伝わる文章とは?その7「第三者の目を持つ」

その2の「共通認識」の繰り返しになるかもしれないのだけれど、自分が知っていることを書くときは(ぃゃ、知らないことは書けないのだけれど)第三者の目が欠かせない

例えば「ハゲマッチョ好きな堀井塚さんの奥さん」ていう文章。書いた本人は「堀井塚さんの奥さんがハゲマッチョ好き」ってことを知っているので、そのまま文章にしたのだろう。しかし、この文章は「堀井塚さんがハゲマッチョ好きで、その堀井塚さんの奥さん」とも解釈できてしまう。何が言いたいかというと、何通りにも解釈できる文章を書いちゃあ駄目ってことだ。

こういう文章を書いちゃうのは、第三者が読んだときにどう解釈されるかっていうところまで配慮できてないから。もう1つ、別の例を挙げよう。

こちらはその1の「正確に書く」につながるのだけれど「私の前に座ったその男性は、見るからに普通の人だった」という文章。この文章に続いて若いとか、背が高いとか、太ってるとか、その男性の外見の描写があれば納得もできるんだけれど、何もないまま話が進んでしまうと「お前の普通基準なんか知らねぇよ」と思わざるを得ない。

書いた本人は自分の目で見ているので、どんなふうに普通なのかをイメージできてるんだろうけど、その男性がどんな人なのか、第三者には全くイメージできない。

そういう“独りよがりな文章をチェックするために、第三者の目は必要だ。ブロガーさんとか、編集者や校正者などのプロを通さないで文章を世に出してる人は、第三者の目で自分の文章を読み返す練習をしたほうがいい。

次回「その8」では、文章全体の流れをつくる「起承転結」のお話をしよう。


記事は基本的に無料にしていますが、サポートしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。