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前のめりの、新学期。特別支援学級の息子たちの様子。

「進級おめでとう」
黒板の左端に書かれた文字は、ちょっと見慣れない字体。
だけど、
新学期初日の、微妙に慌ただしくてむず痒いような、それでいてちょっとした緊張感の中で、いつもの特別学級の担任の先生が時折ひょっこり顔を出して、
「おはようございます!」と声をかけに来てくれる。

2クラスある特別支援学級には新6年生が4人いる。そのため、おそらく新6年生のサポートにも入るであろう特別学級担任の先生、それでいて、交流学級の新6年生の前年度の担任は退職したため、新任式&始業式前に声かけしてくれる先生がいない。
そのせいできっと、新6年生の教室と行ったり来たりしていて時折ひょっこりと様子を見に来てくれているんだな、と母は悟った。

「〇〇分になったら移動してね」
新任式&始業式は、生徒にとっても先生にとっても、大事な年度はじめの行事であり、大切な儀式。まずは、特別支援学級の生徒も交流学級の一員として式に参加する。その前に各学年の教室で一旦待機してからの、そののち体育館に移動する予定になっている。
話を聞いているようで聞いている、かと思えば本当に聞いていない発達凸凹くんたち。彼らの性質上仕方のないことだけど、何度も言わないといけないのは本当に大変なんだけど、ありがたいこと。

集団生活が割と大丈夫な次男は、新3年生。
学年に1クラスしかないこの学校の、新教室にも興味津々。学校に来てから何度も教室内を彷徨いている。春休み明けて久しぶりの同級生にいろいろと話しかけたりしてちょっと楽しそう。だけど、正式なクラスではないと認識しているのか、自席は一応あるがあまり寄り付かない。居場所がなさそうにしている、そんな様子にも見えるけど、そこはあえて本人にはスルーしとこう。

集団生活が本当に苦手な長男は、新6年生。
交流教室で待機、なんて滅相もない、そう思っているし、自分の活動の場所は支援学級の、この教室内だけだ、だから安心して学校に来られている、そう思っている。それは長男にとって、もう当たり前の認識。
それだから、体育館での儀式にも参加する気もないし、何のために参加しなくてはいけないのかと疑問にも思っている様子。
「6年生なんだし」「最高学年」「学校のリーダー」
という肩書きには、1ミリも傾かない。むしろ「だから何?」な感じ。
周りに流されて、やりたくもないことをやって嫌な思いをするよりだったら、自分の意思を持って行動ができることは素晴らしいこと!と言いたいところだけど、

新年度はじまりの大事な儀式、校内にいる生徒・先生・関係者が全員参加する儀式。その儀式にひとり「参加しません!」宣言をしている長男、、、
あなたに付き添える大人が校内にはいないのだよ。学校は生徒を一人で教室に残しておけないところなのよ。それなのに「一人でいいです」とは、なんとも悩ましいやつ!
それなので、前日に支援学級担任の先生よりお電話があり、
「離任式同様、付き添いをお願いできますか」
という依頼があって、母も一緒に登校、の新学期初日。

数日前にあった離任式のときも、ひとりで教室に待機させられないし、学校を去る先生へ最後の儀式は、もちろん先生方にとっても大切であり、全員参加で見送りたいのは、いち保護者としても理解できるから、学校側からの依頼に
「是非とも(長男の)見守りをさせてください」くらいの心持ちだった。

長男には
「母は何のために今日学校にきてるのか」
思い知らせるように話をしはじめると「あ、そうか」と、スッと立ち上がって急に歩き始め、着いた先は、体育館手前の廊下。
「ここなら中の声が聞こえる」
ちょっと肌寒い廊下から体育館の様子を覗き見してたっけ。

様子を伺うために佇んでいるその場所で、離任式の会場に入場する先生方に思いがけず挨拶できたのも、貴重な時間だった。
長男の担任ではなかったが、もうひとつの支援学級で担任していた先生が退職されるのはその日初めて知って、突然の別れに母が涙してしまったけど、その先生から長男に
「好きなこと思い切りやりなさい。それがあなたの自信になるから」と
力強いお言葉をいただいたときの、ピシッと背筋を伸ばして「はい!」と返事した凛々しい表情の息子にさらにウルウルしてしまって。
こう真剣に話を聞ける姿に成長を感じる。

