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現地コーディネーター:第9話

 店員の姿も見当たらない寂れたメキシコ料理店や、日本人のセンスでは決して選ばない角張ったフォントの看板の寿司屋、九十年代初期のモデル写真が張り出された床屋など、時間が止まってしまったかのような風景が窓の外に続く。どの店もニューヨークと比べて随分と大きい。これが本当のアメリカかと眺めるエドウィンの心を読んだかのようにカズマが声をかけた。

「ニュージャージーは日本の埼玉県みたいなもんだよ」
「じゃあカズマさんには馴染みやすい場所ですね」

 カズマはエドウィンの皮肉に中指をたて、交差点の赤信号で停止した。ふと前方でガシャンとガラスが割れる大きな音が聞こえ、カズマとエドウィンは顔を見合わせた。その方角から若い男女が手を挙げながら駆けてきて、信号待ちの先頭車のドライバーに何か声をかけている。

 エドウィンは下唇を噛み、不安げにカズマの方を見る。彼は興味深そうに窓から身を乗り出してこのカップルの一挙一動を観察していた。彼らはまだ十代後半に見えた。挙動と目つきが明らかに異常だ。

 男は細身で、ウェービーな金髪をくしゃくしゃにかきあげ、青い目に大きな隈をこしらえ、随分とやつれた顔だ。目尻に彫られた泪柄のタトゥーが彼をさらに病的に見せている。髪を緑色に染めあげた女の方は鬱いだ表情で道路脇の縁石に座り込んでしまった。放っておくとそのまま地面に吸い込まれてしまいそうに生気が無い。女が男に向かって何か叫ぶと、男は激高して声を荒げた。放っておくと殴りかかりそうな勢いだ。

 その瞬間―カズマがクラクションを鳴らした。男は瞳孔を開きながら駆け寄り、ヤニばんだ歯を剥きだしてカズマに話しかけた。
「ちょっとだけの距離でいいから乗せてくれないか。トラブルに巻き込まれてしまってさ」
「…さっさと乗んなよ」

 エドウィンは自分の耳を疑った。
 信号は青に変わり、後方でせっつくクラクションの合唱が始まる。驚いた様子の金髪男は縁石に座った緑髪の女の腕を引っ張りあげ、強引にビートルの後部座席に押し込み、自分もダイブするようにその隣に飛び乗った。

「オレの名前はロニー。こいつがルーシー。命の恩人だ、ありがとう」
 ロニーは大袈裟な身振りとってつけたフレンドリーさでカズマの肩を揺さぶった。カズマはハンドルを持ち直し「ノープロブレム」とだけ答えた。エドウィンは呆然と隣のカズマを凝視したがカズマは気にも留めず真っ直ぐを見つめたままだ。

 信号を三つ越えて高速道路に合流すると、カズマはようやくフロントミラー越しの二人に自己紹介をした。自分たちが日本人だと伝えると、ロニーは口に唾をためながら自分がどれだけゴジラやブルースリーやダライラマを敬愛しているかという事を滔々と語った。きっと彼にとってアジアは一つの大きな国なのだろう。

 ロニーに目的地を聞くと「南に」と答えが返ってくるーそれでできるだけ遠くへー。カズマは自分達が南部の街メンフィスに向かっている事を伝えると、ロニーは途中のヴァージニア州の街に行ってくれれば最高だと言う。
「シャーロットビルって都市の近くなんだ。ガソリン代も折半するし運転も代わる」

「そんなお金ないじゃない!」
 ずっとおし黙っていたルーシーが初めて口を挟んだ。くすんだ灰色の目には感情が一切見えず、不快な気を放っている。ロニーは舌打ちをして鼻を鳴らし即座に話題を変えた。ニュージャージーで組んでいたバンドの事―メンバーとライブ後に乱闘し解散した事―たった今ルームメイトから不条理に追い出されたという事―彼がジャンキーでひどい目に合わされてきた事ーそんな事をオーバーな身振り手振りを交えながらまくしたてる。

