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この歌が沁みるのは…


突然なのですが、

HoneyWorksのGOOD BYEという曲を
ご存知でしょうか?


私はこの歌を後輩から教えてもらったのですが、
衝撃を受けました…

私はHoneyWorksの恋愛系の歌しか知らなくて、
軽い気持ちで聞いてみると、目がうるうる…🥹

完全に油断してました。


自分の経験と重なる部分が多かったからです。



私自身、19歳の時に
母方のおばあちゃんを亡くしました。



私の大学進学が決まり、
挨拶に行った時にはお寿司を食べに行ったりと、
相変わらず元気だったのです。

そらから1ヶ月後、
母から、おばあちゃんが食道がんになったという
連絡を電話を受けました。

おばあちゃんが癌だという知らせを受けた時、
母が一番動揺していたそうです。

おばあちゃんが癌になる数年前から、
おじいちゃんは認知症気味でした。

おじいちゃんのことは
家族でずっと気にかけていて、

おばあちゃんも数年の間、
献身的にサポートしていました。


そのおばあちゃんの癌が、
進行している状態で発見されてしまったので、

おばあちゃんは相当我慢していたのだと思います。

おばあちゃんの癌が発見されてから、

おじいちゃんもおばあちゃんも、
施設と病院の行き来をするようになりました。

一度施設に顔を見に行った際、

おじいちゃんは私の顔も名前も分からなかったけれど

おばあちゃんは私がきてくれたことを喜んでくれて、

「わざわざありがとう」

と言ってくれました。


お昼の時間に、おばあちゃんと、
テレビでヒルナンデスを一緒に見ていて、
美味しそうなケーキが写りました。

そのケーキを見て、

「おいしそうだね!食べたいね!」

と話していたのですが、その後、
一緒にケーキを食べることはありませんでした。


施設を訪れた約1ヶ月後に、
おばあちゃんは亡くなってしまいました。


身近な人が亡くなった経験が初めてだったため、
ただただ、悲しさで溢れていました。

信じられないし、信じたくない。

そんな気持ちをよそに、

無情にも、納棺、お通夜、お葬式という
儀式の準備が進められていきました。

お通夜に参加してもらうために、施設にいた
おじいちゃんを家族で車で迎えに行きました。

おじいちゃんはよくわかっていない様子でしたが、

車の中で、「おばあちゃんは?どこいった?」

と言ったのを受け、母は

「今からばあちゃんに会いに行くんだよ〜!」

と、気丈に答えていましたが、

私はこっそり、一人で泣いてしまっていました。

おじいちゃんは、お通夜に集まった親戚の、
誰のことも覚えていませんでした。

しかし、最後におばあちゃんの顔を見た時に、
涙をこぼしていました。



そして、それから1年も経たずして、
おじいちゃんも天国へ行ってしまいました。


おばあちゃんとおじいちゃんが、
骨になってしまった姿を見たときに、

本当にいなくなってしまったのだと理解しました。


いいえ、本当に理解したかどうかはわかりません。



今の今でも、いなくなってしまったことが、
事実と認めたくない時もあります。

ただ、私が泣いている時も悲しんでいる時も、
二人はどこかで笑ってくれていると思うと、
それだけで頑張れることがあります。

私の記憶の二人は、とても明るく賑やかで、
仲が良かった印象しかありません。

もうすぐお盆なので、
二人で仲良く日本へ旅行しに来る準備を
しているんじゃないかと思います。


お墓参りや法事に行けないのは心苦しいですが、
きっと、「大丈夫だよ」と言ってくれるはずです。

私は私の今しかできないことを、
二人が繋いでくれた命に感謝しながら、
一瞬一瞬大切に過ごしていきたいと思いました。


おじいちゃんおばあちゃん、愛しています♡


最後までお読みくださり、感謝いたします🥲
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