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みんな変わりたくて、変われない。

 流行に隅の埃程も興味がありません。なんて街中で拡声器片手に呟いてみろ。電源は入ってないつもりだったが、たちまち、一人の翁の如き者現れ、「そんなはずはなかろう。君は、自分は他人とは違うという特別感、気持ちいい異邦人、つまり、優越したいだけじゃ。人間皆、そこを通る、いや、今でもその中途にいるのだよ。だから、まあ、俗に言うところの中二病なのじゃ。可哀想に、お主もまた、恥だらけの生涯。」なんて調子の説教を垂れるに違いない。ウィズ、いやな味のする唾。まあ、実際それは、シンプソンズみたいな素性不明の奴からかもしれないし、同級生からかもしれない。兎に角、そんな風に言われれば、非常に気を悪くする。そんな気持ちがなくても、あるような気がしてくる。空気に毒が混ぜられた。

 人間は、誰だって自分を特別だと思っている。しかし、皆が特別であると思えば、それが平均になって、思うだけでは凡人になってしまう。かく言う私も然り。そうなると、思考と現実、つまり、内と外に体を境とした断層が生じて、光る者には嫉妬せざるをえない。もしくは、諦感。

 諦感は、そこからの景色が見えるかもしれない。だが、いやな感じ、はそうはいかないかもしれない。その感情は、他人に向けられたようで、何より自分に牙をむくし、人の不幸から蜜の味がするようになる。最初は匂いだけだけど。そして、変わり者には平凡の正義を研いで、突き付ける。多数決の心理。

 誰でも主役になれる時代がやってきた。noteでもtwitterでも、自分の言葉が、いとも簡単に、秘めた力を波紋状にして広がっていくような感覚。個人的には。でも、皆が、言う、から私なんぞの下らん駄文は直ぐに何処かへ沈殿してしまう。それには、色々思うけど、私は気にしない、というのが理想だ。ただ書きたくて書いたから。じゃあ、なんでそれをわざわざこんな場所に提示するのか。ただ単に、そんな小さな欲求なら、自由帳の端にでも書いておけ、徒労だろ。そう思う人もいるだろう。人に見られて、褒められたいのだろ、真実は。でも、残念。みんなお見通しだよ、欲しいと言われりゃあげたくないのが人情だ。いや、そんなことはない、と私は小声で反駁する。私は理解されなくていいんだ、なんてフィクションじゃないのに、芝居のポーズ。

「みんな狂ってる!!」