 ロニーが興奮気味に口角に唾を溜めて話す間、エドウィンは英語が理解できないふりを決め込んだ。関わりたくない。そして非常識すぎるカズマの行動には怒りを通り越して呆れていた。

 さらに残念なことにはカズマはどうやらこの男に好感―いや共感に近い感情を抱いているようだった。南部の田舎から希望を抱いてニューヨークに出てきて、結局手前のニュージャージーで人生に打ちのめされてしまったこの若者に。

「それにしても何でわざわざメンフィスなんかに行くんだ?エルビスのツアーにでも?」
 ロニーが冗談気味に問いかける。
「こいつの叔父が住んでいるんだー白人の。父親の生家らしい」

 ロニーはエドウィンの顔を舐め回すように観察した。
「お前、アメリカ人なの?」
「ハーフ」エドウィンは不快さを露わにして一言だけ絞り出す。
 ロニーは大げさに頷くと続ける。
「そっか、残念だな。アメリカの歴史―特に白人の歴史は虐殺と略奪の繰り返しだ。俺たちには汚れた血が入ってるんだ」

 エドウィンは憮然としてロニーを一瞥した。ロニーは構わず続ける。
「いつか俺たち白人にはツケが回ってくる。オレはカルマを信じてるんだ。神も宗教も信じないけどな、カルマはあるよ」
 エドウィンが無視していると、ルーシーが口を挟む。
「じゃああなたが今日あの家でやった事もツケが回ってくるわね」

 ロニーは小さく舌打ちすると、大袈裟にルーシーの肩に腕を回し、諭すように囁く。
「あいつには貸しがあったんだよ。でも奴はそれを台無しにした」

 ロニーは悔しそうに歯を食いしばり、血の滲んだ自分の拳を眺めた。ルーシーは首を横に振りロニーの腕をふりほどくと、勢いよく窓を開けて荒涼とした冬景色に視線を預けた。ロニーは愛おしそうに目を細めてルーシーの横顔を見つめている。何かが決定的に噛み合っていないー

「本当にこいつらをバージニアまで乗せてくんですか?」
 エドウィンが小声の日本語で尋ねるとカズマは小さく頷いた。
「何で?頭おかしいんじゃないですか?」
 カズマは珍しく声を荒げるエドウィンにどこか満足そうだ。
「カルマって俺も信じてるんだよ。人助けできるときは助けましょうって。俺も若い頃ヒッチハイクで助かった事があるんだよ」

 ラジオからは十代の激情を歌ったニルヴァーナの名曲の前奏ギタ―リフが流れる。興奮したロニーが突然雄叫びをあげると、相槌を打つようにカズマも叫んだ。野生動物を二匹乗せた小型車は息が詰まりそうでエドウィンは頭上の幌を手でこじ開けた。ロニーはむしろ喜んで座席の上に立ち上がり空に拳を突き立て、曲のサビを熱唱し始める。エドウィンは助手席に座ったまま空を仰ぎ、頭上を通り過ぎる陸橋を敗北感と共にぼんやり眺めた。

 曲が終わるとロニーは座席に腰を下ろし、外を眺めたままのルーシーの頭を軽く撫で、忙しなく運転席に身を乗り出した。

「日本人もロックとか聞くんだな」
 カズマはそりゃそうさ、と頷く。
「日本は和を大事にするピースな仏教社会って聞いてたけど、何に反抗する必要があるんだ?」

 エドウィンは思わず突っ込みたくなるが会話に入りたくはないので黙っている。カズマは淡々と答える。
「日本人は何でも『常識』って名の小さな箱に全て閉じ込めようとするんだ。出る杭は打たれる。目立った事はしちゃいけない」
 ロニーは興味深そうに相槌を打つ。

