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ステレオタイプの海に溺れる-ポストアパルトヘイトのあるアフリカ人の話

私が住んでいる国は、南アフリカというところです。

1994年に、ネルソン・マンデラが大統領になった時、「虹の国」という言葉が使われましたが、南アフリカはまさに、多様性にあふれた国です。

11の公用語、多様な人種、セクシャリティにも宗教にも寛容な国、特に都市部にはリベラルな雰囲気が流れています。

ここ南アフリカで私は何をしているかと言うと、フルタイムで日本の会社でリモート社員として働きながら、パートタイムでマスター(修士号)取得に挑戦中です。

なぜ南アフリカにいるかとよく聞かれますが、私のパートナーが南アフリカ人だからです。この地に来た一番のきっかけはパートナーであることは事実です。

私のみる南アフリカは、パートナーを通して、彼の社会的位置(Social Location)から見ることが多いのです。

季節も良くなって、ロックダウンの規制もゆるくなってきたので、新しい人に会うことが増えました。
ここのところ、Critical Diversity Studiesのかなりリベラルな思想の人とばかり話していたので(よくないですね、バブルからもうちょっと出ないといけないな)、「なるほどな~」と思う視点もあったので、(マニアックな話なので、多くの人の手には届かないと思うけれど)備忘録的に書いてみようと思います。


蝋燭で夜を過ごした幼少時代から、都会のコンサルタントへ

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パートナーに了承をとった上で、このnoteに書き留めます。

彼は、ちょうどアパルトヘイトが終焉する頃に生まれました。
東ケープ州というところに、トランスカイと言われる黒人の"自治区"があったのですが、そのあたりの出身です。
(自治区については詳しく触れませんが、"自治"とは、ということも考えさせられます)

母子家庭だったので、幼少期はおばあさんに、その他多くの親戚にも育てられたそうですが、祖母の家には水道はないし、電気もないので、夜は蝋燭で過ごしたそうです。

彼の母親(私の義母)は、運よく高等教育を受けることができたお陰で、ホワイトカラーの仕事についていました。
彼を出産するタイミングで、ちょうど学士の過程にいたので、テストの日と出産日がかぶってしまったことも。教授に頼んでずらしてテストを受けさせてもらって、みたいな話も聞きました。
彼がまだ小さかった頃、母親は、奨学金をもらってアメリカでマスターを取得する機会にも恵まれました。
そして、家族や親せきのために必死で働いてきたそうです。

母親は、よりスキルアップできる条件の良い仕事を求めて転職をしたので、小さいころから引っ越し・転校が多かったと言います。

彼が高校生の頃には、家族で首都であるプレトリアに移りました。

プレトリア大学(イロン・マスクも一瞬通ったと言います)のエンジニア系の学部に入学したパートナー。学費が足りず、退学の危機になったものの、大学側に猶予をもらい、レストランで学費を稼ぎ、何とか進学。学生生活後半では、企業でのインターンをすることで、給与をもらい、学費に充てていたそうです。

大学卒業後、グローバルコンサルファームに勤め、会社のサポートでビジネススクールでも学位をとった彼。

大手コンサルファームの給与は、アフリカと言えどかなりいい水準です。当然そのまま企業にいたほうが給与はたくさんもらえるし、安定しているかもしれません。それでも、搾取的な大手企業のビジネスに関わるより、アフリカ大陸の成長に、若者のアントレプレナーシップの育成に関わりたい、という想いからコンサルとして独立。
これまで、クライアントの会社に取締役としてジョインしたり山あり谷ありですが、アントレプレナーとしての道を歩んでいます。

彼が朝起きる理由は、アフリカ人としてアフリカを創ること。

南アフリカには、路上生活者も多く、目を覆いたくなるほどの貧富の格差があります。
自身も決して恵まれた環境ではないところで育った彼は、そんな路上の人々を「Brother」「Sister」と呼びます。
自分の人生も、一歩間違えれば彼らのようになっていたかもしれない。
他人事だと思えない気持ちがあるそうです。


お金をせびる、危ない、怠ける、向上心がない…

南アフリカにいると、よくこんなナラティブを聞きます。

「黒人が多いところはあぶない」
「アフリカ人の友達は、いつもお金を貸してと言ってくる」
「アフリカ人(黒人)のウエイターより、ジンバブエ人の方がまじめだ」
「黒人は愛想がない」
「アフリカ人は、向上心がない」

