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【エッセイ】旅は北

旅といったら北だろう。

特に冬はそうだ。暖かい南へ向かうなどもってのほか。そんなのは逃げだ。チキンだ。冬の旅とは容赦ない自然美と対峙し、震え畏れるための巡礼であり、ゆえに人は常に北へ、寒いほうへと向かわなければならない。

こういった偏った思想を抱くようになったのはたぶん、子どもの頃、新潟の豪雪地帯にある母方の祖母の家を毎年、冬休みに訪れていたからだろう。山間に抱かれたその村は、冬になると毎年雪が三メートルくらい積もり、夜になると雪のしんしんと降りしきる音だけが聞こえてきた。近所の子どもたちはスキーで学校へ通っていた。

冬は寂しい。物悲しい。けれど、そうした幼少の頃の体験がおそらく私に、冬の寂寥の中にある美しさに気づかせ、それらがノスタルジーによって増幅され、冬を、寒さを、どこまでも神聖視させるのだろう。

そういえばワーホリでカナダへ行ったときも、「寒いから」という理由でそこを選んだ。オーストラリアやニュージーランドという選択は、はなから眼中になかった。むしろ邪道だと思っていた。コアラだと?ぼけなすが。カナダには北極圏がある。真の寒さが待っている。一度でいい。私はそれに触れてみたかった。

そのカナダは冗談ではなく寒かった。新潟は雪どころとはいえ、気温的にはマイナス五度くらいの寒さである。私が滞在したイエローナイフの冬に比べたら可愛いものだ。北極圏にあるその街の寒さは、本気で人を殺しにくる。

だからこそ、私は興奮した。

仕事の休憩中、マイナス四十度の屋外で嬉々としてはしゃぎまくり、現地のイヌイットの同僚に「おまえはイカれてる」と呆れられたのも、今ではいい思い出だ。

夜中に外でぼんやりオーロラを眺めていたら、警察に「危ないからやめなさい」と釘を刺されたこともある。むべなるかな。その街では酒に酔っ払って凍死する人が少なくない。警察の老婆心はもっともだが、私にとっては興醒めだった。

そうやって冬に異常な執着を見せる私は、毎年一度は山の中で雪見風呂をしないと何かが狂ってしまう体質なのだが、今年はどうにもタイミングが合わず、北への巡礼に向かえなかった。無念でならない。

だが、まだ冬は終わっていない。

世間が春を待ち侘びるなか、私はケータイのお天気アプリに青森や山形の名だたる豪雪地帯を登録して、うまいぐあいに雪が降らないか天気予報をつぶさにチェックしている。

あわよくば、一日でも雪を浴びたいので。

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寄稿ライターさんの他メディアでのお仕事も。武道家ライターことハシマトシヒロさんによる名作『ニキータ』のレビュー。面白いぞ!

最後に編集長の翻訳ジョブを。個人的に翻訳も気に入っている、スーファミ時代のアクションゲームへのラブレター『The Messenger』をどうぞ!本作と世界観を共有しているらしい、同じデベロッパさんの新作『Sea of Stars』も楽しみです!

これもう猫めっちゃ喜びます!