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隔靴搔痒

 隔靴搔痒(かっかそうよう)。最初にこの言葉を見たとき、読み方がまったくわからなかった。靴を隔てて痒いところを掻く。靴の上からではうまく掻けず、もどかしいという意味らしい。

 何かを隔ててしまうと、精度が大きく落ちてしまう。伝言ゲームがいい例だ。短い言葉でも、多くの人数を介して伝えると、内容が大きく変わってしまう。
 アルバイトをしていた時にはよく、指示のまた聞きをするなとよく言われた。確かに、仕事の指示となると内容も複雑になるため、直接指示を受け取る必要がある。
 しかし、アルバイト時は電話で職員のかたとやり取りしていたので、わからない内容を端的にわかりやすく伝えるのはかなり難しかった。
 塾講師として働いていたため、毎回の授業で配付物を配る必要があった。その際に、伝えなければいけないこと、生徒から回収しないといけないものを電話で確認をしていた。配布物が多いときほど、確認に時間がかかる。その職員さんは厳しいかただったため、配付物の説明に関して、詳しく説明してくれたのも時間がかかる要因だった。
 電話での会話は得意ではない。目の前に相手がいれば手元を見せるだけでいいのだが、電話越しでの確認は様々な点に気を付ける必要がある。

 手を伸ばすと届く距離に相手がいるというのは、精神的にも話しやすい。私はあまり相手の目を見ながら話すのが苦手だが、それでも目の前に相手がいる方が良い。
 今のご時世、電話という便利なものは普及しきっていて、いろいろなSNSで簡単に相手とつながることができる。
 ただ、SNSはインターネットを隔ててしかつながることができない。ビデオ通話という文明の利器はあれど、相手と直に顔を合わせるのは難しい。

 逆に、何かを隔ててコミュニケーションをしたほうが良い場合も存在する。間に何かを挟むことで、コミュニケーションの敷居が下がるからだ。
 会ったこともない人といきなり待ち合わせで会うのはなかなか勇気がいる。しかし、文面だけのやりとりは、お互いの間に大きな隔たりがある。声も、しぐさも表情も、相手に伝わらない。文章だけしか相手に伝わらないので気楽ではある。

 ただ、楽なコミュニケーションを選んでいると、上手く相手に意図が伝わらなかったりする。隔靴掻痒。もどかしいときは、思い切ってその人に会いに行くべきなのかもしれない。
 
 


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