ある日、同じ大学院に通っている友人(日本に長く住んでいて、日本語がわかる子です)が、スーパーで日本人(おそらく駐在員)が「南アフリカでコロナが多いのは、黒人が衛生的じゃない生活をしているから」という趣旨の発言をして、黙っていられず日本語で注意をした、と言っていました。

普段接しているコミュニティの幅によっても、出会う人の所属が偏ることはあると思うので、それぞれのリアリティがあるとは思います。

今回は、私がパートナーやその家族を通して見える世界をつづります。


ルールはみんな平等に適用されるものではない

グループによって、文化が異なるように、実際にそんな傾向があるのは事実だと思います。

実際に、所得水準や失業率など、人種(南アの統計ではPopulation Groupと言います)によってかなり差があるのです。

ただ、そのステレオタイプが、実害となって降りかかってくることもあるようなのです。

たとえばSpurなどの大手スーパーマーケット。
アフリカ系の人がリュックをしょっている(+やせていたり安い服を着ていると特に)と、入り口にバックを置いておくように指示されるのです。肌が白い人が同じような格好をしていても、そのまま入店できることがほとんど。すべての店舗ではありませんが、ヨハネスブルグのお店で、このような対応をしているところは今でも存在します。
(大学内のプレゼンテーションで触れられていました)

そしてジムなどの施設の利用も、年齢や肌の色によって、(無意識に)対応が異なることは、よくあることなのです。
こうした違いは、実際にアンフェアにルールが適応される側になってみたいと、なかなか気づかないような機微なこともあります。

私の義理の妹ちゃんも、"いい"エリア(アパルトヘイト時代の白人エリア)の歯医者に行ったら「あなたみたいなひと(黒人)は、ダウンタウンの歯医者にいくものでしょ」と受付の人に言われ、もう二度とこの歯医者には行かない、と心に決めたそうです。

もし、"白人"の多さ=安全性という論理で通う病院や美容院を決めている人がいたら、それは所得の違いだけではなく、そうした言動で、非白人を追いやっているスペースである可能性もあります。

義母も、近所のWhatsApp(英語圏のLINEのようなもの)が、たまにアフリカーンス語(オランダ系の人が話すことが多い)でやり取りされ、彼女の英語での質問が無視されることも多く、このエリアに黒人がいることをよく思っていないひともいると感じることがあると言います。(ちなみに彼女以外にも三軒ほど、アフリカーンス語を話さない人がいるそうです)


ポストアパルトヘイト世代、高学歴の「黒人」であること

そんな扱いの違いは、あえて指摘する人もいないくらい、日常に溶け込んでいます。

とくに、黒人×若者という組み合わせは、ステレオタイプとして「信頼」「信用」と最も遠いところにあるように感じます。

たとえ本人がどんなに努力をしていようが、本気で人生を考えていようが、そのステレオタイプが、その人の足を引っ張るのです。

もし肌色が違ったら。
もし年齢が違ったら。
もしジェンダーが違ったら。

こんな扱いを受けなかったかもしれない。
そんな思いを抱えている人たちがいます。

特に、ブラックダイアモンドと呼ばれていたこともありますが、ポストアパルトヘイトに、学歴もありホワイトカラーの仕事についているミドルクラスの黒人の人々は、「顕示的消費」(高級品やブランド品を好む消費傾向)をすることが多いといわれています。
アパルトヘイト時代の抑圧の反動、という一面もある一方、実際によい身なりをしていないと、同等に扱われない現実も反映しているのではないでしょうか。

パートナーも、私(アジア人)と一緒にいると「まるで高級車に乗っているときのように」周囲のひとの態度が変わると言います。
私と一緒にいないときの扱われ方は想像するしかないですが、若い黒人男性、というだけで背負っているものがあるのではないでしょうか。


同時に、皮肉なことに、そのステレオタイプにある程度妥当性があると強く感じているのも、そうしたミドルクラスの人たちなように感じます。

2021年、今の世代のアフリカ系南アフリカ人は、必ずと言っていいほど、親族の中に失業者がいると思います。
そして、大学を出て仕事を持っているような人は、若い世代だけれど、親族で一番の稼ぎ頭であることも多々あります。
そうした人々が直面するのは、田舎やタウンシップの人から、お金を貸してくれ、大学への入学の仕方を教えてくれ…といったお願いの嵐。
もちろん、実際に向上心のある親戚もいる一方で、ただ頼りにするだけの人も多くいるのは事実なのです。
(こうした現状はBlack Taxと呼ばれています。恵まれない家族を養うために、雇用されている黒人の人々が使うお金を、税に見立てています)

キャリアを積むほど、ステレオタイプによるアンフェアな出来事に出会い、親族からせびられる。そんなジレンマがあるように見えます。


通学途中で刺された友人、大学に行けるのは特権?

