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【寄稿】この夏、キミは戦士になる〜『スターソルジャー』と16連射に教わったこと〜

子どもの頃、運動がからっきしだった。

駆けっこをすれば転び、野球をすれば空振りし、サッカーをすればグラウンドの隅で呆然と立ち尽くしていた。ボールは友だちじゃなかった。ちっとも。そういったことがしばらく続くと、子どもながら薄々気づく。自分はいわゆる運動音痴なのだと。たぶん根本的な何かが周りより劣っていて、その壁はどうやら越えられないらしいと。

それでもおれ頑張った。「子どもは風の子」という、拒否権なく仕込まれる強迫観念に駆られ、理想とされる少年像を内面化して子どもらしくあろうと努めた。けどだめだった。気づけば背中に順位をつけられ、運動を呪うようになった。

そこへファミコンが登場した。テレビゲームが。この時確かに、私の世界の何かが変わった。

最初から足が速かったり、ボールを遠くへかっ飛ばせたりする子がいるように、私もなぜか、ファミコンだけは、ゲームだけは、周りと比べて飲み込みが早く巧かったように思う。我が家には近所の子どもたちがゲームをしに集まるようになり、ファミスタでリーグ戦をやって優勝もした。決め球は今でいうフロントドアだ。

そんな頃、一本のゲームが颯爽と登場した。

──この夏、キミは戦士になる。

ファミマガかコロコロの広告か、あるいは店舗のチラシだったか。どこで目にしたかは覚えていないが、私はその『スターソルジャー』というゲームのコピーに目を引かれた。声が聞こえてきた。運動音痴だろうと関係ない。ゲームの世界なら、ぼくらは誰でも戦士になれる。ヒーローになって輝けるのだ。そう言われているような気がした。

そして実際ヒーローは降り立った。
高橋名人である。

1985年にリリースされた名作シューティング『スターフォース』で、かの有名な「16連射」の技を披露し、世のファミコンキッズの心をわし掴みにした高橋名人。今やまさかのコナミ傘下となったハドソンでは当時、「全国ゲームキャラバン」と銘打ったゲーム大会を日本各地で開催していた。その記念すべき第1回目のお題が『スターフォース』で、翌年の第2回大会で皆がスコアを競い合ったのがその続編である『スターソルジャー』だ。

キャップに黄色いTシャツ姿の高橋名人が『スターソルジャー』の華麗なテクニック──ラザロの8万点ボーナスやデライラの同時撃破など──を、代名詞の16連射を繰り出しながら披露するその勇姿に、当時のファミコンキッズは目が釘付けになった。名人の使用する、今まで見たこともない鮮やかな黄色のジョイスティック型コントローラーも、やたら格好よく映った。

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そしてヒーローにはライバルがつきものだ。
高橋名人にもライバルがいた。毛利名人という。

高橋名人が当時を振り返ったインタビューによると、毛利名人は元々、ハドソンのゲームイベントによく現れる大学生だった。そして全国キャラバンを担当するもう一人の名人を探していた折、ハドソンがその学生に声を掛け、ゲームをプレイしてもらったところ、かなりの腕前だったので、二人目の名人としてバイトで採用したらしい。そんなバイトあるのかよ。知らなかった。当の毛利名人は現在も毛利名人の名で、フリーライターとして活躍されている。「人生何が起きるかわからない」を地で行くような、運命の粋な計らいに拍手を送りたいエピソードだ。

ふたりのキャラも立っていた。両者の佇まいは“剛の高橋”に“柔の毛利”といったふうに対照的で、雑誌などでふたりが睨み合っている写真では、そのぶつかる眼差しの間に、いかにも長年の確執や因縁が渦巻いているように見えた。実際はたまたま出会っただけの、ハドソンのいち社員と学生バイトだったのに。

けど、そういった大人の事情を当時のファミコンキッズが知るわけもない。

このふたりが中心となって展開した「全国ゲームキャラバン」は当時ものすごい人気で、両名人が雌雄を決する映画すら作られている。わけても高橋名人が16連射の修行のため、指の連打でスイカを粉砕するシーンは伝説的であろう。

私も高橋名人の流麗なプレイを見てメモを取り、さすがにスイカは割らなかったが必死になって『スターソルジャー』を練習した。戦士になるために。宇宙を救うヒーローになるために。おかげでゲームのほうは巧くなったけれど、実のところ一番惹かれたのは名人が魅せる攻略法そのものではなく、16連射のほうだった。

この技を身につけたい。誰よりも早く連射できるようになって、なんか見返したい。そういった漠然とした焦燥感に駆り立てられた。

一度でもこの16連射に挑んでみた人はわかると思うが、ハンパじゃなく疲れる。単なる指の上下運動だろうと侮ってはいけない。肘のあたりが常時突っ張り、力が入って、予選タイムアタックの制限時間である2分間ですら、ボタンを叩き続けたあとは、冗談ではなく息も絶え絶えになる。これほど過酷なことを、涼しい顔で淡々とこなしていた名人はやはりすごかったのだ。

のちに発売された『迷宮組曲』というゲームに連射力測定機能がついていて、私もそれで測ってみたところ、13連射が精一杯だった。16と13。たった3つの違いでも、そこには果てしない距離があるように感じた。

結局私は16連射を極めることができず、一世を風靡したシューティングゲームの人気も徐々に下火になっていく。16連射に執着したのはあの一夏だけだったけれど、私が大切な何かを学んだのは確かだ。別に運動ができなくたって、輝けるチャンスはある。「子どもは風の子」である必要なんて、どこにもない。ゲームの世界はなんて寛大で自由なんだ──『スターソルジャー』と高橋名人は、いわば新しい世界への鍵だった。

気がつけば五十路が見えてきた半生を振り返ってみて、思う。あの夏の『スターソルジャー』との出会いは、紆余曲折を経て今、主にゲームの翻訳で食っている自分にとって、事実上最初のキャリアの分岐点だったのかもしれないと。

結局自分は今も昔もゲームに生かされているのだ。そう考えると、ゲームに対しては感謝の気持ちしか湧いてこない。

ありがとう、ゲーム。私を肯定してくれて。

(本稿は、『Inscryption』などのゲーム翻訳者いはらさん主催による、“ゲームとことば”という企画向けに執筆しました。)

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