33日目 はたらく大人
「俺はニューヨークに行く」が口ぐせだった17歳の頃、学校帰りによく通っていた小さな画材屋がある。
そこで働くお兄さんだかおじさんだかよく分からない風貌の男の人達は、みんな寡黙だった。店の奥にいるんだかいないんだかほとんど気配を感じないので、絵の具の棚の前で色を選んでいる時、僕はほとんど一人でいるような感覚だった。
会計の時もぼそぼそと値段を言って袋に入れ渡してくれるだけで、それ以外の言葉を聞いたことがなかった。
そんな風だから距離が縮まるはずもない、と思っていた僕に、おじさんのようなお兄さんのうちの一人が突然、小枝を炭化させるように燃して作ったという画用木炭を分けてくれた。
しょっちゅう顔を合わせているうちに、いつの間にか向こうからは距離が縮まっていたらしい。
いつだったか久しぶりにその画材屋に行くと、店員は姿勢のいいよく通る声のはきはきしたお姉さん一人に変わっていた。
「ほら、ここで働いてた男連中、なんかみんな暗くてぱっとしなかったでしょ。昼休みにたばこ買いに行くって出てったきり、帰ってこなくなって辞めちゃったやつまでいるんだから。」
短い髪のよく似合うくっきりとした目を真っ直ぐこちらに向け、可笑しくて仕方ないという感じで僕に笑いかけながらそう言った。
僕はたばこを買いに出たきり戻らなかった人と話してみたくなった。
店の空気は何だか隅々まで明るくなって、僕はどこにいても落ち着かなかった。
画材屋のある通りから少し歩いて、踏み切りを渡った先には小さなレコード屋がある。そこにもちょくちょく顔を出していた。
CDを選んでいると、店主のおっちゃんはユーフォニウムだったか、何やらでかい金管楽器を出してきて「ブフォッ。ブフォッ。ブフォ~ッン。」と練習を始めた。
僕が振り向くと、「ごめんごめん。うるさかった?試聴機もあるから。座ってゆっくり聴いてって。」とおっちゃんは楽器をしまい、椅子を出してくれた。
椅子に腰かけCDを聴いていると、「テンッ、テンッ、テンッ、テンッ、」今度は妙な甲高い音が聞こえてきた。
ヘッドホンを外して振り向くと、おっちゃんは壊れたスチール製の棚を金槌で叩いて修理しているらしかった。
目が合うと、「ごめんごめん。大丈夫!遠慮しないでゆっくり何枚でも聴いてってね~。」
もはや曲には集中出来なかったし、何が大丈夫なのかさっぱり分からなかったけど、好き勝手にしているおっちゃんのそばは居心地が良かった。
その店もずいぶん経ってからふと立ち寄ってみると、テナントの半分はラーメン屋に変わっていて、おっちゃんが修理したあの棚ももう置けないくらい売り場面積が小さくなっていた。
気がつくと僕は大人になっていて、どの街もこざっぱりと整っていて、ちゃんとした大人達で溢れかえっていた。
てんで商売に向いてない大人が商売をして、ちっとも接客に向いてない大人が接客をしていたあの街は、一体どこに消えてしまったんだろう。
結局一度もニューヨークに行っていない僕は、出張で国内の様々な街に降り立つ度に、今でも探している。僕が17歳の時を過ごした、あの妙な大人達が好き勝手に働いていた街が、今もどこかにあるんじゃないかと。
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この物語はヤヤナギさんが企画されている #100日間連続投稿マラソン に参加しています。
毎日ひとつずつ、少しずつずれながらどこか重なっているような物語を綴っていこうと思います。
企画の詳しい内容は、ヤヤナギさんのnoteのこちらの記事 に掲載されています。
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