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【掌編】穴があったら入りたい

またやってしまった。しくじった。

穴があったら入りたい。

そしたら目の前にあった。穴が。岩壁にぽっかりと。これぞ渡りに船。とりあえず入ってみる。もぞもぞ。

うなぎの寝床のような穴のなかを這い進んでいく。闇が深い。手探りで辺りに触れてみる。ごつ。岩だ。ちょっとひんやりする。

そうだ、ライト。

私はあまりの穿き心地のよさに同じものを三つ買ってローテしている、寝巻き代わりのジャージのポケットに右手を突っ込み、スマホを取り出した。そして指でとんとタップすると、暗闇にぼんやりとモニタが浮かび上がり、頼りない光で周囲を照らし出した。

そこは洞窟だった。天井がそれなりに高いことを確かめ、立ち上がる。どこかの観光地のサイトで見たような、鍾乳洞っぽい光景が広がっていた。

ふと視線を感じる。暗闇のなかから、一組の目がこっちを見ていた。ぎょっとする。

「いらっしゃい」と、その目が言った。
「ど、どちら様ですか」と、私は尋ねる。
「あんたと同じだ。穴があったから入ってきた」

声のするほうへモニタを向けると、似たような目がもう何組かぼうと浮かび上がった。百目という妖怪を思い出し、全身の肌が粟立つ。私は集合体恐怖症なので、そういった類のものが苦手なのだ。蓮コラとか。絶対むり。ぞくりとする。なんかこう背筋がういいいいってなる。

けど、今はそんなことはどうでもいい。目の前にいくつもの目が浮かんでいること、それこそが問題だった。

先ほどの短い会話から察するに、彼らも私と同じく、穴があったから入ってきた人たちのようだ。よくよく目を凝らしてみると、驚いたことに、みんな体がドロドロに溶けてどす黒いヘドロの山のようになっていて、そのなかで瞳だけがぎょろりと光っていた。

私が呆然と立ち尽くしていると、ドロドロのなかの別の瞳が言った。

「おれは大切なプレゼンでやらかしちまってね。逃げるようにトイレに駆け込んだら、そこに穴があってさ」
「あたしは恋人に恥ずかしい姿を見られちゃって、そばにあったこの穴に衝動的に潜り込んだの」
「私は四十年勤めた会社を首になってヤケになりましてね。先祖代々阪神タイガースの大ファンなもので、適当にその辺の川に飛び込んだら、なんかワープ的な感じでこの穴のなかに入っていたんです」

どうやら皆、それなりに様々な経緯や事情から、この穴へとたどり着いたらしい。それにしても解せないのは、なぜ今もまだ、彼らがここにいるのかということだ。そう尋ねると、ひと組の目が答える。

「この穴のなかは居心地がいいんだ。穴に入ってきた人たち同士で、互いの恥ずかしい傷を舐め合っているうちに、こんなにドロドロに溶けちゃってさ。途中で、あ、これまずいやつだ、外に出ないと戻れなくなるわ、とは思ったけど、あまりにも気持ちがよくてやめられないんだわ。けっこういるんだよね、そういう人たちが」

次いで、その横でぎらついている瞳が言う。

「なんなら、あなたの恥ずかしい傷も舐めてあげようか? あらゆる負の感情が溶けて流れていくようで、生まれ変わったみたいな気分になるよ。ほら、さっさとシャツ脱いで」

そう言われて正直、私は心を惹かれた。確かにあんな恥ずかしい失敗は、今すぐにでも忘れてしまいたい。記憶から消し去りたい。ただ、そうやってこの人たちみたいにドロドロに溶けて、外へ戻れなくなってしまうのも困る。私には養うべき猫たちがいるのだ。

「いや、やめておくよ」と私は答え、入口のほうへと踵を返した。

背後のドロドロのなかから一斉に、「チッ」という声がした。

これもう猫めっちゃ喜びます!