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一人で自分に向き合う場面


かなりの年月を生きてきたけど、なかなか一人で自分に向き合う場面って、日常の中で作り出し難いものです。


【逃げながら探しながら、まだまだ続く物語。】

かなりの年月を生きてきたけど、なかなか一人で自分に向き合う場面って、日常の中で作り出し難いものです。

学校や会社では話を合わせてても、一人になったらムカツクと思う人もいれば、集団の中には溶け込めなくても、一人になるとやたらテンションの高い人もいたりすると思います。

だから、私は、ひとりになって、何かと向き合おうとした場合、パソコンの前の自分が一人になったときの性格が一番表に出やすいのではないだろうかという意見に賛成です。

そのひとつの手段として、noteやブログを書く行為は、自分との対話になるのではないでしょうか?

あるテーマに対して、自分は、その時分、どんな視点で、何を見て、何を思ったかを、言葉にすることで、自分の考えが明確化されてくるのだと思います。

そして、数ヶ月間noteやブログを書き続けたら、次は読み返してみることによって、自分は何に影響され、どのように変わってきたかが見えてくるのではないでしょうか。

自分を表現するのに、どのような言葉を使っているかを知ることによって、そこに、本当の自分がいるのだと感じます。

そう、今日の自分は今日でおしまい。

明日はまた新しい自分がうまれてくる。

一日が一生なんでしょうね(^^)

今日失敗したからって、へなへなすることもないし、落ち込むこともない。

明日はまた新しい人生が生まれてくるんじゃないかって思えれば、違った視点で世界を見る事が出来ると思います。

それには、今日を大切にしなかったら、明日はありませんよってことでもあるから、注意しなければ^^;

そう、今が一番大切だってこと。

今自分がやっていることを一生懸命、忠実にやることが一番いいんじゃないかなって思います。

昨日のわたしと、今日のわたし。

たいして変わらないように思えても、確実にどこかが違います。

日付が一枚新しくなれば、わたしも一枚あたらしくなる。

日々の小さな変化、正確にいえば成長のようなものに意識を傾けるかどうかで、もしかすると、人生はずいぶん変わるのかもしれません。

何かを変えたいとき、一日ですべてを変えることはできないけれど、欲しいもの、叶えたい夢があるとき、一足飛びに手に入れることは無理だけど、新しい自分に向き合って、「よしよし」と思えることは大事だと思いませんか?

それはきっと、小さな前進につながるはずです。

決して、とくべつである必要はなくて、毎日一枚、ちゃんと新しくなっていれば十分だと思うんですよね(^^)/

だから、noteやブログにしても、その日その日が第一日目であり、あるテーマに古いも新しいもありません。

なぜならば、ある人にとって古いテーマであっても、別の人にとっては新鮮で重宝するテーマになるかもしれませんよね。

例え騙りつくされたテーマであったとしても、その人にとっては初めて述べることかもしれないのだから、同じものを同じように捕らえたとしても、知っているといった事実に対して、それを自分の言葉にした後では、全然違うものだと思います。

今日も明日も、誰かにとっては、あるテーマに対しての第一日目なのだと思います。

だから、常に白紙の状態でいたいなって思っています。

あたりまえと思っていたこと、自分の中では決まってしまったものでも、新しい視点から見たら違う発想が出てくる新鮮さを、常に持ち続けていたいですよね。

その過程で、自分を発見していけるような気がしています。

普段考えていることや口にしていることも言葉にすることによって形になり、読み返すことでその形を正確に理解できる様になってきます。

また、例えばnoteやブログを書く行為自体は、たいてい「現在」を語ることが中心になるため、時系列に並んだ記事が、自分史を形成してくれることにつながっていきます。

人はたいてい、思っている以上に自分のことを知らないものです。

漠然と○○の分野に興味があると思うよりも、実際に言葉に書き出してみないと分からないことの方が多いと思うんですよね。

そこで、noteやブログに自分が興味を持って感心を寄せている「今」、まさにホットな話題を書きとめていれば、いつかそれを読み返したとき、ひとつひとつの記事から過去の自分を知り、それを繋げることで自分の変化を知ることができるのではないかって思っています。

そのとき、自分の夢や目標が定まっていたら、自分が作った道が目標に向かっているか確認してみることによって、次に何をしたら良いのかが見えてくるのだと思われます。

noteやブログは読み返すことに価値があるんですよね。

また、自分の話す言葉がただ放すだけの言葉であってはまずいので、話す前の予習として、いろんな場面を想定して、書くことで、言葉の意味づけを確かなものにし、読み返すことで、更に、自分の血肉とすることができるのではいかと思います。

