だけ可視化された斬伐霊光が乱舞する。
開花する蕾のような輪郭が現れたかに見えた瞬間、飛来物がばらばらに切断されて地面に転がった。
それは、巨大な銛じみた鉄塊である。禍々しい逆棘がびっしりと生え、カイン人の残虐なる性を物語っている。
腫瘍艦の筋肉の収縮によって撃ち出されたものだ。
立て続けに二度、三度。
そのたびに、フィンの手から伸びる極細の銀線がのたうち、銛を幾度も斬断。
なめらかな断面を見せて欠片が転がってゆく。
「ごくろう、准尉」
アバツは眉一つ動かさずにフィンをねぎらった。
直後、腫瘍艦の左下の地面で砲火が瞬き、遅れて砲声が響き渡った。
第一火砲中隊がアバツの命令通り、対艦砲の一撃を叩き込んだのだ。
装甲が砕け散り、血膿が大量に迸り出る。ガラスを引っ掻くような腫瘍艦の絶叫が轟いた。
補正もなしに一撃命中。精鋭中の精鋭たる第一火砲中隊にしてみれば、別段誇るほどのことではない。
「連隊長より全火砲中隊へ。動きが鈍った腫瘍艦を撃破せよ」
『サー! ブチかますであります! サー!』
さらに奇形クジラを囲むようにあらゆる方向から砲火が幾度も瞬いた。
身をうねらせ苦しむ腫瘍艦に、榴弾が次々と着弾。血煙とともに炸裂する。
二、三度大きく痙攣したのち、腫瘍艦はゆっくりと落下していった。
床に衝突し、地響きと噴煙をまき散らす。
一斉に男たちの歓声が上がった。
本格的な交戦前に一隻潰せたのは大きい。
「貴様ら、気を抜くな。メインディッシュはこれからだ」
『サーイエッサー!』
残る四隻の腫瘍艦は、慌てた風もなく近づいてくる。
その航行は優美で、ゆったりとした印象すら受けるが、巨体ゆえの錯覚でしかない。実際にはこれに追い付ける移動手段などセツ人はもっていない。
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