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【エッセイ】ジーパン

いっときジーパンと呼ばれていた。

いや、呼ばれていたと言うのは語弊がある。自分からそう呼んでくれ、と頼んだのだから。

ジーパンと言うのはもちろん、松田優作にあやかってのことだ。名前も容姿も一ミリも似ていないけれど、子どものころに観た『太陽にほえろ!』の伝説的な殉職シーンにより、自分のなかでジーパンは神と化した。その神の名を、一度でいいから名乗ってみたかった。

そもそもなぜ、ジーパンになったのかというと、とある新設ホテルに立ち上げメンバーとして就職し、初めて同僚たちと顔合わせをしたときに、誰かが何気なく言ったのだ。皆をニックネームで呼び合ったら連帯感が生まれ、チームとしての結束も高まるのではないか、と。

それって『太陽にほえろ!』じゃん、と私は心のなかで快哉を叫んだ。人生のやることリストのひとつにチェックを入れられるときが、ついに訪れたのだと。

が、周囲の反応はにぶい。互いの緊張をほぐすための冗談めいたアイデアとして、笑って流されそうな空気がたちまち醸成されていく。まずい。このままではジーパンになれない。

そう危惧した私はすかさず、「じゃ、ぼくはジーパンで」と率先してニックネームを提案した。軽い笑いが起き、それに後押しされるように、同僚たちも次々と、自分が呼んでもらいたいニックネームを発表していった。

こうして皆のニックネームが決まり、私は晴れてジーパンとなった。ちなみにジーパンは一本しか持っていなかった。

が、思わぬ問題が起きた。

実際にジーパンと呼ばれてみてわかったのだが、かなり恥ずかしい。そもそも松田優作はジーンズ姿の刑事だったので「ジーパン」でもしっくりくるが、当方はホテルマンであり、仕事中はスーツを着ている。それなのにジーパンは明らかに変だ。噛み合わない。ジーパン姿の客を無用に振り向かせてしまう恐れもある。

そういった懸念は、私をジーパンと呼んでみた同僚たちも抱いたらしく、他のメンバーのニックネームが順調に浸透していくなかで、私の「ジーパン」は穴の開いた風船のようにたちまち勢いを失っていった。

最後までジーパンと呼んでくれていた数人も、多数派に押されるようにやがてジーパンを自粛し、より私の名前に由来するニックネームで呼ぶようになった。

こうして私のジーパン期は短命に終わった。

第二期は永遠にやって来ないだろう。

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編集長の翻訳ジョブ。生ける伝説、ミック・ジャガーの破天荒すぎる半生を綴った伝記もの。


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