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知らないことに批判的になるな

僕も年を重ねて行くにつれこの兆候が見られたので一切合切捨てるようにしているのだけど(自分の直感とは別な部分ね)

なぜか人は、特に大人は自分が知らないこと、やったことがないこと=
悪、良くない事
と感じやすい

例えば僕たち音楽家も、なんの仕事してるの?「フリーランスの仕事です、音楽系の」と言うか、「個人事業主で音楽教育活動や、事務所に所属し演奏の仕事をしています」と言うかでは一般の人たちの反応は全く違う。

フリーランス?フラフラ低収入でよくわかんない仕事してるんじゃないの?こんな感じに思われる。

我が家の祖母でさえいつも家にいる僕は部屋で遊んでいるように見えることもあったようで、何度か説明し在宅の仕事もあること、もし遊んでいるだけだったら誰が家のローンや公共料金を支払っているのか?と問い、脳の皺を増やす作業を手伝ってあげた。

金管バンドの話をする際も、こちらがちゃんと説明するまで批判的な態度をとる人が多い、多くの場合その人が知っていそうなものと関連付けて話してあげる必要がある。よくあるのは吹奏楽とかオーケストラとの関連付けやイギリスやヨーロッパの知ってる国名を出しての説明だ。

このように僕らは往往にして批判的になりやすい。なぜだろう。

・知らないことへの誤解から生まれる批判
・自分が知らないことをやっている”人”への信頼がないゆえの批判
・知らないことをすでにやっている人への憧れ

こんな感じ。

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自分が知っているものだけで構築されている世界で生きている方が安心はできる。だって未知のものがないから良いも悪いも全部知っている

でも知らないものというのは良いも悪いもどっちに転ぶかわからない、なのでその不安から批判的になりやすいのだ。

また幼い頃、挑戦をしたり新しいことをしてみたときに親に怒られる。またはそれを失敗した時にも怒られてきた場合

・新しいこと=やったことがないこと=知らないことをすることは悪いこと
・失敗すること=失敗する可能性のあること=不確実なことは悪いこと

という風に心に叩き込まれる。こうすることで知らないことへの恐怖や批判は箸で食べ物を口内に運べば自動で噛み食道に流し込むのと同じように極自然に発動する。

これがわかれば知らないことに批判的になりそうになった時に今まで自動で発動していたその条件が意識化され改善することができる。そうでなければ秒速で変化し続けるこの世界の中で、石橋を叩き続けるだけの人生になるかもしれない。

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始めスマフォが出始めていた頃、僕もガラケーの方が良いと盲信していた。それはこれまで使っていた安心感があったからだ、でももう今はガラケーには戻れない、戻ったら仕事にならないというぐらい当時未知のものであったスマフォは僕の生活に必要なものになっている。

なんでもそう、通販だって昔は怪しくて怪しくて仕方のなかったことだったけど、今Amazonがどれほど売り上げをあげているか

今新しく出てきたものを不信感や批判的な感情だけで判断しないように

知らないなら調べる、知る、そして誰が言っている関係なしにフェアな視線で良い悪いは判断すべきである。

そうしないと自分の世界は良くも悪くも永遠に今のまま、でも少なくとも世界は変わりまくっているから少しづつ悪くなっていくだろう

変化なくして進化なし

今日はそんな話
ご読了ありがとうございました。


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