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【コラム】中学・高校3年間で失ったもの

3月9日中学校で卒業式が行われましたね。ニュースでその様子や、インタビューをみましたが、泣いている子がいて「いい中学3年間だったのかなー」と思っていました。

しかしインタビューを見てみると、こんな言葉が聞かれました。

「3年間で一度も机で向かい合ってお昼ご飯を食べることができなかったです。一度でいいからやりたかった。」

涙の理由はやりたかったことができなかった悔しさや、仲良しの友達ともっと思い出を作れたはずだったという悲しみだったのかもしれないと感じました。

実際問題、中学や高校の3年間をコロナと付き合ったことは、これまでの卒業生とは全く違う気持ちや感情を生んだと思います。

他にも発達の観点からもコロナによる弊害があったのだろうと考えています。

発達に与える弊害

この時期は親子関係から仲間との関係性の重要性に移行していく時期です。しかし、コロナによりその仲間との関係構築の機会が多く奪われたということになります。

例えばお昼ごはんの集団の中に「一緒に食べよう!」と紛れ込んでいく経験や、友達とマスクなしで思いっきり話し尽くす経験など…

どれも大事な経験で、そういうことを繰り返す中で広がっていく交友の輪があるし、逆に友達との関係でモヤモヤして、それをなんとかしたいと葛藤する経験にも繋がったり。

そのような経験が奪われると、共同体感覚を築くための経験が乏しくなってしまったと言い換えることもできそうだと思いました。

それによって孤独感が増えたり、孤独の幸福や短期的幸福を促進されるのではないかと考えます。

共同体感覚の喪失可能性

例えば共同体感覚では「あいつのためなら頑張るぜ」という感覚があると思います。それが広がっていく中で、「集団のために頑張る」とか、「ここは頼ってもいいんだ」とか色々な自分が共同体の中で活き活きと過ごしていくための知恵が身についていくと思っています。

またそう思える共同体が生まれれば、「1人じゃないんだ」って思えるかもしれない。人間という生き物はこれまでの歴史を考えても、助け合って生存してきたので、ひとりは苦しくなる。だから「1人じゃないんだ」って思える経験はとても大切だと思います。

でもそれが失われつつある。しかもそれを紛らわすSNSなどの短い賞味期限の自由がたくさん散りばめられている。

1人でも楽しいじゃないか!幸せじゃないか!

そう思いやすい場が整いやすくなっています。その時間が悪いわけじゃない。でももっと人間的に活き活きできる長期的な自由を見つけにいくこともできるはず。

こんなことを考えていると、この3年間で失われたものは非常に大きいものなのだろうと考えられます。

もっと小さなことで言えば、「マスク生活で表情を読むことや、感情表現が苦手になったのでは…」などもっといろんな心配事はあります。でも今回は大きなところについて書いてみました。

みなさんはこの3年間どうでしたか?もちろん得られたものもあると思います。得たものも考えながら、これからの社会をどうしたいか考えるのも大事かもなーと考えている今日この頃でしたー。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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