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自己紹介

ブログ開始理由

中学バスケがこんなにも熱くて、こんなにも良い物だと言う事を世の中の人に知ってもらいたい!!

自己紹介

・性別 男
・年齢 42歳
・似ている有名人 後藤洋央紀(新日のプロレスラー)
・バスケ歴4年半、中学~高校まで共にキャプテンでPG
・会社を経営

小学校の時にミニバスクラブが無かったので、小学3年生~水泳部に所属し5年からは野球、陸上部にも所属。水泳陸上では地域の大会では個人種目(100m、ハードル)(50m、100m)で3位以内に入り、リレーは2年連続優勝(50m×4自由形、50m×4メドレー)
中学校入学後バスケ部に入部…顧問が担任と言う最悪なパターンw
顧問から「お前バスケ部に入れ!そして3年の大会で県大会に行くぞ!」
と、強烈な先生と出会う。
「県大会に行くのは目標じゃない!目的だ!」と言われ続けてきたおかげで
中学校始まって以来の男子バスケ部県大会出場!
バスケのおかげで人生を間違えずに生きてこれたのは間違いない。
恩返しの意味も込めて涼(息子)がキャプテンを努める母校の外部コーチとして27年ぶりにバスケ部に関わる事となってしまった・・


幼少期

・ただの甘えん坊

小学生時代

・小学4年生でグレてしまい、両親に迷惑ばかりかける

・小学5年生の時に、なぜか関西出身の教師が担任になり
 人生の洗礼を受ける

・小学6年生の時に、クラスでマズい問題が起きた時に
 私が疑われる
 同じクラスの女子の母親が「彼はそんな事する子じゃない!」
 と、泣きながら抗議をしてくれる
 この件で、自分の事を理解してくれている人がいる事を始めて知り
 この人の事を裏切れないと思い、更生に成功する

中学生時代

・バスケ部顧問との衝撃的な出会いを経て、バスケを始める

・中学1年生の時に、水泳道具を忘れた事がキッカケで顧問に
 バスケ部を辞ろと言われ、頭にきたので退部の意思を伝える
 しかし、顧問は「何考えてるんだ!」と、部活に引き戻される
 既に陸上部顧問に転部を伝えていた為、バスケ部顧問と謝罪に行く

・中学2年生の11月に行われた大会で、余裕をかましていたら2回戦敗退
 県大会出場を逃す
 顧問と保護者会のあり方について揉めて、2回目の退部に追い込まれる
 他の部活には入らずに、地元の社会人チームでバスケを続ける事を
 親に伝える
 顧問が私の両親に泣きつき、両親と顧問と私で何度も話し合いをする
 私から保護者会が絶対練習内容に口を出さない事を条件に復帰
 この件を機に、いろんな事を整理し、バスケだけに集中する
 友人たちから冷ややかな目で見られ始めるが、一層バスケに集中
 キャプテンだったため、私がより真剣にバスケをやる事で
 一部の部員達もより真剣に取り組むようになる
 県外遠征で全国レベルと試合をし、ボコボコにやられる
 自分の至らない部分を徹底的に改善し、良い所も伸ばす
 至らない所はDF力とドリブルで、良い所はアシストと3P
 全国レベルに通用するPGにならなければと、焦りまくる
 2月に全国レベルが集まる大会に参加する
 参加校に私たちの体操着をバカにされたので、トイレで
 〆ようとしたが見失う
 バカにした奴らは1回戦の相手だったので、大して仲良くない
 スタメンでしたが円陣を組んで葬り去る事を誓う
 一番バカにしていた奴がキャプテンでPGだったので、私がボックスワン
 でDFすると公言
 DFとクラッシュトークで徹底的に追い詰め、相手の機能を停止させる
 徹底的に速攻を繰り返し、得点を重ね、私たちがファールを受けたら
 審判が毎回止めに来る喧嘩騒ぎが起こる
 後半開始時に私から相手キャプテンに「バスケはファッションじゃねぇー
 んだよ!」と、正論を突き付ける
 インサイドの仲間がゴール下でゴールを決め相手を吹っ飛ばしワンスロー
 をもらった時に、全員でスラムダンクの豊玉高校の板倉が宮城にやった
 「ボボォン!!」を披露し、審判が激怒
 その後、両チーム厳しい指導を受け試合再開
 私のチームは2人退場…も、100点ゲームのトリプルスコアで勝利
 この試合を経験し、団結すればマジで強い事を知れたw
 その後の試合で、全国クラスに当たりボロ負け
 まだまだ、私の能力が足りない事を自覚

