見出し画像

私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら

 人生は演技だと誰かが言って、丁寧にお茶を啜るような時間をかけて簡単に納得した。そうして人は枯葉の混ざった紅葉のような季節を得ることができる。だれかが丸くなったねと安全地帯からささやいて、さらに深みのある丸みを観察していく。そこにはなんの批評性もないし、僕もいま批評性があることをまるで書かないし書きたくない。そのメイン・ポイントだけを教科書から切り抜いて冷蔵庫に貼り付けている。

 僕はつまり、演技ではない言葉を書きたい時がよくあって、それを柔らかく飾れる棚はきっとほんの少しだけこの世に近く、ほんの少しだけ手に届かない距離だった。そんなことをぼんやりと想うことが増えた。要は曖昧な線だけで構成された曼荼羅ってエモいよねってお話なのかもしれない。

 文芸にあまり興味がない。学生の時は字が汚かったこともあって、文章を褒められたことなんて一回もなかったけど、文章を褒められる猫を書いて妄想しているのなら、あなたは内職の時間を懐かしく思うタイプの人かもしれない。仮定ってつまりは小さな音量の嘘だから、みんな頻繁に嘘をついているらしいねって次はうわさ話をついてみる。嘘をつける人のほうが人生を生きやすい、なんていう人を恋人にした人を身近に知っている。

 書いては、言ってはいけないことを屋根裏部屋に隠す習慣を身につけて何年が経っただろう。おかげで今日も膨れたお腹で生きていけます。だからたまには換気をしようと思う。換気をする場所の外に、きれいな空気があるって信じられるほどの世界観ってまだ持ってるの?と言われるとそれって実は音楽的な質問だよねって感心しちゃう。あなたはきっと、オノマトペの使い方に研究的な人なんだろう。そういえばあの部屋にそもそも窓なんてあっけ?

 あったかな。うん。まあ。きっとあったさ。きっとさ。みんな忘れているだけで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?