さて、新任式&始業式は、母がいるということで学年での行動ができなくなってしまった次男と、集団が苦手で式にも参加するつもりもなかった長男を連れて、全校生徒が入場する前の準備中の体育館に一足先に潜入し、勝手に2階に親子席を設けさせていただき、静かにその時を待つことに。

我々がここですでに待機を始めたことによって、全員参加が実現できることは、まずひとつ嬉しいこと!
離任式と違って今回は目で見ることもできる。よりもっと具体的にその場の空気を肌で感じることができるのは、体のいろんなところにいい刺激となりうる。これが五感で感じられるところの体感。

それからしばらくして全校生徒が、先生たちが体育館に集合し、式が始まる。
新任職員の紹介、挨拶、それから改めて始業式があって、学級担任の発表。ランダムにステージ下に並ぶ先生たち。教頭先生から学級ごとに担任の発表がある。
6年生は発表と同時に歓喜の声!盛大に喜んでいる。異動で来たばかり、しかもついさっき紹介された先生にだって、よくそこまで感情をむき出しにできるのか不思議だった。けど、6年生が担任の発表のときに、あれだけ盛り上がれるのは、来年の6年生の見本になってるのかもしれないし、「先生ウェルカム!」は見ていてなんとも嬉しい瞬間だった。

そのあとそこで我が息子たちの担任が変わった事実を知る。教室の黒板に書かれていた文字は間違いなく見慣れない字体だったことは確かなんだ。とはいえ、他の保護者よりも早く私が知ってしまっていいものか、なんとも言えない罪悪感も感じつつ。
それから、新しい日々が始まることのワクワク感。それと同時に、これまでの支援学級での生活が変わることで、変化が苦手な息子たちがどこまで対応できるのか急に不安にもなった。

とはいえ、その不安、すぐに消えて忘れてしまった。
ということは、わたしにしてみれば大したことなかったのかもしれない。けど、やっぱり心配事の9割は現実には起こらないからすぐに忘れてしまった、ということになるのか。ま、心配したってどうしようもないってことなんだろうけど、あれこれ不要な心配が多いのがお母さんという生き物なのかも。

それから程なくして集会は終了し、大勢が苦手な長男のために一番最後に体育館を出ようと思っていた矢先、新しく担任になった先生が体育館の2階に向かって声をかけてくれるので、大急ぎで階段をかけ降りる。退場する児童がわやわやしているなか、初めまして、の挨拶もほとんど省略して、とにかく教室へ。
「どのルートで行ったら教室まで早く着けるかな?来たばっかりでわからないから教えてくれない?」
新しい担任の先生がいい感じにコミニュケーションを取ってくれ、反応良く息子たちもレスポンスできる。大人が相手だとそのあたりの交流はスムーズ。

教室に着いてからも何とも言えない絶妙な間合い、多動性の子供たちに丁度いい(ような気がする)スピード感、注意欠如を感じさせなくする会話力、なんかいろいろ新鮮でいい!と勝手に母は教室内でのやりとりを眺めて感動していた。

先生が主導で時間が過ぎていく。
新しく担任になった支援学級の先生は、前任校では中学校の自閉児童と過ごしてきたとのこと。そして、自閉症学級の担任も長く持っていて、扱いは慣れている、そうお話しされていた。もうそれだけで母は安心の眼差し。それだけではなく、昨年度は女性教師だったのが今回は男性教師、というのもあって、この特別支援学級は男だらけ、それでいて不思議と連帯感が生まれているように、もうすでに感じる。

絵が描かれたカードを見ながらの授業も、挙手や返事の仕方を練習だったり、発言する時のルールなど、どれも低学年から学ぶべきことを改めて指導してくださっていて、学年の差はあるものの、自然と引き込まれて、自然とやれるようになっていて、久々に(!)子どもたちの小学生らしさを感じる。そして、我が子ながらかっこよくスマートに見える。これぞ〈授業〉って感じ。

今までは子供たちの様子や状態を見つつ、ノートやプリントを各自やって、終わればその時間は自由時間となり、教室内でキャッチボールが始まったり、趣味に没頭したりというそれぞれのスタイルだったから、特に学校に行く必要ないじゃん、って思っていた、特に私が。無理やり登校させられてイライラ引きずって、だけど学校のルールに押し込められてさらにイライラが爆発して、「お母さんの手助けが必要です」って出動要請かけられて、イライラが収まらない息子とやり合って、結局早退させられて、、、そうした中でも家にいたら、学校でやってるはずのノートはとても捗ってたくさん進められるのだから、当然学校に行かなくてもいい条件が揃っていた。