「塾にせっせと通って高校から一流大学へ、一流大学から一流企業へってお決まりの流れがあって、みんな何も考えずにそこに乗っかろうと必死こいて勉強するのさ。時には浪人までしてね。それで会社に入ってからは満員電車にぶちこまれてクビにならないように必死で仕事するのさ」
「へえ、そりゃなかなかクソだな。オレには無理だ」
「オレにも無理だ。だから今ここにいる」

 エドウィンは、カズマの答えに反論したかったけど言葉が出てこなかったー自分ももうすぐその一員になるのだ。
「オレはアメリカが最悪な国だと思ってたけど、どの国も問題があるんだな。でもオレはやっぱり日本に行きたいよ」

 軽蔑するような目つきで見ているルーシーに気づかず、ロニーはカズマに話し続ける。
「じゃあお前日本よりアメリカの方が好きか?」
「わかんないな」
「わかんないはずがないだろ。お前が一番安らげるところーお前が
『ここは俺のホームだ!』って思える場所はどこだ?」
「そんなとこは無い。世界中どこにいたってオレは外人だから」

 話半分に聞いていたエドウィンにその一言が刺さった。自分も今までずっとそう思って暮らしていたからだ。ロニーも深く頷いている。男たちの幻想を打ち砕くようにルーシーが面倒くさそうに沈黙を破る。

「男のくだらない愚痴は聞きたくないわ。あいつが悪い、社会が悪いって。…女なんて生まれた時からハンデ背負っているんだから」

 男達に返せる言葉はなかった。彼女の灰色の瞳はまた空に向く。何かを探しているようだけど、何を探しているのかは誰のも分からなかった。

       *

 ワシントンDCを過ぎたあたりからハンドルはロニーに渡された。せっかくの首都を少しくらい見物していきたかったが、カズマは「こんなにつまらない街はない」と言い張り、白い家なんて全米どこでもあるから、と言って高速で脇を通り過ぎていくワシントン記念塔に指を刺し、のたまった。
「ワシントン観光はこれで終了!」

 交代でハンドルを握るロニーを助手席のエドウィンは不安そうに見つめた。後ろの座席に座ったカズマは窓枠に頭を預けてうとうとしている。その隣のルーシーは相変わらず憂鬱そうに外を眺め、等間隔で目の前を通り過ぎる木製の電柱の数を数えていた。ロニーはこの旧車が出せる限界まで速度を上げ、近づいてくる看板に向けて威勢よく大声をあげた。

「『Welcome to Virginia』ここからがアメリカの南部だぞ!ようこそアメリカへ!ワウ!」

 瞳孔を開きながら奇声をあげるロニーに辟易しエドウィンは自分のスマホをステレオにつなげ、静かな環境音楽を流した。ロニーはお構いなしにその音をかき消すように大きな声で話し続ける。
「なあ、攻殻機動隊って知ってるか?」
「日本はなんであんな小さいくせにアメリカに喧嘩売ったんだ?」
「彼女はいるのか?どんな女が好きなんだ?」

 エドウィンはほとんどの質問を英語がわからないふりをしてやり過ごしたが、小学生のように屈託のない表情を見ると、少し申し訳ない気がしてしまう。これが空気を読めない人間の強さだ、と思う。それでも気の無い返事をし続けるとロニーもようやく口をつぐんだ。

 高速を抜けると細い二車線に合流した。道の脇には巨大なウォルマートが圧倒的な存在感でそびえ立っている。野球場くらいの面積はあるのではないか。周りに一切店の見当たらないこの街の住民の生活はこの大型スーパーで全て成り立っているのだろう。以前銃規制に関するドキュメンタリー映画でも見た通り、思ここでも銃を販売しているのだろう?もしかしたら隣のロニーも銃を携帯しているのかも等と考えるとエドウィンはゾッとした。