しかし、それを自分のことばで書くことは非常に難しいものです。

考えは、ことばにして初めて形になります。

注意したい事は、書かれていない事は無いのと同じであり、思っているだけでは、いずれ過去に流されて無に帰してしまう可能性が高いってこと。

ただ、noteやブログを書くといっても、最適な手順が存在するわけではなく、目的も書かれているわけではありません。

自分が書くひとつひとつの「ことば」によってできていくものであり、それはきっと、自分自身のためになるのだと思って続けています。

そう、想っているだけでは何も伝わらないし、ことばにして初めて、何かが動き出すのだってことを、忘れないでいたいですよね。

そんな風に考えてみると、noteやブログの最大の特徴は、やっぱり、時系列であるんじゃないかなって、そう考えています。

まずは、自分をことばにすることで自分を認識・理解することが一番重要であると思います。

だから、よく個性って言いますが、例えば、個性というのは、同じテーマについて語った時、同じことをやったときに出てくるものではないでしょうか。

他の人と同じことをやったときに、自分と他者の間に感じた差異、あるいは同じこと、それらが個性なんじゃないかって気がします。

つまり、個性とは自分を認識すること、そして他者を認識することであり、昨今の個性尊重のゆとり教育は明らかにおかしいと思います。

必要なのは、まず、習うより慣れろ的に、型を早く身につけることだと思うんですよね。

最初は、誰でも模倣することで、いろんな型を身につけていくんじゃないでしょうか。

基本ができて応用が存在するのであって、個性だって突然見つかるものじゃありませんよね。

気がついたらそれが個性だったと認識する方が多い分けだから、型を覚えるうちに、ここはこうしたらいいのではないかと試行錯誤をしていく過程において、個性が生まれてくるのだと思います。

そうであれば、既に自分のこのnoteにも個性が存在している分けだから、あとは、その個性に気づいて、それを伸ばし続けていけばいいだけですよね(^^)

この世で一番難しいものは、ゼロを1に変えることです。

そう、言い換えれば、最初の一歩目を、踏み出すこと。

noteやブログを更新するのって、日々、この最初の一歩を踏み出していることに他ならず、その行為が記事を更新する行為に当たると思います。

だから、毎日、新しい自分になっていることを確かめる目的もあって、私は、自分のnoteを更新するのが大好きです(^^)

更新数が多いので、別なところでご迷惑をお掛けしていると思いますが、何卒、ご容赦願いますm(_ _)m

更新を楽しんでいることが読者に伝わることって、その記事を書いている本人にとっては、とても幸せなことなんじゃないかって気がしますが、いかがでしょうか?

何事も楽しむためには、楽しむ能力が必要であり、それは、自分が楽しんでいる姿を見せることができるかどうかです(^^)

折角、noteやブログをやっているのなら、記事を更新することを楽しまないと、ね(ニヤリ)

本棚を見るとそのひとの頭の中がわかるといわれ、読書歴を聞けば、そのひとの人となりがわかるものだといわれていますが、noteやブログの更新履歴も同じなんでしょうね。

noteやブログ道を歩むのは、なかなか非常に厳しい道のりではありますが、だからこそ、毎日一歩一歩を踏みしめて歩く必要があるのだと思います。

私のジャンクボックス的noteを、これからも、どうか、末永く、宜しくお願い申し上げます。

本noteを御贔屓にして頂いているフォロワーのみんなさん、また、お立ち寄り頂いたみなさんの明日に、幸多からんことを祈っています(^^)

くれぐれも、ご自愛ください。

【関連記事】

noteのつきあい方について
https://note.com/bax36410/n/nb79118b92c6c

「書く」
https://note.com/bax36410/n/n908b3e9cc6ca

書くことは考えること
https://note.com/bax36410/n/n9eba68b793e4

テーマまたは主題の内容におけるレポートの出来具合は如何に?
https://note.com/bax36410/m/mb6dfe71dc72a

【参考図書】

「にげてさがして」ヨシタケシンスケ(著)

世の中には、色んな人がいる。

得意な事だって、苦手な事だって、みんなちがう。

きみだって、そうだ。

だけど、想像力を使うのが苦手な人がいて、時にひどいことを言ってきたりすることがある。

もしきみが、そういう人にひどいことをされてしまった時。

するべきことは一つしかない。

とにかく、その場から逃げること。

きみの足は、そのためについている。

一方で、世の中には、優しい人もたくさんいる。

だからこそ、きみは探しに行かなくてはいけない。

自分で動いて、自分で考えて、自分で決めて。

逃げて、探して、動いて、動いて……。

逃げずに戦うことも大事だけれど、逃げることで新しい可能性に出会えることだってある。

子どもたちも、大人たちも、みんなには、両方の道を知っていてほしい。

読み終わっても、まだまだ続く物語。

どうか、きみのことを探している人を、きみが見つけることができますように(^^)

【おまけ:新しい自分に出会える(かもしれない@ヨシタケシンスケさん風)楽曲たち(^^)】

<2024年1月>
未来古代楽団 feat. 安次嶺希和子「吸って、吐く」

SawanoHiroyuki[nZk]:Laco「Hands Up to the Sky」

未来古代楽団 feat. Lucia「もろびと」


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