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丹麦語独習覚書 ⑤ 太陽の色は

 前回が「赤いトヨタ」だったから、というわけではないですが、また、色の話。

 語学アプリ Mondly には、無料でできる「日替わりレッスン」があります。
 毎日、新しい単語4つに、それらの単語を用いた短文3つが、選択式や記述式で出題されるのが基本。単語も短文も、共通のテーマから出題されています。

 

 で。
 Mondly の、あるときの日替わりレッスンのテーマが、「色」だったのですが。
 たとえば、blå (青) という単語で、こんな短文が。

 Himlen er blå.
 空は青い。 (The sky is blue.)

 おおー!
 このくらいならすぐわかる。

 これこれ!、この歌の歌い出し。
 Septembers himmel er så blå ですよ!

 すこしだけ、文法について……
 
 デンマーク語では、the にあたる冠詞をつけるかわりに、語尾に -en (-et の場合もある)をつけます。
 だけど、himmel の場合は、himlen と不規則に変形します。
 
 で、Septembers himmel er så blå だと、「9月の空はとても青い」になります(デンマーク語の月の名前の綴りは、英語とほぼ同じです)。

 あとはたしか、「バラは赤い (rød)」と「草は緑色 (grøn)」がでてきたかな?
 blårødgrøn も、それぞれ、
 英語の、blueredgreen
 と綴りがほぼ同じなので、なじみやすいし、覚えやすいです。

 

 それから、もうひとつ……

 Solen er gul.

 はい?
 solen は、まぎれもなく「お天道様」でございますわよね。

 で。
 gul……?……ってなに?
 何色?

 とっさに、似てる英語がでてきまへん。

 え、え……えーと………

 gul = yellow = 黄色

 でしたっけ……(@_@;)
 gulyellow も、おたがいに綴りがにてなさすぎて、しばしこんらん。

 

 さて。
 Mondly のいいところは、その日のうちだったら、同じ内容の日替わりレッスンを、言語を切り替えて学べるところです。さらに、母国語を切り替えて学ぶこともできます。

 このように、「同じ学習内容を複数の外国語で学ぶことができる」のが、Mondly の長所です。
 複数の言語を同時進行で学びたいひとや、言語同士を比較しながら学びたいひとにはおすすめのアプリです。

 この、yellow = gul の似てなさ度はかなりのしょーげきだったので、ドイツ、オランダ、スウェーデンといった、デンマーク近隣のゲルマン系言語に切り替えて比較してしまいました。さらに、母国語を日本語からデンマーク語に切り替えておくと、デンマーク語との比較が、よりやりやすくなります
 すると、どこの言葉でも、「黄色」の綴りの基本ラインは、gulと同じなんですね。むしろ、英語の yellow のほうが異端……ということがわかって、なぜかほっとしてしまう。それと、「英語とは似てないけど、周辺の国の言語とはほぼ同じ」という情報が入ることにより、なぜか単語が覚えやすくなるんです。

 Mondly でこういうことを何度かくりかえすうちにわかってきたのですが、これらデンマーク周辺国の言語と比較してみたとき、デンマーク語と英語の綴りが激しく違うときは、英語だけが全然別の綴りであるケースがわりあい多いです(たまにですが、デンマーク語が独自路線なときもあります)。デンマーク語、ドイツ語、スウェーデン語、オランダ語が「夫婦親子兄弟姉妹」ぐらい近しい関係としたら、英語は「曾祖父母の世代にお嫁にいった親戚」ぐらいの遠さを感じます。
 イギリスはデンマークから地理的に遠いだけでなく、島国なので、ことばが独特の進化をしたのかも……なんて、想像してしまいます。比較対象に、イギリスとは歴史的にも、地理的にも関係の深いフランス語を加えたら、また別の見方ができるのかもしれませんが、デンマーク語から見る英語は、まさに「言語のガラパゴス」とよびたくなります。

 

・◇・◇・◇・


 んで、まあ、この時点で、

 Solen er gul って、コレイカニ?(@_@;)
 太陽って黄色かったっけ……

 って、アタマがぐるんぐるんなってたのですが。

 だけど……
 さらにもっとしょーげきだったのは、

 ちょとまて、ちょとまて、デンマーク!
 solen ときたら、
 er så rød じゃなかったっけ?

