ざっくり解説!徳川幕府はなんで弱くなったの?<後半>
雪国育ちのOL、春です。
今日は徳川幕府が弱体化した理由の2つ目をざっくりと私なりに解説していこうと思います。私は専門家ではなく、一人の幕末好きですのでお手柔らかにお願い致します…
前半は財政難により徳川幕府が弱体化したという主旨の記事を投稿しました。
後半では2つ目の理由、徳川幕府の内部崩壊について書いていこうと思います。
今から書く内容は内部崩壊という言葉とズレが生じる部分があるかもしれませんので、理解いただけますと幸いです…
江戸時代末期の徳川幕府は井伊直弼をはじめとする、幕臣たちの活躍がめざましかったです。この時代の将軍は何をしていたでしょうか?という問いに答えられる人はかなり少数だと思います。
特に幕末の将軍は「お飾り感」が強く、完全に幕臣たちが政治を操っていたと私は思っています。慢性的な財政難、ペリー来航、尊王攘夷派の台頭など今までに類をみない大きな問題を将軍は対処しなければいけません。
本来ならば、このような問題を対処できるのは経験・知識・リーダーシップのある人物だと思います。ですが、幕府の基本的な体制上、徳川家の血筋を引いている人が将軍になるため、経験・知識・リーダーシップの無い人が国のトップになってしまうなんてことが起きるわけですね。
という事は何が起きるかと言うと、将軍がリーダーシップをとって幕臣たちを動かすのではなく、幕臣たちが将軍を動かすということが起こります。幕臣の間にも派閥があり、様々な思惑が混在しています。当時は議会などなく、多数決で何かを決めるような制度はなかったので、権力を手にした幕臣が考えた策を実行していくということになるのです。しかし、権力を手にしても幕府内部にも敵がいる、且つ財政難や尊王攘夷派の台頭など幕府の存続を揺るがす問題も刻一刻と大きくなっていって幕府全体が焦り始める…という状況です。
例えばですが、同じ状況を会社に当てはめて考えてみてください。こんな状況の会社で内部崩壊が起こらないはずが無いのです。
このように様々な内部要因と外部要因が重なり、徳川幕府は弱体化していきました。もちろん、弱体化には諸説ありますが私は経済と内部崩壊が大きな要因だと考えています。
以上、今回は前半と後半に渡って徳川幕府の弱体化についてざっくりと解説しました!
読んでいただきありがとうございました。
またnoteでお会いしましょう!
春
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