だけど、今回は違う。先生によって考え方も捉え方も見方もやり方も違う。
教室内の一体感が、初日のはずなのに、違う。

いや、初日だからなのか。
数日してくると慣れてきていつもと同じ、に戻ってしまうのかもしれない。そうだとしても、いろいろ新しいから、面白い。

先生が話しているうち次男が、座っているのに椅子の座面に膝を立てるように座り直し、机に乗りかかる。落ち着きがないようにも見える。だけど、面白がって発言もしている様子に、
「今ね、こんな姿勢しているけど、普通なら『ちゃんと座りなさい』ってところだけど、これ、本人とても前のめりなんですよ」
と先生から説明が入る。
多動性の子はよくこんなふうにして動いてしまうけど、止めようとしたってやめられないもんなんです。これはいいこと。だと解説してくれる。
それからも、子供たちとの授業をしていく中で、要所要所で先生の解説が入り、普段発達凸凹の息子たちと暮らしている日々で当り前にわかっちゃいることも、「そうそう」と見直しすることができて、息子たちの様子も改めて理解できる。
親にも子にも分かりみが深い。

前担任から申し送られていた、長男の集団が苦手なので下校時は他の生徒より先に帰らないといけない、は初日から遂行されて、
「全校生徒の下校時間は○時○分ですが、君たちにはその5分前に下校してもらおうと考えています」
そんな風に説明があれば「うんうん」と力強く頷いて意思表示する長男。自分の命に関わる重要な情報であるため、より真剣。そんな反応にも「思った通り」のご様子の新担任。
先生がなぜそんな反応になったのか理解できてない次男には、後ろで見ている母がフォロー。それだけで安泰。

新学期初めての日。いつもの教室も特別新しい景色に見える初日。小さないつもと違う、が苦手な発達凸凹兄弟たちにも、いつもと同じの要素が多いと少し安心なのか、割と荒れないで済んだ初日は、一緒に登校して過ごした母も子どもたちと一緒に〈安心〉で終了することができた。
だけど、やっぱり新しい環境なのは事実。
彼らの特性もよく理解されているとはいえ、十人十色であり、症状も性格も個性も多様。統計的には対応できるでしょうけど、一緒に暮らしてみないと分からないところもあるし、具体的な対策も不明。お互いにトライ&エラーが多発しそうだけど、母もちょっぴり前のめりで新しい日々を一緒に楽しめたら面白みが増えるだろうなぁ、と思う。

人生は挑戦と失敗の繰り返し。成功だけではやり直すことはしないものだし、失敗があるからこそ、いろんな感情になりながらももう一回できて、興味が出てくるもんなんじゃないかな。そんな面からしても、最初から失敗を回避することに拘らないほうがいいのかも。つい苦手なことや嫌なことを見ないようにして離れてしまいがちだけども。

息子のトラブル続きで特に私がイライラしていた時もあったけど、ちょっと落ち着いた今は「失敗してから考えよう」と思える余裕も出てきた。悪いときがずっと続くわけじゃない、そう思うこともできる。だって、今ちょっと落ち着いているし、トラブル起きてないし、もう起こらないかもだし。

だからこそ、思いきって「いつもと同じ」から飛び出してみるのも案外いいこともある。
いつもと同じなのは安定感があって、間違いがない。だけど、マンネリしてしまう事も否定できない。たまには違ったことをするのも新鮮で気持ちがキラキラして不思議とニヤニヤしてくる。それっていい表情なのかな?知らんけど笑

とはいえ、初日の前のめり感、子どもたちの様子を実際目の当たりにしてみて母としてはかなり安心。母子登校は嫌だけど、先生との関係もすぐに感じ取れたから、新学期の不安要素は大きく取り除かれたような気になった。なので、かなりホッとした。
帰りもいい流れのまま下校になったので、緊張の初日は『大成功』テッテレー☆な感じ。外は雨ふりだったけど、子どもたちのご機嫌で、心の中は、晴れてワクワク。

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