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⚾たとえユニフォームを脱いでも、あなたの価値は変わらない。

引退を決めたとき、読んでほしい。
まだ野球を続けるのならば、この記事は相応しくない。
燃え尽きた、やり切った。そう思えるまでは。

応援している選手が、引退する姿を何度も目にしてきた。お疲れ様という気持ちと、寂しいなという思いが交錯する。自分の本心がわからなくなる。何度経験しても。

ただ、私は自分の感情を強要しないと決めている。本人がこの先の人生を、楽しく幸せに歩むことが一番だからだ。ユニフォームを脱ぐという決断は、昨日今日で決められるものではない。引退の二文字を告げるもっと前から、本人が悩み、考えてきたこと。その決断に周囲がとやかくいうものではない。気持ちよく送りたいと思う。

野球をやっているからこそ出会えた選手なわけだが、プレーだけに重点を置いているわけではない。私が大切に思うのは、グラウンドでの振る舞い、姿勢、考え方、この三つ。習慣化されていなければできないこと。要するに人柄を重視している。そこに惚れなければ、応援しようと思わない。きっかけは野球だったとしても、最後は『人格』なのだ。

人柄を大事にしているからこそ、今後の人生にエールを送りたいと思うのだ。ユニフォームを着ようが脱ごうが、野球をしていようが何だろうが、そんなもの関係ない。もちろん、一日でも長く元気にプレーできたらと願っているが、苦しんでまで野球をしてほしくない。それならば、幸せに生きられる道を選択してほしい。本人のピリオド(タイミング)を尊重したい。


野球がなくなったら、自分の存在価値などない。


時々、このような意見を見聞きすることがある。声を大にして伝えたい。


そんなことは絶対にない。


とはいえ、咄嗟にその言葉が出るのは、人生をかけてやってきた証拠だ。ただ、それだけの人間ではない。野球を通して培ってきたものは他にもたくさんある。野球“も”できるだけであって、野球“だけ”の人間ではない。


ユニフォームを脱いだからといって、あなたの価値が変わるわけではない。


この言葉は『引退』を決意した、大切な選手だけに伝える。最後の瞬間の決め台詞とでもいえようか。ユニフォームに袖を通している間は絶対にいわない。本気で戦っている相手に対して、失礼だからだ。頑張る姿に水を差したくない。


野球を失う自分が怖いのか。
野球がなければ、何も残らないのか。
野球をやらなければ、誰も応援してくれないのか。

絶対ない。

野球をやめて離れる人間関係ならば、最初からそんなものはいらない。


もちろんたくさんの意見があると思う。選手としてずっと見ていたい。その気持ちを否定するわけではないし、その是非を問うわけでもない。野球選手である限り、ファンがいる。プレーに期待し、楽しみにしている人も存在する。その上で私は伝えたいわけだ。

野球をやっている姿も輝いているけれど、それだけではないよ、と。

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冒頭述べたように、この記事は『引退』を決めた選手とその人を応援している人へ向けて書いた。というより、自分に書いた。当然だけれど、一生懸命野球をしている間に『やめても大丈夫だよ。それだけの人間じゃないから』なんて安直にはいえない。いいたくもない。今を全力で生きてほしいから。

その思いを振り切って、最後の決断をしたとき、私は記事に書いたことを全力で伝えるつもりだ。同情なんかではない。そこだけに着目しているわけではないと。ただ、それを伝えたいだけ。

この記事に目を通したということは、何からの思いがあるのでしょう。あえて読んでいると想定して書く。見つけるのが遅かったと思うけれど、きちんと自分の目で見られた。私は後悔はない。ただし、あなたが『やり切った』と思わなければ、それは終わりではない。新たなスタート地点がどこかにあるはず。自分の納得できる道を選択すること。選んだ先がどんな景色だったとしても、あなたの価値は変わらない。人生、伸びしろしかないから。



いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。