 ほら。
 Solen er så rød, mor (おひさまがとても赤いよ、お母さん)って、Sigurd さんも歌ってるやないですかっ!

 余談ですが、子どもの歌を聴くなら、Sigurd Barrettさんが私のイチオシ。大人が聴いても聴きごたえ十分で、しかも楽しい!
 デンマークの子どもの歌コンテンツは、ガチ度がハンパなく高いものが多いです。

 で、以前にね、この歌を日本語に訳するとき、めっちゃ悩んだんですよ。
 だって、お日様って、キホン「赤色」やないですか。
 だから、これ、「夕日の歌」ってことで、ホントにオッケーなのかどうかって……
 まさか……真っ昼間の太陽のこと、じゃないよね?

 だけど、Solen er så rød, mor のあとに、

 og skoven blir så sort.
    それに(og)、森(skoven)もとても黒く(sort)なったよ。
 Nu er solen død, mor,
    ねぇ、おひさまは、死んだ(er død)の……おかあさん?
 ※blir は、たぶん、bliver (〜になる) を省略したもの。
 ※2行目は、nu が先頭にきたので、主語の solen が、動詞 er (= 英語のbe動詞)の後ろにさがっています。デンマーク語は、文章の先頭が主語でなくてもOKですが、動詞は必ず2番目にきます。

 って続くのを確認して、やっと、「あー、やっぱり夕日の歌でよかったんやー。昼間じゃなかったー」って、ひと安心。

 

 ……みたいなことを思い出してるうちに……
 こんどは、またべつのことを思い出しました。

 英語の授業で、日本と欧米の文化のちがいの一例として、

 日本の子どもはお日様を赤く塗るけど、
 欧米の子どもは、黄色く塗る

 みたいなの、ならいませんでしたっけ?
 これ、いまでも英語の先生の授業のネタなのかな?

 そう。そうなんです。
 日本の感覚では、

 太陽は、赤い (Solen er rød)

 なのですが、そもそも欧米の感覚では、

 Solen er gul (太陽は、黄色い)

 なんですよね。

 だから、英語で、目玉焼きが sunny-side up なのは、まさに「玉子の黄身 = 黄色いおひさま」だから。
 むこうの人たちにとったら何をいまさらなことなんでしょうけど、こっちにしたら、白身の上の黄色い「目玉」が「おひさま」に見える、っていうのは、やっぱ、びっくりです。

 それはさておき、欧米のひとたちは、Solen er så rød といわれた時点で、「朝日?それとも夕日?」と迷うことはあっても、日本人であるあたくしのように「ひょっとしたら、日中の太陽かもしれない」なんて迷うことはまずないわけです。
 うわー……べつに恥ずかしがらなくてもいいのに、自分の迷いがちょっと恥ずかしい……なんか変な汗がでてきそうです。

 

 さらに、ここまでかいた時点で、こんなことにも気がついてしまいました。

 手のひらを太陽に、すかしてみれば〜♪

 何が見えるって、

 まーっかに流れる、ぼくの血潮〜♪

 です。
 そう、かの有名な「手のひらを太陽に」の一節です。

 このとき、日本人なら、「血潮の赤」と、手のひらをむこうから照らしている「燃えさかる昼間の太陽の赤」とが、無意識のうちにバチーン!とリンクして、元気がもりもり湧いてきたりします。
 だけど、欧米の人だと、赤い手のひらのむこうに黄色い太陽が見えるわけで……太陽の色が変わると、歌詞のあたえる印象がかなりかわってきますよね。

 その一方で、「青天白日」という表現もアリ、なのが日本人。
 この場合の「白」は、真昼の太陽が、実際に白く輝いていることと、清廉潔白の身であることとが響きあっているのですが……それにしても、太陽が赤いか、白いかでは、色が真逆でっせ!