・中学校3年生も引き続き練習に没頭する
 少しでも体育館が空く時は、他部活の顧問や部長に交渉し許可を
 取り、3Pを打ちまくる
 最後の大会が始まり、市内大会出場校が打倒私の学校!!!
 と、言ってた事にチームメイト全員がドン引きする
 顧問から「怪我をしないためにも、4割位の力でやれ」と
 無理難題を押し付けられる
 点差を離しては、メンバー交代をし、またスタメンが戻り点差を離す
 点差を詰めてくると相手チームや応援団が大盛り上がり…
 何とも言えない気持ちで市内大会を優勝
 全試合25点差以上での勝利でしたが、私たちは50点差以上で勝てたので
 消化不良…
 地区大会1回戦は前に対戦し、余裕で勝った事があるため、全員が
 ヘラヘラしながらプレー
 結果、途中追いつかれそうになり顧問がガチ切れ…
 残り1分で8点くらいとり12点差で勝利
 2回戦は私たちが出れなかった中学2年の時の大会で優勝し、県大会に
 行った学校
 1回戦の経験がある為、一切のおごりや甘えを捨て全力でやるぞと誓う
 しかし、試合開始20分前にアクシデントが2つ発生!!
 私がアップ中に仲間の足を踏んでそのまま捻り、スラムダンク赤城より
 足が腫れてしまう…
 もう一つは、インサイドのプレーヤーの膝の古傷が発症…
 私に駆け寄る顧問「早く立て!相手チームバレるだろ!行けるな!」
 みるみる腫れていく足首をみながら私は「やるに決まってるでしょ!」
 この試合に勝てば県大会出場が決定するのです
 何事もなかったようにふるまい、私の周りをチームメイトに歩いてもらい
 相手チームから見えない所に言った瞬間に
 「折れてる!絶対折れてるって!」周りは腫れた足首を見て絶句…
 足首が完全に動かなくなるようにテーピングし、さらに常備してある
 革のサポーターを足首びに装着し試合開始
 この試合の為に2年3ヶ月頑張ってきたんだ!
 と言う、思いに圧倒されたのか足の痛みはどこかへ…
 膝の具合が悪い仲間は早々にベンチに下げてもらいました
 結果は…40点差のダブルスコアで勝利!!
 こんな感じで無事、県大会に出場決定しました

高校時代

数校から推薦を頂きましたが、家庭の事情で諦めました
地元の弱小校へ入学するも、3年生からドリブルやっとけ!
と、言われたので2ヶ月後の3年生引退を待って入部w
高校では1度も一生懸命バスケをしませんでした
普通に友達が欲しかったと言うのが本音です
本気でやったら、中学の時みたいにギクシャクするし
チームメイトも素人とかが多かったので気持ちも入りませんでした
でも、最高の仲間に出会えたことに感謝しかありません

皆さまへ

大した実績はありませんが、私の母校でもある中学校で、息子が
バスケをすると言う事になり、色々ありコーチをする事になりました。
文章が下手くそですが、ノンフィクションに近いフィクションとなっております。
自身の経験と重なる部分や、親として感じて頂ける部分も多くあるかと思いますので、楽しんで頂けると思っております!

今後ともよろしくお願い致します!!

代表取締役 中学バスケコーチ より




 
 






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