 ロニーは記憶だけを頼りに右へ左へとハンドルを切った。少し進むと辺りは荒れはてた雑木林だけになる。こんな場所で生まれ育ったらニューヨークや東京に憧れるのも無理はないかもな、とエドウィンは妙に納得した。カズマが言うように生まれ育つ環境は誰にも選べないのだ。

 やがて舗装の一切がされていない砂利道になる。暮れかけた夕陽に照らされた雑木林と、その向こうに広がる不穏な空気感を微妙に感じ取るとエドウィンは少し不安になった。

「びびんなくて平気だよ。もうちょっと行った先がオレの実家だ。トレイラーハウスだけどな。親父がいるかどうかわからないけど、家はあるはずだ」

 がたがたの砂利道を時速五十キロで進むと、大きな石でも踏んだのか車は奇怪な音をたてて大きく揺れた。その衝動で目を覚ましたカズマは寝ぼけながらあたりを見回す。

「ん?ここはどこだ?」
「オレのホームタウンだよ!ウェルカム!」
 ロニーがバックミラー越しに答える。

 トレイラーハウスの集落。労働者階級を扱った映画でしか見たことのない貧相な長屋が目の前に並んでいる。ピックアップトラックばかりの集落に場違いなクリーム色のビートルがゆっくり進んで行くと、外でたむろしている中年の連中が茶色の唾液を地面に吐きつけ、怪訝な視線をこちらに投げかける。爆竹をぶつけ合っているティーンエイジャー達。呂律の回らない英語で妻を罵っている男。エドウィンは不思議な気持ちで眺めた。

 ロニーは溜め息を噛み潰しながら車を徐行させ、ペンキが剥げてアルミがむき出しになった白いトレイラーハウスの前でブレーキを踏み、ギアをゆっくりパーキングに入れた。そして車を飛び降りると家のドアまで駆け寄ってノックする。応答は無い。カズマとエドウィンがその様子を眺めていると、後ろの席でルーシーが冷ややかに呟いた。
「多分夜逃げでもしたのよ。都合が悪くなると逃げるのは遺伝ね」

 ロニーは重い表情を改め、車の外で伸びをしているカズマに歩み寄った。
「ここで大丈夫だ。じきに誰か帰ってくるさ。もし帰ってこなくてもあんなドアは簡単にぶち壊して中に入れるしな」

 ルーシーが面倒くさそうに車からゆっくり出ると、ロニーは唇を噛み締めながら彼女の目を力なく覗き込み、その肩を軽く叩いた。そして自分のジーパンのポケットからくしゃくしゃの一ドル札の束を手づかみに出すと、それを全てカズマに差し出した。せいぜい二十ドル位だろう。カズマはその金をそのままロニーのポケットに突っ込んだ。

「受け取れないよ。俺とお前は同類なんだから」
 ロニーは力なく微笑み、聞き取れないくらい小さな声で礼らしきことを言った。それから何か思い出したようにジャケットのポケットを漁り、くすんだ緑色の塊が入った小さなジップロック袋を掴んでカズマの手に握らせた。

「こんな自分に優しくしてくれた人間にはできるだけフェアでいたいんだ。世の中は優しくない事やアンフェアな事に満ち溢れてるし、人を平気で踏みつける連中ばかりだろ?」

 カズマはロニーの汗ばんだ金髪の頭を軽く叩いたーわかるよ、オレもそうだーそしてロニーの骨張った手を両手でしばらく握ると、カズマは決意したようにそれをほどき、エンジンがかかったままの車の運転席に乗り込みドアを閉めた。

 バックミラー越しに小さくなっていくロニーが「Banzai!」と叫んでいる。カズマは一寸笑ってアクセルを踏みながら同じ言葉を同じ声量で繰り返した。その声は湿った南部の風に溶け、ロニーまで届いたかもわからない。

 エドウィンは迷惑極まりない旅の道連れがいなくなる事に安堵しつつも、トレイラー集落に吸収されて見えなくなっていくロニーとルーシーの姿に何故か胸が絞られるような感覚を覚えた。


   


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