 

・◇・◇・◇・

 

 この、太陽の色が赤いか黄色いかで七転八倒してたのが、去年の秋ぐらい。
 そのころちょうど、義父宅のツワブキが満開でして。

 日が斜めになり、陰りがちの庭に満ちる黄色い花。つやつやとした暗緑色の広い葉に照り映える様。

 たとえるなら、太陽が庭に降りてきたよう、と感じました。

 そのときは、黄色なのに太陽なんて、へんなのー……と笑ってしまいましたが、MondlySolen er gul のおかげで、それもまたありかなと、思うことができました。

 

 さて。
 今年のイースターは終わってしまいましたが、デンマークには、「イースター (påske)」の名を冠した花があります。

 påskelilje

 です。

 påske (イースター) + lilje (ユリ)、つまり「イースターのユリ」で、水仙の花のことです。
 オンライン辞書の Den danske ordbog によると、påskelilje は、

 高さ20〜50 cmの多年生の球根状の植物で、花には6つの黄色い花びらがあり、中央に大きなトランペット型の黄色い蜂の冠がある。

 Google翻訳のせいで文章がいささか妙なのはおいといて……påskelilje は、花が黄色です(厳密にいうと、花弁のほうが、やや色が薄いそうです)。日本でいうところのラッパスイセンにあたります。

 だけど、日本で水仙、というとすぐにイメージされるのは、白い花弁に、黄色い冠のニホンズイセンですよね。では、白花の水仙はどうよぶのか調べてみたら、pinselilje = クチベニスイセンが見つかりました。こちらは5月に咲くそうです。
 pinse も、キリスト教の行事「ペンテコステ」のことで、イースターから50日目の日曜日におこなわれるそうです。

 

 はなしをもどしまして。
 この påskelilje、ウィキペディアの記載によると、開花の時期は3月〜4月で、そもそもは野生で自生していたらしいです。そして現在、自生する個体の数は、減ってきているようです。

 春分が過ぎ、待望の太陽が夜よりながく地上を照らすようになる季節、それを待ちかねたようにデンマークの野に咲きみだれていたであろう、黄色い水仙の花。
 それはかつては、バラのように愛でられることもない、ただの雑草にすぎませんでした。
 だけど、誰かがその開花を見て、地上にも太陽があふれはじめたように感じた瞬間が、あったかもしれません。
 påskelilje という名は、そんな空想をかきたてます。

 

 さいごに、påskelilje のことを歌ったこの歌を……

 Påskeblomst! en dråbe stærk
    イースターの花よ!力強い(stærk)ひと滴を
 drak jeg af dit gule bæger,
    私は飲んだ、おまえの(dit)黄色い杯(bæger)から
 ※主語は jeg (私は)。目的語 en dråbe(= a drop)が先頭にきたので、動詞 drak (drikke の過去形)の後ろにさがっています。
 ※gul は、ここでは語尾変化して、gule となっています。

 もともとは、イエスの復活を主題とした、10連以上ある長大な詩です。この歌は、その詩のハイライトであるこの2行から、歌い始めます。
 この2行を理解するには、キリスト教の知識が必要なことはいうまでもありませんが、それについては今回はふれずに。ただ、作者の Grundtvig は、このとき不遇のただなかにいた、ということだけを覚えておいてください。

 太陽の力がよみがえる季節に咲く花、påskelilje
 太陽と同じ色、黄色の花からしたたりおちる、一滴の朝露。

 その滴を飲みほすことは、太陽そのものとよみがえりの力とをからだのなかに取り込むことにほかならないようにおもわれてなりません。

 

 もし、イエスの復活に対する信仰がこの世から失われても、

 Påskeblomst!
 en dråbe stærk drak jeg af dit gule bæger

 という歌声は、逆境からよみがえる人間のしぶとさ、生物としてそもそも備えている「打たれ強さ」への讃歌として、生き残っていくのではないでしょうか。

 偶然とはいえ、「手のひらを太陽に」も作者の不遇のなかから生まれ出でた詩です。
 そして、太陽と同じ色である赤い血の脈動を身の内に感じることが、「生きる」ということ自体を鼓舞してくれる。このことも、互いに響きあっています。

 ……まさか最後のシメに、「手のひらを太陽に」が再登場するとは、予想だにしていませんでした。

 この偶然に、驚きを禁じえません。

 



#SeptembersHimmelErSaBla #SolenErSaRod #PaskeLiljen   #PaskeBlomstHvadVilDuHer

いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。