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【読切短編:文字の風景⑧】夏祭り

夏祭りの匂いは、焼きそばと綿あめと、人間の匂いで出来ている。

しょっぱくて、甘くて、ほんの少しだけ饐えている。

立ち並ぶ出店の香りが私を撫で、首筋の汗と交じり合う。薄墨色の世界の中で、ぼんやりと赤い提灯が浮かぶ景色は、何かが待ち構えている予感がする。手招きされるように歩き出すと、カラン、と乾いた音がした。数日前に買った浴衣の、青と黄色のストライプ模様が翻る。

思春期の女の子にとって、夏祭りは否応なくロマンチックな響きを感じさせる。女友達と約束して、この日の為のお洒落をして、履き慣れない下駄の鼻緒で足を痛めたことも忘れるほど、キラキラとした夜の世界に高揚してしまう。普段一日の終わりを予感する時間が、永遠の幕開けのように感じる。それは、童話のお姫様が毎晩楽しむ舞踏会を思い出させた。

小さい頃、初めて自分で選んで買ってもらったのはメダカ柄をした紺色の浴衣だった。皆が欲しがる大ぶりの花柄やラメは興味が持てなかった。今着ている浴衣も青が基調で、人の嗜好はそう変わらない。その証拠に、大人になった今も夏祭りには、根拠の無い予感と高揚感を禁じ得ない。

歩行者天国になった車道の左右に、暗黙の了解で人の流れが生まれる。その間を取るようにして、注意深く左右前後を見渡す。友達にバレないように、熱くなる頬をごまかしながら。痛む足を前に、また前に出す。青い浴衣は夜の闇に沈んで、きっと目立たない。でも、他の女の子との区別は付く。

道いっぱいの人いきれを縫うように、周りの人と抜いたり抜かれたりしながら歩く。向かいから歩いてきた集団は中学生くらいだろうか。黒い甚兵衛とサングラスで決めた少年たち。そのサングラスの奥の目は、きっと忙しなく辺りを見渡している。空を仰ぐと、人形焼の煙がすっかり暗くなった星空へ消えていく。

学校の教室から、夏祭りは始まっている。あの子は誰と居るんだろう。きっとこの人込みの中に居る。どんな格好で来るんだろうか。何を食べているんだろうか。もしたまたますれ違ったら、私を見つけてくれるだろうか。浴衣を、褒めてくれるだろうか。

5つの山車が練り歩き、夜空高く掛け声が響く。祭りの本質とは何だろう。私は出会いとすれ違いだと思う。人と神が交錯する場所。会いたい人がどこかに居る場所。遭いたくないものに遭遇する場所。

人込みの隙間から、見覚えのあるメダカがこちらを覗いて消えていった。

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