あさ

詩/短歌//舞台/コンテンポラリー・ジャグリングなどをしています。雑記やエッセイも投稿…

あさ

詩/短歌//舞台/コンテンポラリー・ジャグリングなどをしています。雑記やエッセイも投稿しています。

最近の記事

2023年の活動について

今年は濃密な一年だったように思う。未体験の表現ジャンルに挑戦させてもらったり、ぶしつけながらも場や人が許せば、自分のジャグリングの技術や表現を持ち込んで、コラボレーションを行ったりしてきた。結びにも書きましたが、本当に人と場に恵まれた一年でした。 一番精力的に活動していたのが異常な暑さの夏だったので、その辺は過去のnoteを見返すと、ずいぶんくたびれたみたいだった。自分にも、付き合ってくださった方々にも、ねぎらいの言葉をかけさせていただきたいと思う。 2月には所属団体のイ

    • 長く暑い夏、疲労とつながり、ただ秋を待つ

       今年の夏はずいぶんいろんな場所に行き、いろんな人に会い、いろんな体験をした。体調が悪い時に限って流行り病かかって大変な思いもしたけど、まあなんとかなった。そう書き出すと素直にいいことに聴こえるけど、今年の夏はとにかく暑かったし長かった。ひとまず過去形で書いてみたけど、実際にはいまも十分に暑いし夏は終わっていない。  ぼくは北海道出身なので、(実は寒さにも弱いのだけど)夏の暑さに弱いと思う。推測のように書いたのは、環境の変化や人間関係の変化で疲労しやすい癖に、自分が疲労して

      • 必要とされて、ぎりぎりを生きている。整理のための文章。

         幸いなことに最近は出演依頼をいただいたり、常連としてイベントに参加したりすることが増えた。新しい表現領域から誘われることも、自ら入っていくことも増えた。もちろんそうなると、今まで関わることのなかったタイプのさまざまな人とも交流することになるし、その流れのぶつかり合いの中で自分が揺らぐことも増える。そんな中で、もしも誰も読まないとしても文章を書いて、迷いの整理をすることはけっこう大事かなと思っている。  珍しく最近は予定が多い。特に出演やイベントの予定。今日の夜は友人宅にい

        • ジャグリングで祈る

          (Below you will find an English translation by DeepL)  ジャグリングで祈ることができるようになったのかもしれないと初めて思った。もちろんそれは初めてではないのかもしれないし、初めてと呼ぶに値する水準にすら達していないのかもしれない。祈りと呼ぶには浅すぎるといえばそれはそう。でもそれってけっこう比較的な世界観ですよねとも思う。なら浅煎りの祈りって誰が判断するの?と言われるといくつかのパターンしか出てこないのは人類的だなと思

        2023年の活動について

          私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら

           人生は演技だと誰かが言って、丁寧にお茶を啜るような時間をかけて簡単に納得した。そうして人は枯葉の混ざった紅葉のような季節を得ることができる。だれかが丸くなったねと安全地帯からささやいて、さらに深みのある丸みを観察していく。そこにはなんの批評性もないし、僕もいま批評性があることをまるで書かないし書きたくない。そのメイン・ポイントだけを教科書から切り抜いて冷蔵庫に貼り付けている。  僕はつまり、演技ではない言葉を書きたい時がよくあって、それを柔らかく飾れる棚はきっとほんの少し

          私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら

          どうも古着が好きらしいのだけれど、

           古着について書いてみようと思った。古着を久しぶりにたくさん買ったから。  エッセイを書いてみるといいのではないかと思ってnoteをはじめたのだが、なにせ慣れていないので書き方や執筆のきっかけに迷っている節がある。ただ、詩や短歌を書く(詠む)時は、自分が思いもよらないことが出てくるから書いているのだと思っているので、そちらは書き方に慣れている。なのでエッセイもテーマだけ決まったら、あとは書きたいように書けばそれでいいのかもしれないと思った。  好きなものやことを言語化して

          どうも古着が好きらしいのだけれど、

          世界のうつくしさを再発見するための長い旅路

           取り留めもない雑記をまた書いていこうと思う。今回は日々の生活の中で、あるいは創作世界や、創作の過程の中で、そこにある「よさ」を再発見すること、あるいは過程をテーマにしてみようと考えた。普段詩を書いているせいか少々カッコつけたタイトルになってしまったが、雑記を書くならば意識的に姿勢を変えて、比較的理解されやすいタイトルを付けようと思ったのだ(詩を書くときの自分は説明性をかなり殺すようにしているので)。  自分を一つの姿勢に統一して生きていくのが難しいのは、流れの速い現代社会

          世界のうつくしさを再発見するための長い旅路

          詩を離れて、文章練習としての雑記

           ふと、雑記、あるいはエッセイのような文章の練習をしてみようかと思った。思いたったが吉日なのかはやってみないと分からないが、せっかくなので書いてみることにする。  この情報が溢れる社会のなかで、僕は詩や短歌をここ二年ほどたくさん書いてきた。意味のない(あるいは意味が異化した)言語創作のフィールドは、社会的な言語操作能力が弱い僕にとっては適性もあり、善き拠り所となってくれたように思う。しかし、ものごとには必ず最低限のバランスというものが必要とされる。それは僕だけではなく、この

          詩を離れて、文章練習としての雑記