八面玲瓏、春が来た
また前回のつづきになりますが……
結局、完全に春にるのはいつやねん?
……っちゅうのが、今年はきになってしかないっすよ。
で。
前回の記事を投稿して次の日くらいかな?
昨日よりえらくお日さまが明るくなったな
ってことにきがつきました。
照り方から弱さが消えて、くっきりはっきり花やかになった。
なんというか、「早春賦」の「まだかなまだかな……あともうすこし!」みたいな感じがキレイさっぱりなくなって、ああこりゃもうカンペキに「春のうららの隅田川」だな、と。
日の光自体に、満開の桜のような花やかさが感じられます。
小鳥の声が増えたな
と。
梅の頃のメジロ→下手くそのウグイス→上手になったウグイス、にくわえて、なんやわからんけど種類が増えたし、声を聞くこと自体もふえました。
しかも、全員もれなく声がかわいい!
冬は、朝だろうが昼間だろうが、カラスの声がめっちゃ冴えてカッコよかったのに、今はしまりなく聞こえてつまらないのもかえって可笑しくてグッド。なんちゅーか、とほほ感があって、それはそれでいい。
緊張感が緩んだな
ってのもあります。
やっぱ、冬は体が縮こまっているし、寒さに対してぴりぴりしてたんでしょうね。日なたで体を動かすと汗ばむこともある今は、暖かさに順応して、体がリラックスモードです。
また、目にはいる光も、いちだんと柔らかくなりました。
冬の夜空は星が綺麗ですが、おそらくはそれと同様の理由で、冬は昼間の光もキラキラとしてガラスのようでした。枯れ草や枯れ枝のいちいちが鏡のようにぴかぴかッと光を反射して、目も心も射られて……ものの輪郭が鮮やかで綺麗だけど気が抜けない、そんな感じでした。
だけど、春がすすむにつれて、光量は増えているはずなのに、ものの見え方はどんどんマイルドになっています。
冬の「うららか」と、春の「のどか」の違いはたぶんコレ↑、っていうのが、今年の発見です。
で、春は「のどか」をすぎたら、また冬とは違った「うららか」になる。これはもう、桜も春も全盛で全盛で眩しさと花やかさに圧倒される、という「うららか」。
なんか今日は木の新芽が多め
っていうのも、昨日きがついた。
初夏の若葉の季節の準備がもうはじまっとるんやね。
そういえば日差しも、うっかり間違えるとあと一歩で初夏のキツさ……ちょっと辟易してました。
……ていうことは、今がまさに、
完璧に、春来る
なんでしょうかね。
春が至る、ということは、一方で、初夏への転換、というあやうさもはらんでるみたいですね。
春の進展をはかる指標には、気温、明るさ、日の長さ、花の具合、芽吹きの具合、鳥の様子……等々があるだろうけど、それらをひっくるめて、
心身のリラックス具合
ってのが、最終的な決定打であるように感じています。
奥底に硬質な美しさを秘めた冬が、なにを見聞きしてもマシュマロタッチの春になるわけですから。
ふにふにふわふわの春に全面を取り囲まれたら、人間の心身も、ほわわわ~ん♪、になりますってば。
そのリラックスがピークに達したときが、きっと春が完全に来た瞬間です。
今日は朝から雨ですが、雨音も穏やかでしずかです。
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。