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長く暑い夏、疲労とつながり、ただ秋を待つ

 今年の夏はずいぶんいろんな場所に行き、いろんな人に会い、いろんな体験をした。体調が悪い時に限って流行り病かかって大変な思いもしたけど、まあなんとかなった。そう書き出すと素直にいいことに聴こえるけど、今年の夏はとにかく暑かったし長かった。ひとまず過去形で書いてみたけど、実際にはいまも十分に暑いし夏は終わっていない。

 ぼくは北海道出身なので、(実は寒さにも弱いのだけど)夏の暑さに弱いと思う。推測のように書いたのは、環境の変化や人間関係の変化で疲労しやすい癖に、自分が疲労していること自体には気づきにくいという弱点があるからだ。身体の声を丁寧に聞くのがヘタなのだと思う。大切なことなので少しずつ上手くなっていきたい。

 9月に入り、夏の盛りをついに越した。越したところでようやく「今年の夏はいささか新しいことをしすぎたかもしれない」と思うようになってきた。異常な暑さが続いて、周囲のぼくよりよほどタフな人たちも、今年は音をあげるひとが多かった。エアコンを使うことを惜しまなかったり、ムダな外出は意識的に避けていたつもりだったけど、それでも38度とか37度(湿度によっては体感気温はさらに上がる)という気温は人間の許容限界を越えすぎていた。だから少しの移動でも毎回ずいぶんくたびれていたと思う。ぼくは持病があるので、体力の面で少しばかりハンディキャップがあるという事情もある。

 それでも、他人とのつながりをたくさん作ることができたのはよかったともちろん思う。来年の自分にはさすがにおすすめしないけど、不慣れなことにたくさんチャレンジした自分のことは肯定したい。ただ、いまは早く秋が来ないかなとしずかに待っていたい気分でいる。ぼくはあまりお金がないなりにファッションでの自己表現を必要とするほうだけど、個人的には夏は服飾を楽しむのにそれほど向いていない気がするし、部屋ではセールやらで買った秋服たちが準備万端で待っている。

 ふと文章を書いてみて、今日は特にシンプルな文体と内容だな、と思う。夏の暑さのなかで小難しい文章を書いていたらさらに頭が沸騰する気もするし、それは自然でいいことなのかもしれない。

 「力を抜く」ということに憧れるけど、どうにもなかなかむずかしい。でも、少しずつでも自分が(局所的、あるいは総体的には)柔らかくなっていることはわかっている。そういう小さなことが大事なんだろうなと思う。捨てることに慣れるにはまだ早い年齢かもしれないけど、柔らかくなることを諦めずに過ごすには適当な年齢かなと思ったりする。短い秋の後にはこれまた長い冬が待っていることは知っているけど、とにかくいまはただ秋を待っている。

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