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2020/11/27 【本当に伝えたいことは伝え方を考えて】

今日は、自分の課題を指摘されまくって少し凹んだときの話です。とある会議で、若手2人、50台4人で集まった時に、謎の集中攻撃を受けました。初めは授業方法のアドバイスだったのですが、そのうちオジサンたちの知識自慢がはじまり、さらに僕らの粗探し的な話へと発展しかけていきました。

そんな時、どう対処したらいいのか。


そのヒントは、僕の恩師の話にありました。

もし同じような経験をした!もしくは、そんなことで悩んでいる!という方がいましたら、読んでみてください。

恩師

数年前、学年団を組ませてもらった時、その方は常に上機嫌で仕事していました。

僕はというと、おんぶに抱っこです。その頃は、隣の教室と足並を揃えることに気を遣っていて、何かに怯えたように仕事をしている自分がいました。

そんな僕が、今のようにはつらつと過ごせるようになったのは、その先生の影響が大きいです。

フルオープン

その先生は、全てをオープンにしていました。授業のことから、学級経営のことまで、聞けば何でも教えてくれました。授業で使ったデータから人事シートのデータまで、全てを共有フォルダに入れていました。「全部見ていいからね!もし困ったらクリックしてみ!参考になるかわからんけど!」と笑いながら言っていました。

その先生と過ごす全てが学びになりました。

自分軸

とても魅力あふれる生き方をする先生でした。でも、その先生をあまり良く言わない先生方もいました。理由は、全てに力を入れないからです。

例えば、子どもたちが笑顔で楽しく学校生活を送ることにはとても価値を置いていましたが、細かな授業方法などはそこまで追求しません。もちろん実力も知識もあるし、授業もわかりやすいです。ですが、それよりも、子どもたちを楽しませること、夢中にさせることに一生懸命でした。子どもたちもその先生が大好きでした。

僕は、その先生の生き方は、目的のために限られた時間をどう使うか考えていて素晴らしいと思います。でも、研究に命かけてる先生や足並を揃えたがる組織人からは、良く思われないこともありました。それでも、人当たりが良かったその先生は、上手く人間関係を築いていました。

たっちーとその先生

常に僕のことを可愛がってくれて、本当に良くしてもらいました。僕の結婚式では号泣していて、特別編集DVDまで作ってくれたりして、公私共にお世話になりました。

この先生と過ごさせてもらった経験が、今に大きく影響しています。

しょっちゅうご飯にも連れて行ってもらっていたので、本当に楽しい楽しい時間でした。時折、僕が何かに困っていないか気にかけては、励ますようなオチのある話をしてくれました。本当に感謝しています。

そして、本当に伝えたいことは、珍しく真剣な表情で例え話にしたり、僕の普段を認めた上で指摘したりするのです。これはものすごく響きました。

直接何がいけないとかこうした方がいいとか言わないのに、ものすごく響くのです。

相手に本当に伝えたいことは、届かせるための伝え方があるのだということを学びました。

それからの自分

僕自身、まだまだ心ない言葉に傷つくことはあります。でも、それらに、右往左往するのは時間の無駄だということも知っています。なぜなら、本当に相手のことを思っている方の言葉というのは、相手の心に届くように工夫を凝らし、相手の感情面にも配慮した洗練された言葉だとわかったからです。

会議や研修、ミーティングなどでオジサンたちから何を言われようと、気にすることはありません。ぶっきらぼうに指摘してくる言葉は、オジサン自身が自分のメンツを守るための意図があります。本当に相手のことを考えていたら、自然と伝え方に表れるはずです。

また、オジサンオバサンから若手に対しての場合で、指摘されたり罵られたりするのは、もう認められている証でもあります。出る杭は打たれるのです。そもそも、この人には敵わないなぁと思う方からは、基本的に褒め褒め攻撃されます。なぜなら、その方にとって僕は、仕事上でまだまだ脅威をおびやかす存在ではないからです。

自分はどう生きたいか

そのうち、職場にも後輩が何人もできるようになります。その時に、どんな振る舞いをするのか。どんな物言いをするのか。仏教儒教の年上は敬う文化の悪しき側面に胡座をかくこともできるし、謙虚に学ぶこともできます。どんなスタイルをとるのか、そうした言葉を聞くたびにときどき考えさせられます。

もちろん、それ以前に、普段からの関わりやコミュニケーションが大事なのはいうまでもありません。



室町時代に能を大成させた観阿弥・世阿弥親子の世阿弥の書物「風姿花伝」にこんな言葉があります。

「上手はへたの手本、へたは上手の手本なりと工夫すべし。へたの良き所を取りて、上手のもの数に入るる事、無上至極の理(ことわり)也」

誰しもが師であり、共に学ぶ姿勢を忘れずに生きていきたいと思います。





小学校教師、パパとしての立場から発信し続けていきます!これからもよろしくお願いします!