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留学してドラァグクイーンと2年間同居したら思考が開けた話

突然ですが、学部留学後半の2年間、わたしはドラァグクイーンとハウスシェアをしていました。

以前イギリス留学における住宅事情の記事に書いたように、わたしは1年目は寮生活、2年目以降はハウスシェアという「イギリス大学生鉄板ルート」をたどりました。留学生活の始めの頃、ペアでのプレゼンで組んだエイミー(Amy)という女の子に誘ってもらって、ただ流れに身をまかせて話に乗った形でのシェアでした。エイミーは同じ学年のダニエル(Daniel)と既に寮でフラットメイトだったので、その流れで3人で住める家を探し、一緒に住むことになりました。

初対面の瞬間から、ダニエルはいわゆるテンプレ的なオネエ感全開のゲイでした。気さくでオシャレだし、高所恐怖症で高いところですぐ誰かに抱きついちゃうし、女子と打ち解けるほうが早かったし、毎日のようにクラブで飲み踊りまくっている子でした。「わたしヘアメイクやってたんだよねぇ」と言いながら舞台の小道具を作っていたのを見たときは「手先が器用だなぁ」なんて関心したし、別のクラスメイトから「ダニエルって、ウィッグ作って売る副業してるんだって」と聞いたときには「なるほど似合うな」と思ったものでした。けれどこの頃は、まさかダニエルがほんまもんのドラァグクイーンだとは想像すらしていませんでした。

そもそもイギリスのドラマスクールに入学した時点で、わたしはあまりのジェンダー/セクシュアリティ的ダイバーシティの身近さに驚きを隠せずにいました。誤解を恐れずに言うと、渡英前だって恋愛は必ずしも男女間ではなくてはならないだなんて微塵も思っていたつもりはありません。小学生のときに友達にBLライトノベルを貸されてその世界に触れていたし(早いというツッコミはなし)、女子校生活の中でバイセクシュアルを公言するクラスメイトも見ていたし。それでも2010年手前ごろ高3のとき、試験に向かう朝早い新宿駅でおじさま2人の超濃厚なキスシーンを目撃したときは心底びっくりしたし、大学時代の親友が「この間サークルの友達がゲイのカミングアウトしてくれてさ」と話してくれたときは、すごくレアなことを聞いたような気持ちになりました。明確な偏見や差別意識を持っていたつもりはないけれど、「同性愛や性転換はどことなく遠い世界のもの」という認識が潜在的にあったのでしょう。

だからドラマスクールに入って「むしろストレート・シングルの男子を探すほうが難しい」と発見したときは、文字通り衝撃でした。「よくアート・ファッション系はゲイが多いっていうけど本当なんだなぁ」と妙に納得したくらいです。加えて単にゲイの友達ができただけでなく、レズビアンカップルの先輩&後輩ができたり、身近な友達がバイセクシュアルだったり、「チャーリーは性自認が中性だから、ここはMissじゃなくてMx使ってね」と教えてもらったり、he/sheを使うかtheyを使うかで議論したり、研修で携わったオペラ「シンデレラ」のいじわるな継姉の1人がトランスジェンダーのソプラノ(要するに元生物学的男性)だったりと、とにかくありとあらゆる性の価値観と日常的に触れ合うようになりました。自分に偏見や差別意識がなかったつもりでいたけれど、自分はこれまでなんて狭い視界で生きていたんだろう、と気付かされたわけです。

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話をダニエル・エイミーとの同居生活に戻しましょう。わたしが初めてダニエルが「ほんまもんのドラァグクイーン」だと知ったのは同居をはじめてからです。いや、もしかしたら前から聞かされていたけれど、留学1年目の曖昧な英会話力のおかげで実際に見るまであまりちゃんと理解していなかったのかもしれません。荷物を運び終えて、新居祝いでリビングルームで飲み始めると、ダニエルはおもむろに自分の荷物からありとあらゆる「ドラァグアイテム」を持ってきました。ウィッグを目の前でスタイリングしたり、とっておきのキラキラジュエリーを見せてくれたり、15センチはありそうなピンヒールのキラキラパンプスを並べたり。寮で既に何度もそれを経験していたエイミーは「また始まったよ〜」という感じでしたが、わたしはただただ「なんだこのわたしより遥かに女子力の高い男子は」と目を丸くさせていました。その反応が面白かったのか、ダニエルはさらにいろんなものを見せてくれました。

それからしばらくしたある日、わたしが出先から帰り玄関を開けると、「ちょっとストップ!今わたしの姿を見ても驚かないでね!」というダニエルの叫びが。何かと思ってリビングに行くと、そこには上から下までばっちりドラァグクイーンなダニエル、もといナターシャの姿があったのです。わたしがもともと少ない語彙力をさらに失いながら感動を伝えると、「プロモーション用の動画を撮るために支度してたの、驚かせてごめんね」と教えてくれました。ここではじめて「あ、趣味じゃなくて、ちゃんと仕事としてやってるんだ。プロのクイーンなんだ」と理解したのです。

