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気持ちの深呼吸

もう完全に慣れてしまったお家時間。

緊急事態宣言もどうやら5月31日まで延長らしい。

否が応でも自分と向き合う時間も増えてくるって訳である。

今までは劇団に所属して舞台公演に出演しながら俳優の活動をやってきた。今は予定は白紙で何もない。
今後もどうなるのかわからない。エンタメ業はモノによるのだろうが厳しい分野であることは痛い程分かった。
映画や漫画、音楽ライブや舞台作品を無料で配信をしたりしたり公開している。お家にいる事しか出来ない人達(僕もそうです)にとってはありがたいコンテンツではあるし、ファンを増やせるチャンスではあると思う。しかしやっている側からしたら、基本的にお金が発生していないのでそれで生活が出来るわけではない。
ではどうすればいいのか?

答えは色々とあるのだろうが疑問も沢山湧いてきた。

そもそも僕は俳優としてやっていこうと決め付けていたが本当にそれでいいのか?

ここ10年間、社会人をしていた期間もあるが目の前の公演に追われて広い視野で見てこなかったのではないか?

大きく深呼吸をする様にもう一度原点に立ち返ってみようと思った。

なんで俳優になりたかったのか?
→映画が好きだから

なんで映画が好きなのか?
→今いる自分の世界と違う場所にその時間だけ飛び立つことができるから。

なんで飛び立ちたいのか?
→自分が嫌いで嫌なことを思ってしまったり生きづらいと感じていたから

なんで自分が嫌いで生きづらいのか?
→思うような未来が見えない、希望がなかったから

要約すると

未来も希望もない自分を映画を観てる間は別の世界に連れてってくれた。
そんな映画の世界に行けば(俳優になれば)嫌いな自分じゃなくなるかもしれない。希望をもてた。生きるって辛いけど捨てたもんじゃないと思えたのだ。

実際にはこの他に、深夜ラジオ古典文学にもそう思わせてもらった。救ってもらった。

生きるって辛いけど捨てたもんじゃない

こう思わせてくれたものに自分は強い興味と魅力を感じるみたいだ。

では俳優をしていて

生きるって辛いけど捨てたもんじゃない

と思えているのか?と問われれば素直に首を縦には振れない自分がいる。

やればやる程「演じる」と言うものがわからなくなってくるし、絶対に頭の中から自分が消え去ることはない。憑依型の俳優さんもいるが僕はそんな事は絶対ない。
必ずもう一人の自分がじーっとこちらを見ている。

当時の僕は映画を観ている時、自分から離れられた。俳優になれば(映画の世界に入れて)自分から離れられるのではないか?と思っていたが、この仮定は幻想だったと分かったのだ。

俳優をやっていても自分から逃れる事は出来ない。
本来はこれが目的だった筈はずだ。しかしそれは的外れだった。

じゃあなぜ俳優続けていたのだろうか?
今まで違う道、可能性を考えても来なかった。

そもそも自分から逃れたいのはなんでなんだろうか?

自分が嫌いだからだ。

では自分が好きになる事を探してみたらいいんではないだろうか?

今日はここまで。

次は好きな自分、自分の好きなところを探ってみようと思う。

嫌いな自分とさようならする為に。

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