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少数派は生きづらい。でも、「だからこそ」できることがある

令和の時代、多様性という考え方が浸透してきて、昔に比べると、少数派ーマイノリティは生きやすくなってきたと思う。
でも、なんだかんだで社会は多数決で回っていくことが多く、少数派が生きづらいことには変わりないと感じている。

私の現在の状況は、以下の条件が重なり、とても少数派だと思っている。
①転勤帯同生活
②扶養内勤務
③30代女性/既婚/夫婦二人暮らし

上記は、単独でもやや少数派だが、掛け合わさることで、かなりの少数派に寄っているのだ。

私は多数派でも少数派でも、自分の好きなように生きればそれで良し、という考えを持っている。日本で多い価値観として、みんながこうだから、自分もこうする、という意思決定は、自分の人生じゃなくて、他人の人生を生きているんじゃないか、とも思う。
しかし、実際に少数派になってみると、生きづらい側面もある。だから、ラクに生きる選択として、多数派に迎合する気持ちも、わからなくはないな~と思うようになってきた。

実際に私の例を上げると、似たような立場の人が周りにいないため、共感できる人がおらず、不安な気持ちになってしまうことがある。
同年代の女性は、大体が子育て中で、話題は子ども中心。以前の職場では、複数人で雑談をしているときに、私以外の人が全員子どもの話題(行事や子育てあるあるなど)で盛り上がり、疎外感を味わったことがある。シンプルに、経験していることではないので、全くわからず、話題についていけないのだ。
また、逆に私が興味・関心のある話題も、向こうは関心がないか、もしくは微妙にずれていることが多い。例えば、主婦の方だと家事の話でもしてみようか、と思っても、ホットクックやAlexa、その他の時短家電で効率化を追求、みたいな人はいない(本当は育児で忙しい方にこそ、価値があると思うのだが…)。ダイエットの話が出ても、PFCバランスやカロリーを計算して減量に取り組んでいる、という人もいない。
そのようなことが何回もあり、結局その職場では、あまり人と関わらず、心を閉ざしていくようになった。

最近は、職場の環境上、同年代の人と接する機会がほぼないので、心穏やかに過ごせている。
でも、私のように引っ越しがよくあったり、すぐに職場を変えられるような状況にない人も多いと思うので、さぞかし生きづらいのでは、と思う。
また、少数派の生きづらさという点では、都会より田舎のほうが、人が少ない分、より生きづらい傾向にある。

このように、少数派であることで、孤独や不安を感じ、悶々としていた期間あったが、現在は、「だからこそ」できることに目を向けていこう、と前向きになっている。
一人でいる時間が長いけれど、その分、お付き合いに時間やお金を取られることもない。だから、ジム通いや読書などの自己投資にコミットできる。趣味についても、一人で完結するような趣味の幅が広がる。
また、少数派であるからこそ、稀に同じような境遇の人と出会ったときは、すぐに打ち解けられる可能性が高い。逆にいろいろな生き方の人を許容できる懐も広がる。

現代では、ネットがあるので、リアルでのお付き合いに限定しなければ、少数派でも居場所を作ることが出来る点は、非常にありがたい。
私にとってnoteはその一つであるため、今後もゆるく続けていきたい。

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