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『海底の阿修羅型ロボット』

「僕は阿修羅型のロボットに乗り込んで、日本領海内の太平洋の海底で鉱物資源の採集作業をしておりました。日本近海の太平洋海底は、リチウムやレアアースなど稀少鉱物の宝庫なのであります。丁度、人間の頭部かボーリング玉くらいの大きさの岩石が無数に転がっておりまして、その量は世界中の稀少な鉱物資源の年間消費量のざっと千年分に相当するそうでございます。
しかし一見危険と思われます太平洋の深海での作業におきまして、特に修羅場となるような危険な場面には一切お目にかかったことなど御座いませんでした。完全自動運転の人工知能が私の上司として見張っておりまして、抹香鯨やダイオウイカの大群が襲ってきましても、未然に対処してくれたからで御座います。」

都内に建つ精神科病棟、北側の窓から外の景色を眺めながら、私はテーブルに置いてあった大学ノートを捲っていた。何年か前に入院していた患者のものだ。確かにそうだ。一度読んだ記憶がある。彼は奇妙な妄想に取りつかれていた。私の専門は脳外科だから彼の担当医ではなかったが、彼の脳のMRIを見たことはあった。しかし一体誰がこんな所にこのノートを置いたのか?
彼は長期入院患者で、入院期間は二十年を越えていた。入院と言うよりも、ある重大な理由から収容されていると言ってもよかった。彼が入院している間に、ここも精神科病院から心療内科医療保養地へと名称が変わった。
病院のスタッフは全てロボットなのだと、彼は信じて疑わなかった。この私のことも人間の面を被ったロボットなのだと思い込んでいた。この手記は彼が体験した職場研修の感想を、監督者のロボットにレポートとして提出しているつもりで書いたらしいのだ。
彼には彼自分がとても未熟な人間であるというハッキリとした自覚があり、ロボットの監督下で様々な技能を習得して人間としての存在価値を高めていくことに、相当な使命感を燃やしていたようなのだ。それは劣等感の裏返しからの取るに足りない虚栄心に見えたが、健全な虚栄心と不健全な虚栄心とが混在していて危うさが感じられると同時に、そこにはある種の希望も垣間見えたのだ。
夢から覚めたその時こそが世界は彼にとって本当の修羅場となるが、彼を精神的に目覚めさせることは恐らく正解ではなくて、彼が目覚めることに対しては私も含めて殆どのスタッフが懸念を示していた。彼はかつて自ら修羅場となる事件を引き起こしていたのだから。かつて彼が引き起こした修羅場によって、多くの人が巻き添えを食ったのだった。彼は全く記憶にない様子だったが、詐病を疑う人も大勢いた。残念ながら専門家でも詐病を見抜く事は不可能な時代だった。AIなり人型ロボットなり人造人間なりが開発されて、今ではもう簡単に詐病も見破られる時代だ。彼も誰かに自分の心を見抜いて貰いたいのだろうか。
この手記を読んだ時、私には役不足だと言われているような気もしないでもなかった。AIの登場で私の職業自体、近く絶滅危惧職種となっていくのだろうが、それならそれで良いことだ。心理カウンセラーも宗教家も占い師も、AIによって大勢が職を失った。いい時代ではないか。余った時間は精神保養に充てればそれで良いのだ。私が起こした修羅場の事なども、歴史の教科書やAIの記憶回路の中に保存していつでも取り出せるようにしておけば良いのだ。私の本当のクライアントは私自身なのだ。私が本当に治療しなくてはならないのは、私自身なのだから。

それにしても妙だ。私はもう十年もこの病院から出ていない。自宅には一度も帰っていないのだ。家族にも会えていない。担当医に抗議しなければ。あいつも優秀な人工知能のはずだ。この病院は多忙で私のような老いぼれの手も借りたいなどと抜かしてはいるが、優秀な人工知能を何台も入れておいて人手が足りないとは、それは一体どういう道理なのだ?理屈が通らないではないか!それに私は豊富な実績を持つ外科医なのだ。医者の私自身に担当医がいるというのは、全くどういう訳なのだ?

おしまい

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