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現地コーディネーター:第8話

 またアラームが鳴る前に目が覚めてしまう。エドウィンはまだ疲れのとれない体をカウチから起こし、開け放しの隣の寝室に目をやった。カズマとシャーロットはまだ寝ているようだ。

 昨晩のうちに旅支度を済ませたエドウィンは、Tシャツの上にヒートテックを二枚重ね着し、動きやすいスウェットとだぶついたカーゴパンツを装着した。そしてコンロに置きっぱなしのケトルを火にかけ、冷蔵庫から巨大なインスタントコーヒーの缶を取り出し、コーヒーをスプーンで掬ってマグカップに入れた。

 すぐに手持ち無沙汰になり、壁にかかった写真や絵の数々を何気なしに観察する。コンロ傍に飾られた白黒のポートレート写真―狂気じみたカズマの風貌と眼差しは、日本人には見えなかった。

 出発予定時の二十分前なのに時間を決めた本人が起きてこない。エドウィンは湯を入れたばかりのコーヒーに一口つけると、これみよがしの大きなため息をつくが、そんな音がカズマの耳に入るわけもない。エドウィンは恐る恐る寝室に入り、小さな寝息を立てているシャーロットを起こさぬよう、カズマの脇腹を強めにつついた。

「あれ、もうそんな時間?」カズマは不機嫌そうに目をこする。
「八時まであと二十分」
 寝起きの悪いカズマは小言でぶつぶつ文句を言いながら寝室の奥にあるバスルームに入っていく。ドアを開けっ放しで歯ブラシをシャカシャカさせながら、同時に放尿をしているようだ。そしてトイレを流す音とシャワーの音がクロスフェードする。

 リビングルームで観光ガイドを読んで時間を潰すエドウィンの前に、昨日と同じジーパンとボマージャケット姿のカズマが現れる。右手に持った茶色いボストンバッグは大きな瓢箪が入っているかのようないびつな形をして、はち切れそうだ。まだ起こしてから十分も経っていないカズマの素早い準備にエドウィンは舌を巻いた。

「まだあと十分寝られたのに」
 カズマは無愛想に言い放つと、思い出したように寝室に戻りシャーロットの頬に軽く口づけをした。シャーロットはうっすらと目を開け甘く柔らかい声で呟いた。

「気をつけてね。クレイジーな事はしないで。あなたは…自分が思うより繊細なんだから。私は知ってるの。私だけは知ってるの」
「うん。また電話する。I love you, baby.」

 カズマはシャーロットの訴える様な甘い眼差しから目を逸らし、逃げるように部屋を去り、そっとドアを閉めた。

        *
  
 再開発から取り残されたでこぼこの路地裏に駐車したビートルの助手席にエドウィンを突っ込むと、カズマは運転席に飛び乗り粗っぽく鍵を回した。そして不安定なエンジン音をかき消すように、ハンドルを狂人のように叩きながら無意味な雄叫びをあげる。

 いよいよここから旅が始まるのだ。

 夜明けの街を走る車の窓から、エドウィンはベッドフォード通りを眺めた。夜の面影をまだ残すその通りはヒップスターで賑わっていた昨日までとはうって変わって静寂に包まれている。多彩なショップが一斉にシャッターを下ろしており、まるで街全体が遊び疲れて深い眠りを貪っているようだ。

 カズマの運転は車のナビゲーションに従って右へ左へと車を導いていた。彼の動きはそれぞれの道路の特性や曲がり角の角度を熟知しているかのように滑らかだった。

 やがてマンハッタン橋を越えると景色が一変する。目の前に広がるのは漢字の看板が連なるチャイナタウンだ。早朝にも関わらずこの場所だけは例外のように人々の生気に満ち溢れていた。全開にした窓から華僑の叫び声や店先に並んだ生魚の匂いが飛び込んでくる。アジア人しかいない通りに、エドウィンは安堵感にも似た不思議な感覚を覚えた。

 考えてみればアメリカ人は遡れば皆どこかからの移民なのだ。それぞれの理由や強い決意を持って自国を去りここを母国と呼ぶようになった人々。アメリカ人という民族は存在しないわけで、そう考えればカズマもアメリカ人なのだろう。少なくとも国籍だけアメリカ人である自分なんかよりは。

「カズマさんは何でアメリカ来たんですか?」
 エドウィンが興味本位で尋ねると、カズマは少し眉をひそめてエドウィンをちらっと見た。エドウィンは無粋なことを聞いてしまったのかと身を引くが、カズマは淡々と自分の過去を語り始めた。まるで自分と関係のない誰かの昔話をしているように。 

