【エッセイ】睡眠力

家人を見ていて感心させられるのは、その睡眠力である。

周りが明るかろうが、うるさかろうが、まったく意に介さずに寝る。この世に睡眠力を競い合うスポーツ、略して眠スポーツがあったら、かなり上位に食い込めそうだ。ちなみに眠スポーツでは「ふだんとは違う枕での眠りの深さ」や、「電車やバスの座席など、シチュエーションごとの入眠タイム」を競い合う。

家人の底知れない睡眠力がモノを言うのは、朝、そのスマホの目覚ましが鳴った瞬間だろう。まったく起きない。リンガリンガ鳴っているのに、耳に石でも詰まっているかのごとく平然と眠り続けている。

一方の私は、スマホの目覚ましが「りん…」と鳴りはじめたその瞬間に目が覚める。下手すると、その三十秒くらいまえに起きる。

家人の目覚ましなのに、自分が先に起こされていることへの理不尽を毎回感じずにはいられないが、より厄介なのは、目覚ましが音楽にセットされている場合だ。アデルやコールドプレイが歌ってくれるぶんにはまだいいが、たまにレッド・ツェッペリンがかかる。それも“ブラックドッグ”が。

覚醒したばかりの私の耳に、朝も早よから、ロバート・プラントの甲高い奇声と、ジミー・ペイジのぶっといギターリフと、ボンゾの地鳴りのようなドラムが騒々しく響くのである。

周りの観客たちは思い思いにヘドバンし、ウェーブすら起きている。が、私は顔をしかめるしかない。眠いんだよ、こっちは。ヘイヘイマーム、じゃねえっつーの。あとソロ長すぎな。

が、ツェッペリンを黙らせようにもスマホには手が届かず、寝起きですべてが億劫な状態では、布団をかぶって嵐が過ぎるのを待つしかない。つらい。

そんな私の苦しみなど露も知らずに、家人はぐうぐう寝ている。

やがて“ブラックドッグ”の演奏が終わり、ツェッペリンの面々は万雷の拍手のなか、観客に手を振ってステージから去っていった。私もほっと一息つき、あらためて眠りに入ろうとする。

その瞬間、スマホのスヌーズが作動した。

すると一度演奏を終えたはずのツェッペリンがまた手を振りながら、軽やかな足取りでステージへと戻ってきて、ボンゾのカウントと共に、再び“ブラックドッグ”を熱く熱くプレイしはじめた。

アンコールへの歓声が鳴り止まなかった。

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