一度その晴れ姿を見られ、受け入れてもらえるとわかってしまえば、それからは遠慮はありません(一応、同居するまでダニエルと私はそこまで仲良くなかったので、彼なりに驚かせまいと気遣っていたみたいでした)。傍から見たら女2人・男1人のハウスシェア(ダニエルは性自認は男性、代名詞もhe/himを使います)ですが、中身は完全に女3人のハウスシェア。わたしが服や靴を好きなのを知っているから、新しいドレスやヒールを手に入れる度にダニエルはうきうきしながら私に見せてくれました。シャワーを浴びてバスルームから自室に戻るときは、3人全員バスタオル1枚で歩きまわるし、洗った下着は堂々と共有スペースに干すし、夜遅くまで赤裸々な恋愛・セックストークで大いに盛り上がりました。ダニエルのワックス脱毛をエイミーが手伝って絶叫していたときは全員で大爆笑したし、部屋に虫が出たときに退治するのはエイミーの役目で、虫嫌いのわたしとダニエルは抱き合いながらぎゃーぎゃー行っているのが日常茶飯事でした。

真面目な話もたくさんしました。イギリスといえどジェンダーバイアスがまだまだ強い舞台裏方という業界を志すわたしたちにとって、フェミニズムはとても身近な議題でした。男性だけれど、女性的に見られてしまうダニエルにとってもフェミニズムは他人事ではなく、非常に彼らしい観点で議論を展開してくれました。プライド・ムーヴメントの時期になれば、LGBTがどのような歴史をたどり、未だどのような扱いを受けていて、これからどうなっていきたくて、今なにをしなければいけないのか、ものすごく熱く語ってくれました。わたしはわたしの知る日本的観点から少しの意見しか言えないことが多かったけれど、彼の語る言葉は重みがあって、普段の明るい性格からははかり知れないような何かを感じるとともに、自分がいかに世界を知らないのかを実感させてくれました。

3年生になるとダニエルのドラァグクイーンとしての活動は卒業後を見据えていよいよ本格的になりました。ドレスも靴もメイク用具もどんどん増えて、リビングルームが彼のもので常に埋め尽くされていました。エイミーとわたしは「いいかげん座るところないから片付けてよ笑」と呆れていたけど、同時に異様とも言えるその光景が自分にとって日常になったことが、とてもありがたいことに思えました。だからしぶしぶ片付けてあげるときもあまり嫌な感じはせず、むしろ卒業が近づくにつれ、それすらも尊い時間に思えました。

ダニエルとエイミーと、あと女子をもう2人足したわたしたちのグループは、卒業して数か月経った今でも頻繁に連絡をとっていて、ロックダウンが緩和されれば会いに行ったりしています。Zoom越しにワインを飲みながら、いろんな話に花を咲かす。恋愛の話もするし、仕事の話もするし、ダニエルの新しいドレスをみんなで評論するし、最近見たNetflixドラマの話もする。惚れっぽくて、すぐダメ男に引っかかってしまうダニエルのマッチングアプリ話は定番ネタです。そういえば、ロックダウン前の最後の半年は、週末に5人で集まってはNaked Attractionという「フィーリングカップル・裸版」的な番組を観ながら飲むのが定番になっていました。そこにはゲイだからどうとか、ストレートだからどうとかは関係なく、ただ人と人がいるだけで、「なんて自由で開放的なんだろう」と思えたのです。いろんな人があたりまえのように身近にいて、それが日常で、みんなそれがいいと思っている、その自由さ、そのなんと尊いことか。

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「偏見や差別意識は持っていないと思っている」状態から、心の底から「それが日常だ、あたりまえだ」と思え、ジェンダー・セクシュアリティ観が開放されたと実感する変化は、言葉ではうまく表せない大きな変化でした。ものすごく開放的で、英単語を使ってしまうと、eye-opening で、mind-blowing で、liberating で enlightening な体験でした。でも「差別してないと思っていた」わたしですらこの変化には2〜3年もかかり、しかも「たまたまゲイでドラァグクイーンだったダニエルとの同居」というとんでもない偶然のおかげなのです。そう思うと、差別意識や嫌悪感をはっきり持っている人がそれを克服するには、いったいどれだけのことが必要なのだろうと、気が遠くなってしまいます。

それでも、身も心も女性で男性が恋愛対象だと思っている私は決して当事者ではなく、実際に当事者が通ってきた道、苦悩を本当の意味で理解したなんて言えることはないのでしょう。ダニエルが目を赤くしながら同性カップルの権利について語るとき、当事者でないわたしは寄り添うことしかできず、つくづく自分は無力だなぁ、無知だなぁと痛感させられます。

差別意識というのは往々にして、「自分と違うものがこわい」という人間のある種の防衛本能からくる、ごくごく自然であたりまえの、誰でも持っている感情だとわたしは思っています。それはジェンダーの価値観だけでなく、人種や国籍、容姿、病気や障がい、宗教や政治感、学歴や職種や育ってきた環境や、些細な考え方の違いにまで及びます。何をもって「わたしと違う」と認識するかは、人によって千差万別です。それでも、初対面では本能的に警戒していたのが相手を知るうちに知り合いになり、友達になっていくのと同じように、「自分と異なる要素」を「自分が理解できる要素」「自分に身近な要素」「自分と同じ要素」に認識を変え、「違う」と「同じ」の境界を広げていくことで、いつか人は必ず差別意識を克服することができるのだとも信じています。

留学生活で得たものには、実践的な知識だとか、人脈だとか英語力だとかももちろんあるけれど、何よりもこういった根本的な考え方の変化がかけがえのない財産だと感じます。「日本は世界に比べて遅れている」なんて陳腐な比較と批判は口にしたくないけれど、国境を超えなくても身近に多様性を感じ、視界を広げられる世の中になれば、もっと世界はやさしくなれるのかもしれませんね。

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