『かそけき彼の地のエリクシル』 #1
フィン・インペトゥスは主人公である。
しかし、その自覚はない。
カイン人の軍勢は、すでに第三アルコロジーの中枢にまで迫っていた。
鋭い刃が斬り込むように、彼らの襲撃が始まってからわずか三時間で防衛網に穴が開き、中枢への最短ルートを確立されてしまったのだ。
カイン人が最も得意とする電撃的強襲戦術。
彼らが通ったあとに残るのは、土塁のように折り重なる欠損死体の山である。
――だというのに。
フィン・インペトゥスは、気を抜けば軋りそうになっている歯の動きを、努めて抑えた。
今この瞬間も、戦う力を持たぬ人々がカイン人らの凶刃にかかり、理不尽に死んでいる。
だというのに、自分たちは中枢制御室前に陣取って、何もせず彼らを待っている。
「准尉。気持ちはわかるが、冷静さを失うな。奴らを捕捉するにはこれしかない」
セツ防衛機構第八防疫軍第五十八師団第二連隊長アバツ・インペトゥス中佐は、古傷の残る眉間を険しくしかめながらフィンをたしなめた。
「……理解、しているであります」
フィンは、幼い顔に不相応な苦悩を浮かべた。
実際、理解しているのだ。
カイン人が駆る腫瘍艦の機動力は圧倒的だ。地べたを這いずる無骨な鉄塊しか作れぬセツ人から見れば、まさしく次元が違う。
加えてカイン人そのものも、末端の歩兵ですら吹き抜ける風のように俊敏な身のこなしを誇る。
彼らを追いかけまわすなど徒労の極みだ。
であるならば、確実に来るとわかっているポイントで待ち伏せをするしかない。
それはわかる。わかるのだが――
「連隊長どのは、納得しているでありますか」
「……納得など、しているわけがない。そして、してはならない」
厳めしい顔の中に、哀しみが混じる。
「我らが今しているのは、軍事目的のために民間人の虐殺を看過する外道の所業だ。割り切ってはならない。割り切れば、我らはカイン人と同じ存在に堕する」
フィンの栗色の頭に、大きな手が置かれる。
「割り切らず、胸に溜め、苦しむのだ。その苦しみだけが、我らを人にとどめるよすがだ。苦しんだところで、今まさに殺されている牙持たぬ人々にしてみれば何の慰めにもならぬが、それでも苦しまねばならない」
「うぅ……」
「それに耐えきれぬのなら、母さんのところへ戻れ」
その言葉に、フィンは目を見開く。
「……っ」
アバツの手を振り払い、睨む。
「小官は子供ではないであります! お心遣いは不要であります!」
「これを侮辱ではなく心遣いと受け取ってしまうようでは、まだまだ母離れができていない証拠だな」
頬が赤らむのを感じる。さらに何か言い返そうと口を開きかけた瞬間――
脳幹にインプラントされた受容体が、偵察行動中の戦術妖精〈グラッドニィ〉より送信された報告を受け取った。
――敵勢力、ポイントBを通過。虐殺級腫瘍艦四隻。絶滅級腫瘍艦一隻。
淡々と流れ込んでくる情報に、全身が泡立つ。
「〈グラッドニィ〉くんがカイン人を確認したであります!」
「数は。いつ来る」
「虐殺級が四隻。絶滅級が一隻。約一時間後にここに来るであります」
アバツは苦しげに呻いた。
「絶滅級だと? アルコロジーひとつ落とすのに過剰戦力すぎる……」
そう呟いてから一瞬で声色を切り替え、無線機に怒鳴りつける。
「総員、戦闘配備! パーティーは一時間後だ! 今回は少しばかり獲物がでかいが、やることはいつもと変わらん! 包囲殲滅! 狩り尽くすぞ!」
即座に各隊から了解の応えがあった。
『サー! やっと撃てるんですかひゃっほう! サー!』
『サー! 終わったら酒入れていいでありますか! サー!』
言葉とは裏腹に、周囲の空気が張り詰めている。
畏怖を含む緊張が、連隊の兵士たちを包み込んでいた。
誇張でも何でもなく、これから死にに行くのだ。アバツ・インペトゥス率いる第二連隊の作戦目標は、表向きカイン人の撃退であるが、それが不可能であることなどこの場の全員がわかっていた。
がちゃがちゃと鳴る銃器。続々と設置される指向性地雷。しわぶきひとつ立てず整然と配置につく防疫軍兵士たち。万事滞りなく、戦闘準備は完了する。泣き叫ぶ者も、恐怖に震える者もいない。
死ぬ覚悟、などという高尚なものではない。
ただ、取り乱したところでどこにも逃げ場などないことを理解しているに過ぎない。
フィン・インペトゥスは。
この場にいるただひとりの子供は。
彼ら大人たちの諦念が理解できなかった。
自分はいい。カイン人の接近を許しても、ある程度は渡り合える力を持つ。
だが彼らは違う。何の改造も受けていない、ただの人間である。
にもかかわらず、どうやってあそこまで平静を保てているのだろう。
――長く生きていると、何かそういう秘訣のようなものを会得できるに違いない。
ごく素朴に、フィンは大人を尊敬していた。確かに自分は鍛えた大人を遥かに上回る戦闘能力を持つが、しかしこの力を与えてくれたのもまた大人である。
与えられたものを享受するだけの自分よりも、その技術を作り上げた人のほうがずっとすごい。
大人たちは、何の取り柄もなかった自分に、大切なものを守るための力をくれた。
ならば、その恩に報いるのだ。
フィンは自らの顔の横に手の甲を差し上げると、そこにインプラントされた〈哲学者の卵〉を起動させる。
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