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カテゴライズしない人間関係

ありとあらゆる職場で人間関係の重要さが語られるなか、
そもそも学校の授業で「人間関係のノウハウ」を学べればいいのになーと最近思っています。
これだけ、実践のみじゃないですか?
「お友達には優しく」とかそういう一言はあったかもしれないですけども。
そもそも学校の先生も、人気のある先生、ない先生が明確に分かれていた記憶があることから、
先生も子ども時代に人間関係がへたで、そのまま教育に当たっているケースがかなりあると思われます。

例えば人間関係の達人を学校のゲストに呼んで(先生ってより各分野の仕事人とか、芸能人とか、Youtuberとかになっていくかもしれない)
そんで「人間関係」とか「人間力」が科目にあったら面白いかもしれない。
学生の時分はかな〜〜〜りやりづらいとは思うし就職にもかなり影響与えそうですが笑、それなりにみんなココを鍛えられたら、
日本はもっとコミュニケーションによって豊かになっていきそうです。

特に私はチームビルディングで生きていくという性質上、人並み以上に人間関係について考えざるを得ません。
長年考えているテーマではあるものの、人間関係とかコミュニケーションは奥が深すぎて未だに悩むことが多く、人間の一生の悩みなんじゃないかもはやと思い始めています。

「こないだヘラクレスオオカブト見てさぁ!!!!」
「どうでもええわ」


ちょっとのご縁で繋がったり
ちょっとの行き違いでうまくいかなかったり
この人とはやたら場がカブるなってのがあったり
双方で思ってることがまるで違ったり。

だから面白いのかもしれないですが、逆にモヤモヤや戸惑いも多く、
人生がゲームだとしたら「人間関係」は一番難易度の高いクエストじゃないかなと思います。

いやいや営業成績を上げたりとか事業を軌道に乗せたりとかの方が難易度高いよって言う人もいるかもしれませんが、少なくともそちらは数値化できるし代替え案もききます。
人間関係は「この人とはこういう関係性」ってのが100人いたら100通り分かれるわけで。
しかも替えがきかない。そんな男やめろって言われても辞められない友人をあなたも見たことがあるんではないでしょうか。

各人考えることが違っている分、お互いの思っているベストな関係性が100%一致することは実はなくて
ここのすり合わせが例えば80%とか、90%とか、割合うまくいっている(ようにお互い感じ合える)コンビが
バディとか、結婚とか、仕事のパートナーとか、円滑に進んでいるのかもしれません。

今回は身近な人間関係の悩みがちな例をいくつか考えてみました。

▼人間関係ですれ違いが起きている例①
◎上司
発破をかけている。期待しているし相手には成長してほしい。
いずれは自分のやっているプロジェクトを引き継ぎたいと思っている。
そのためには他の人より高い基準で関わると決めている。

◎部下
学生時代はそれなりにデキる方だと思っていたので自分にだけ厳しいフィードバックが来る状況が初めてで、どうしたらいいのかわからない。
この仕事は自分には向いていないのかもと思い始めている。
▼人間関係ですれ違いが起きている例②
◎男
相手のことはたまにセックスができて安らぐと思っているし大事だなとは思うが、恋愛は大変だし結婚はあまり興味がないので、特に進展したくない。

◎女
セックスするからにはいつか唯一のパートナーになれると思っている。
▼人間関係ですれ違いが起きている例③
◎起業家
新しいビジネスをスタートした。大親友で過去一緒の会社で働いていたこともある友人なら、性格もお互いよくわかっているし諌めてくれるし、応援してくれていたからきっとうまくいくだろう。稼ぎたいとも言っていたし、大きく稼げるとしたら起業だと思う。ぜひ一緒に手を組みたい。

◎起業家の友人
自分の妻や子どもに影響のない範囲で、応援すると決めている。
起業なんて反対されるのがまだまだ当たり前の進路のなか、手出しや口出しをせずいつでも飲みでストレスの発散に付き合っているのだから、これも一種の応援だと思っている。
稼いで子どもが留学したいと言っても支援できる額を貯金しておきたい。

ちょっとしたことを話し合わずにすれ違ったままのケースもあれば、
そもそも話し合ったところでお互いの価値観は合致しないので永遠に平行線ということもあるし、
更に性別によって言語の意味が違ったりするので難しいところです。

「上司と部下」「同僚」「夫婦」「セフレ」など世間一般の肩書はあって、
更には「友達以上恋人未満」なんて中間層的な名称も広まってきましたが
とはいえカテゴライズできない関係も多々あると思うのです。
友達、仲間、親友、色々呼び名はあるんですが、一番それっぽいので呼んでいるに過ぎなく、1人1人その関係性は非常に複雑です。

私にも大事にしてる人がいますが、
私がその人に求めることと、相手が求めることの差の違いにとても悲しくなることもあれば、
「あれ、大事にされてるやん?」と見落としそうな、私からするとわかりづらいちょっとした優しさを見つけて拾い上げてちょっとしあわせになれたりとか、
そもそもこの関係の名前ってなんだろうな?って思うこともあります。
もはやオカンになれたら見返りなく大事にしてやれんのにと思っています。

でも今は無理にカテゴライズしなくてもいいのかなと思えるようになりました。
しいていうなら「大事な人」。
向こうがどう思っているかは、気にしすぎない。
期待するから管理下にないことに悩むので、私はただ純粋に大事にすればいいと最近思うようにしています。

大事にしてやんよ

また、周りの人間関係で人生が変わるケースもあります。

▼人間関係が職場での活躍を左右する例
◎知人Aさん
保育園時代の先生に憧れ、幼少期から保育士になりたかった。
小さいころからピアノを習い、保育を勉強し、大学を卒業し、きちんと夢を叶え、仕事に邁進した。
そうして保育士として3年働いたが、保育士同士の人間関係がキツく、辞めてしまった。

◎知人Bさん
高校生まで特にやりたいこともなく、彼氏もそこそこ途切れることもなく、日々友達と楽しく過ごしていた。いわゆるギャル寄りの女子だったかもしれない。
なんとなく就活し、大手の営業事務のお姉さんとして働き始めた。
ところが上司や同僚、取引先が良い人ばかりで仕事が楽しくなってきて、今は目標を持ってバリバリ仕事に邁進し、習い事も始めた。

夢を叶えたが人間関係で挫折した例と、
夢はなかったが人間関係で好転し始めた例です。

▼人間関係が進路を決定する例
◎知人Cくん
彼は料理人であり、将来自分でお店を持ちたい。
きっかけは彼の父が料理人で、いつもその背中を見てかっこいいと思っていたことで、他の進路を考えたことはなく、自分も料理人として成功したいと考えている。

◎知人Dくん
彼も料理人であり、将来自分でお店を持ちたい。
Cくんとは料理の専門学校の同級生であるが、きっかけは全く違って「Dくんの母親が料理をあまりしない人で子どものころからやむなく自炊をしていたら気付いたらこうなっていた」である。

行き着いた先が一緒でもそれに至るまでの周囲の人間模様は違っていた例です。


周りにどんな人がいるか。
どんな関係を気付いているか。

私達は人間である以上、
他の人間の影響を受けるし、2人でいればなにかしらの影響を向こうに与えています。

こんだけ人類がいるなかで出会っている人達はなんかしらの縁があるに違いないのです。
この縁を少しでもよくして人生を面白くできたら。
人間関係の悩みはきっと老後達観するまで続くのでしょうが、愛しい問題としてちょっとずつ育んでいければいいな、と思います。

人間関係が4パターンくらいなら楽なのにねー。
それじゃあおもしろくないか。

本日もありがとうございます。

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