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南アフリカには、まだまだ人種に基づいたステレオタイプがあります。

そこから抜け出そうと、よりよい暮らしを求めて努力する人たちが、ステレオタイプの海に溺れ、苦しんでいるのを見て、悲しくなることがあるのです。

ただでさえ、歴史的に不利益を被ってきたグループにとって、高校卒業や大学進学などを達成しようとしても、乗り越えなければいけない壁の数が違うように感じます。

プレトリア大学で、学生委員会に所属していた彼。
委員の仕事として、新入生の入学登録のサポートをしていたこともあると言います。
田舎から大学に入学するためにプレトリアに上京してくる人の中には、家族の中で初めて高校を卒業して、初めて大学の門をたたく、というケースが今でも珍しくありません。

村にはインターネットもないので、近くの地方都市にタクシーを乗り継ぎ、インターネットカフェで出願し、やっとのことで大学に到着します。
周囲にはだれも大学への入学の仕方なんて教えてくれる人はいません。手探りで手続きを進めていきます。(ちなみに南アの大学のWebサイトは、そこまで親切に手続きは書いてありません※経験談)

親戚がお金をかき集めて買ったプレトリアへの片道切符。
親族の期待を背負って大学に到着して登録をした時に、初めて知る登録費の存在。授業料は奨学金がありますが、登録料はカバーされません。
たった数千円くらいですが、それが用意をできなくて、その日泊まるところもなくて途方に暮れる…

そんな若者を何人も見たと言います。
委員会として、大学の会議室を一晩開放して、泊るところを提供したけれど、その後彼らがどうしたかはわからないと言います。

先日あった若者も、コロナで父親が亡くなり、登録料の200ランド(1600円ほど)が工面できず、今年の進学をあきらたと言っていました。


大学入学を検討する前の段階で、躓く人も少なくありません。

パートナーが通っていたプレトリアの高校の話。
南アフリカの学校はエリアによってクオリティが大きく異なります。アパルトヘイト時代の白人専用学校は「モデルCスクール」と呼ばれ、施設も比較的しっかりしており、教育の質もよいことが多いのです。
そのため、お金に余裕がある人は、通学に時間がかかっても、子どもをモデルCスクールに通わせたいと思うようです。

彼が通っていた学校もその一つで、中には遠くのタウンシップから通ってくる同級生もいたと言います。
同級生の一人は、カバンの中に銃をもって登校していたそうです。どういうことかと言うと、タウンシップから元白人の学校に行くということで、地元に戻った時にいじめや暴力の対象になることがあるため、身の安全のため、親が子どもに銃を持たせていたのです。

その学校に通っていた時、実際に同級生の一人が登下校中に刃物で刺されたこともあったと言います。

「そんなこともあったなー」という感じで、過去の経験を語るパートナーをみて、当たり前の差にがくぜんとしたのを覚えています。


(タウンシップと呼ばれるアパルトヘイト時代の非白人専用居住区から、遠くの良い学校に通う子どもとその悲劇について描かれたドキュメンタリーがこちら👇)

(これも実話に基づいていますが、登下校中の暴力は、決してものすごく珍しいことではないと聞きます)


実際に何かを成し遂げるにも、まだまだ痛いほど、高い壁がそびえているのです。


Let's talk about individual but collective 

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パートナーはよく、「黒人の若者に対して、一番疑い深いのは、同じ黒人の人たちだ」と言います。

だましあったり、被害にあったりするのは、一番近くにいる人たち。
でも、近いからこそ、そんな行動に走ってしまう一人一人の辛さも察することができるのが、そんな人たちだとも思っているようです。

集団として、○○人は…という傾向があることは事実としてあるとは思います。ジェンダーや年齢もそう。

それでも、私個人としては、個人を見て、個人と対話できる努力は惜しまずにしたいと思っています。
ステレオタイプを誇張するような、ジャッジメンタルなナラティブにはあまり加担せず、異なるストーリーにも光をあてていきたい。
それが難しいことも承知なうえで、そんな風に思うのです。

一人の行動や心がけがどんな力を持つのかなんてたかが知れているけれど、私ももっと違う世界や視点に増えていきたいし、だからこそこれからも学んでいくのだと思うのです。


まとまらないですが、こんなところで筆をおきたいと思います。

(旅はつづく)

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