          *

 都心から電車で一時間ほどの埼玉県の団地で育ったカズマの家庭は「中の中」流階級だっようで、父親は下請けの広告制作会社でディレクターをしていたらしい。

 納期間近になると会社に缶詰になり、家に帰らない事は日常的だった。彼の世代の業界人の多くがそうであるように、彼は仕事にのみ自分の存在意義を求め、終業後も深夜の酒席で同僚やクライアントと深夜過ぎまで呑み明かしていたようだ。

 カズマが夜遊びを覚え始めた中学の頃には家で顔を合わせる事もほとんどなくなった。高校に入った頃に父はフリーランスになった。
「本人は自分の実力が会社に見合わないから、とか言ってたけど、クビだったんじゃないかな。仕事ができる奴には思えなかったし」
 カズマは引き続き他人事の様に話しを続ける。

 やがて父は家にいることが多くなり、母親の週二のパート仕事は週四になった。カズマは学校をサボっては池袋の映画館や小さなライブハウスに入り浸るようになった。髪を赤く染めて耳の軟骨や下唇にピアスを付け始めたカズマを父親はアメリカナイズドされて日本の恥だと罵倒し、何かにあたるかのように暴行する様になった。

「アメリカナイズされてたのは認めるよ。でも奴の作る広告だって海外の有名なものをパクったようなやつばっか。変な英語ばっかやたら使ってさ。欧米にコンプレックス抱えながら歪んだ日本人プライド持ってるヤツって、ほんと痛いよな」

 カズマはナビゲーションに映るトンネルの入り口位置だけ一瞬確認すると、話を続けた。

 カズマと三つ違いの兄は自分と違って両親の受けもよく、また名門大学にも入ったが突然交通事故で亡くなった。不仲だったとはいえカズマにも衝撃ではあったが、両親は不憫なほどに悲嘆にくれた。その死は両親とカズマの間の溝を深くし、さらには父親と母親の間のそれを破壊した。そして母親は突然姿を消した。すぐ帰ってくると思ったが、音信不通が続いたままだ。

「よくテレビとかで聞くような話っしょ」
 淡々と語るカズマに悲観している様子は見られない。エドウィンは返す言葉を見つけられない。

 トンネルを抜けると「ニュージャージー州」と書かれた看板が見えた。カズマは料金所で係員に札を渡すと、係員は無言で釣り銭をカズマに渡した。
「レシートくれ。日本のビジネスマンはレシート命なの、覚えときな」
 係員が鬱陶しそうに舌打ちし無愛想にレシートを渡すとカズマはそれをひったくってダッシュボードに置いた。

「とにかく一刻も早く家を出たかった。それでアメリカ以外に行く所が思いつかなかった。教師とも折り合い悪かったしさ。あいつら、個性が大事とか抜かすくせに実際個性に出会うと寄ってたかって袋だたきにすんのな」

 エドウィンは苦笑し、そして気になっていたことを尋ねた。
「でもどうして高校卒業してすぐに来れたんですか?お金かかるでしょ?」
「学校行かないで結構バイトしてたんだ。ピザの宅配とか引っ越しとか。百万あれば半年くらいはなんとか生活できるだろうと思ってそれを目安にね」
「それで貯まったんですか?」
「まあね、そりゃ半年ちょい働けば高校生でもそれくらいは」
 エドウィンはその行動力に少し感心した。

「まあ多分八十万くらいかな。二十万くらいは親父から借りた。無断で。傷つけた息子への慰謝料と考えれば安いもんでしょ。」
 エドウィンは先ほどの感心を取り消した。

「その時から絵が好きでアメリカにその夢を追いかけて実現するってすごいですよね。『ニューヨークで頑張る日本人特集』みたいなオンライン記事読んだんです、実は」
「あんな小さい記事よく見つけたな。あれは編集でそうされちゃっただけ。皆そういう話が好きだからね。俺は逃げてきただけだよ。遊びの落書きが褒められたから調子にのって仕事にしただけ」

 あっけらかんとしたカズマを見て、エドウィンはなんだか拍子抜けしてしまう。この男はどこまでが正直なのか見えない。アパートに飾られた写真での彼の眼差しは遊びのようには全く思えなかった。

「それでいきなりニューヨークきたんですか?」
「いや、まずはサンフランシスコ。でもその話はまた今度。長くなるから」

 カズマはラジオの音量を上げアクセルを強く踏んだが、これ以上スピードは上がらなかった。


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