もうちょっとだけみんなで迷惑をかけあう社会はどうかなぁ
おはようございます、チューバ奏者、指揮者、金管バンド専門家の河野一之です。
もくじ
小さい頃から「人の迷惑にならないようにね」と大体の日本人は習いながら成長する。この考えは素晴らしいと思うし、この国をより豊かにしているのはこういう我々日本人の多くが持つ道徳精神だったり国民性だとも思う。
実際に僕がイギリスや他の国に滞在していた時も日本のような事細かに行き届いたサービスをあまりみたことがないし、(日本に比べて)不便だなと思う部分ももちろんあった。なので第一に僕はこの母国が好きだと書いておく。
でも今日の問題定義はそれにしても
もうちょっとだけみんなで迷惑をかけあう社会はどう?
僕らの日本では「迷惑をかけないように」という良い言い方をすればお互いへの配慮、悪い言い方をすれば監視社会でできている。
例えばバスや電車などの誰もが使う公共の場所で自分たちだけのために場所を取ったり、公共の場で他の人もいる中で大声で喋ったりする人がいないのは上のお互いへの配慮のためだ。
こういう出来るだけ多くの人が気持ちよく使ったり、過ごしたりするのに必要な配慮はもちろんとても良いことだと思う。
でもこの「迷惑をかけないように」が呪いのような効果をだしHELPが出せない人も生まれてしまっているのも事実だ。
手伝ってください。
助けてください。
少し待ってください。
これ以上できません。
無理です。
そんなにできません。
こういった助けてのHELPサインやNOという拒絶の言葉が「迷惑をかけないように」という言葉の呪いで言えなく結局身を滅ぼしてしまう人もいる。「迷惑をかけるくらいなら自分を犠牲にします」の精神だ。
21世紀のこの国は徹底的だ。何かが流行れば極限までみな流行に乗り、何かが廃れればみんなで一斉にやめる。迷惑をかけないようにの言葉も極限まで人々は迷惑をかけないようにと必死に生きる。まるで「迷惑をかけないように生きること」が人生の命題であるかのようにだ。
しかも真面目で人の言うことをよく聞ける人ほどこうなる。
インドの言葉
インドの言葉で
「人には必ず迷惑をかけるものなのだから、あなたも他の人を許してあげなさい。」
というものがあるそうだ。
第一に今の僕ではインドで暮らしていけるわけはないと思っていると言う事実の元書くけど、それでもこのインドの教えは面白いと思った。
・迷惑をかけないように、ビクビクオドオド自分を殺して生きろと聞こえやすい日本の教え
・迷惑をかけないなんてことあるわけないんだから、人の失敗も許しなさいと教えるインドの教え
完全に人によると思うし、ネットやTVで見るインドの様子で「いやいや、もうちょいだけちゃんとしようよ」と思う僕もいる。だけど
日本はもう少し人の失敗に寛容に
インドはもう少しそれぞれちゃんとしようか
ここらへんが妥当かと思う。
もう少し他の例を出すと、イギリスも人の失敗に日本よりは寛容である。しかも自分自身の失敗に関しても「It's not my day」の一言で終わりだ。今日はツいてなかった、それぐらいの感覚だろう。
場合にもよるが人のことについても、no worry! It'll be good next time!のように次はどうにかなるさ、気にしない!で済む
少しぐらい電車が遅れようが、宅急便がどこかにいようが、イライラも怒りもするがそもそもサービスを提供する側のお店やサービス店が日本のように過剰なまでに謝罪を行ったりギスギスしたりはしない客と店側がフェアであるのでお互いのミスに一々目くじらを立てても仕方のないことをわかっている。
まとめ
決して海外のようになるべきだ!!!という隣の芝生は青い感覚は一切ないが、それにしてもちょっと
「日本厳しくない?」
と思うことがよくある。僕より若い20代の方々と話しても
「失敗が怖い」
だから行動ができない
という人を多く聞く。
失敗したって爆笑したり、はい次ー!と次に向かっていける環境やお互いを励まし合い相互に成長させていけるような環境にもっとなると良いなと思う。
繰り返しになるがもう少しだけ日本も緩めてあげたらどうかなと思うだけだ。
そうしたら日本人の中にもたくさんそれぞれいる個性豊かな日本人同士がみんなで息をしやすく生きやすくなるんじゃないかと常々思う。
結局一番大切なものさえ守れれば、なんでも良いのだ。
Thank you
Kazz
サポートして頂いた支援は全て金管楽器や金管バンドの奏法の研究、音楽を使ったエンターテイメントの発展に使用させていただきます。