見出し画像

励ましの言葉って難しい

 他人のことを正確に理解するのは難しい。相手がどんなことを考えているのか、想像はできる。ただ、そこから一歩踏み込んで理解するにまで至るのは難しい。

 今日、友人が落ち込んでいる現場に遭遇した。友人の想定とは大きく異なる結果を受けてショックを受けていた。直前までは仲良く話をしていたのに。そんな友人が落ち込む様子をそばで見ていて、かける言葉がなかった。

 昔から私は落ち込んでいる人を励ますのが苦手だった。妹が行きたかったライブに行けず泣いていたときも。高校入試に落ちた友人がいたときも。同じ大学を目指していて、私だけが受かり友人が落ちてしまったときも。
 落ち込んでいる人を励ますのが理由なのは、その人のことを正確に理解できてないからだ。その人がショックを受けているのと同じくらい、自分もショックを受けていないからだ。わかったつもりになって、辛いよねとか、気持ちはわかるよとか、言えない。私は私であり、他人は他人だ。中途半端な共感は、私がされたくない。私がされたくないことを、他人にしてあげようとは思えないのだ。

 落ち込んでいる人はどんな言葉をかけられたいのか。もし、私がそのような状況に陥ったら、一人にしてほしいと思うだろう。一人になって、もう消えてしまえるんじゃないかと思うくらい、空っぽになりたい。一度空っぽになってから、必要なものを拾いなおしたい。そうして、落ち込む前の自分に戻るのだろう。

 現状を良しとしている人間を変えようとするのは不可能に近い。現状に不満があっても、その人間に立ち上がる気力がないのなら、まだ不可能だろう。落ち込んでいる状態から、立ち上がろうと手を伸ばしたとき、ようやくその人の手を引っ張ることができるのだと思う。その人が立ち上がろうとするまで、できることはきっとない。

 それでも、落ち込んでいる人がいたら、何かできることはないかと考えてしまう。私は落ち込んでいる時は構わないでくれと思うが、他人には何かしてあげれることがあるんじゃないか。けど、今までに上手くいった例がない。
 そのときは、実際に何かをしてあげるのではなく、「手伝えることがあれば手伝うよ」という意思を示すべきだ。辛いなら話を聞くよみたいな具体的な内容ではなく、あえて抽象的にすることで、相手の重荷にならないようにする。相手の心の中に踏み込むのではなく、少し距離をとって接する。

 今の私が、落ち込んでいる人にできるのはこれくらいしかない。わずかな配慮かもしれないが、この配慮が少しでも助けになっているといいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?