【31話】夫に支配されていた「生活圏」から脱出する
そんな時通訳アテンドとしての長期出張は私にとって好都合だった。フリーランスになって始めての大きな収入となり、夫に支配されていた箱から自由な気持ちが蘇ってきた。「経済的自立」は私にとって最も必要なものだった。
私の仕事は「タービントップ」と呼ばれる、パワープラント(発電所)の要のタービンを取り付ける日本からの監督でエンジニアの付き添いだ。日本の大企業から派遣されるエンジニア達はほとんど英語が皆無で、アメリカで生活を送るのに通訳サポートが必要だった。だからと言って、私は工業的な専門英語は全くわからない。通訳派遣会社の人は「それでも良い」と言ってくれたので、とりあえず「逃避行」のつもりで現地へ行った。
その小さな町にはわずか人口が400人だけ。ホテル住まいと言ってもまともなホテルは4軒しかない。それも全て二つ星程度だ。さらにレストランはたった4軒。私はキッチン付きの簡易ホテルに長期滞在する事になる。
私は、アメリカのど田舎で初めて建設現場で働き始めた。私が住むサンフランシスコやシリコンバレーを含む「ベイエリア」というエリアにはIT企業やスタートアップ、投資家’などホワイトカラーがうじゃうじゃいてドットコム、ITバブルのミリオネラーはそこらじゅうに居たが、「ブルーカラー」と呼ばれる人たちとの仕事は初めてだった。
全く畑違いの現場に最初は戸惑った。シリコンバレーのビジネスはアイデアやストックオプションで一晩に50億稼ぐ人も少なく無いのに対して、この建設現場で働く人たちは、ほとんどが時給。なのでここで働く人たちは裏と表が全くない。 人との付き合いはビジネスにつながるというベイエリアに対して、この人たちの仕事は、本物の人間同士の付き合いになる。
仕事は1日10時間。目覚ましを朝4時半にかけ、5時半に出かける勤務体制は夜人間の私にはとても辛かった。暗いうちに雪の中、職場へ向かうという日々が始まった。職場といってもコンテナ事務所だ。トイレも簡易だし、最初は泣き出したくなるような環境だった。それでもこれは「仕事」、お金を頂くとなれば気合は入るもの。コンテナ事務所は暖かかったが、工事現場はとても寒かった。
2週間目ともなると、日本人のエンジニアの仕事場である「タービントップ」チームと仲良くなり、今回チームのリーダーであるC氏は、この日本人のスペシャリストと常時連携する必要があったので、多くの時間をこのリーダーと一緒に過ごした。C氏は、私と歳が一緒で、ゴージャスなグリーンの瞳を持つなかなかハンサムな男性だった。テキサス出身で工事現場の人なので、ITやファイナンシャルトップ企業に勤めるベイエリアの人とも 夫とも全く違う種類の人だった。複雑怪奇でこだわりの夫と比べると単純で分かりやすい別世界の人という魅力もあった。
私たちタービンチームは時々、仕事が終わって会食をした。ほとんど毎日皆安いビールを飲み肉を食べる。今までの私には無かった単純食の繰り返し。でもその日の仕事をこなした後に飲むビールは格別だそうだ。私も(他に飲むものがないので)ビールを飲むようになった。
仕事が終われば寝るまでパソコンを見る事もない。飲んで肉を食べゆっくり過ごすという工事現場のライフスタイルを初めて味わった。それでも現場の人は皆明るく親切でコンピューターなど無縁の世界。「メールをしない夜」がこんな楽だとは思わなかった。
サンフランシスコ、ベイエリアでは経験したことがない、ブルーカラーの仕事、ただ1日をこなすだけの毎日。そんな人生を生きてる人が大勢いるんだと知った。普段はビールは飲まないのに、仕事を終えたら皆とビールが飲めるのが楽しみになった。そしてその夕食の席にはからなずチームリーダーのC氏がいた。 次第に田舎暮らしも暖かく居心地が良くなってきた。
その後通訳アテンドの仕事は個人契約に切り替わり、なんと、それから10年以上もX社と関わる事となる。