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#12 離婚から立ち直れない、私の中の“エンプティー”

4月、私は人生最も悲しいイベントの為、日本へ一時帰国した。離婚の最終整理をしに夫が住む東京に一週間滞在した。この時、夫もまた真剣に付き合っている彼女がいた。ほぼ同居をしているにもかかわらず、私が滞在する2週間、彼女は私達を二人きりにしてくれた。私は、「なんという理解ある彼女なんだろう」と感動した。


夫は私が帰ってきたのをとても喜んでくれ、毎晩私が作る料理を喜んでくれたり、彼も私に料理を作ってくれ(最後の)夫婦のような生活を過ごした。でも荷物の整理をしているうち、空しさと彼と別れるという現実に、毎日涙を流した。


その15年の重みは半端ではなかった。彼からもらった手紙やプレゼントなど、思い出が多すぎて、夫の私を想う優しさがあちこちに刻まれていて、感情を抑えることが出来なかった。でも彼は私よりも先に精神的なけじめをつけていた。新しい彼女も紹介されたし、家には彼女の趣味であろうハーブの鉢植えが幾つもあった。5月の一番心地よい陽気の中、心は寒かった。


夫は成田まで送ってくれた。「お互い第二の人生をしっかり送ろう。これからもずっと家族だからな」という言葉が最後だった。アメリカへ戻る飛行機の中でもずっと泣き続けた。書類のサインだけだが、法律的にもう彼が私と家族でないということがとても悲しかった。


出会ってから常にいっしょに過ごした18年間、そして14年間の結婚生活はサイン一つで消えてしまった。私の人間性を育てあげ、そしてアメリカ留学を全面的にサポートしてくれ、アメリカでの新しい生活が始まるまでの5年間を応援をしてくれた夫。


二十歳の時に出会い、共に劇団を立ち上げ、一緒に愛を育み成長してきた二人の歴史や愛情は消せるものではない。様々なシーンが走馬灯のように頭に浮かんでは、涙があとからあとから溢れてきた。私は夫に心からの「ありがとう」を繰り返しながら、次の人生のステップの準備は始めなければとサンフランシスコ空港に向かった。

5月、日本から帰った私を彼は懇親の笑顔で迎えてくれた。でも私の心はエンプティーだった。彼に触られるのもイヤなくらい、ずっと夫の事を考えていた。今まで私の人生に深くかかわってきた人間が私から遠ざかる。もう他人にもどってしまった現実をまだ信じたくなかった。

しばらく彼に笑顔も見せることができなかったのに、彼は私を無理やり抱いた。「思いやりがない人だ」と思った。また私の中の“エンプティー”を埋めるのにどうして良いか分からなかったが、彼は私がまた「別れる」と言い出すのではないかと心配していた。


彼は私が興味あるもの全てにチャレンジしていた。10歳の年の差はあまり感じなかったが、夜のアクティビティーは世代の違いで退屈だった。旅行やディナーの好みは一致していたが、夜、ダンスなど遊びに行きたい私と家で映画を観たい彼とは温度差があった。

当時サルサに夢中だった私といっしょに踊るために一緒に個人レッスンを受けたり、デートも几帳面にいろいろリサーチしてロマンチックな時間を演出してくれた。私に合わせてそうしてくれたのか、それとも独占欲でそうしたのか、今となってはわからない。

デートの時間を抑えるのはしなんの技だった。時には仕事のエスケープにもなったが、大概は負担になった。彼との時間を抑えるために女友達に会う事もできなかったし、許されなかった。


彼の歩み寄りとは裏腹に、私たちは真剣にデートをすればするほど、喧嘩が段々激しさを増していった。時には別れる、別れないの口論になった。ある日、彼に告げず他のパーティーに女友達と出かけた時、そのパーティーの証拠写真を突きつけられて責められ、恐怖を感じた。


私たちは真剣にデートをし、傷つけあい、泣き、孤独を感じ、また仲直りする、その繰り返しが数年続いた。

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