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心淋し川

私たち夫婦は今日無事結婚記念日を迎えました。コロナ禍で夫婦揃って元気であることのありがたさをかみしめています。

Instagramを拝見していたら、お若い夫婦で今日結婚10周年を迎えられたというかたが鰻重をあげておられました。コロナ禍で私たち夫婦は家で静かに過ごしていますが、昨年の年明けに愚息たちと東京で鰻を食べた時は、このような状況になるなんて予想もしていませんでしたから、本当に驚きです。

さて静かに家で過ごした私は、田舎町の図書館では最後の直木賞候補作品を読み終えました。

西條奈加氏の「心淋し川」です。心淋しと書いてうらさびしと読ませます。その理由は読んで初めて分かりました。

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不美人な妾ばかりを囲う六兵衛。その一人、先行きに不安を覚えていたりきは、六兵衛が持ち込んだ張形に、悪戯心から小刀で仏像を彫りだして…(「閨仏」)。飯屋を営む与吾蔵は、根津権現で小さな女の子の唄を耳にする。それは、かつて手酷く捨てた女が口にしていた珍しい唄だった。もしや己の子ではと声をかけるが―(「はじめましょ」)他、全六編。生きる喜びと哀しみが織りなす、渾身の時代小説。(「BOOK」データベースより)

心淋し川
閨仏
はじめましょ
冬虫夏草
明けぬ里
灰の男

6篇の舞台は江戸、千駄木町の一角。
心町(うらまち)と呼ばれ、そこには「心淋し川(うらさびしがわ)」と呼ばれる小さく淀んだ川が流れ、川のどん詰まりには古びた長屋が建ち並んでいるのですが、そこに暮らし人生という川の流れに行き詰まりもがいている人たちが次々と描かれています。

時代物ではありますが、現代でもきっと誰しも心のどこかに淀みを持っているものではないでしょうか。理不尽でも不遇でも、仮に嫌々ながらであっても、己のやるべき事はこなす、それが私たち人間本来の姿であると小説からひしひしと伝わってきました。

今日もお疲れ様でした。週末ですね。素敵な夜をお過ごしください。

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