現地コーディネーター:第4話
フライトの到着予定時刻ほぼぴったりにケネディ空港に着いたカズマは少し誇らしい気分でターミナルに向かった。仕事は出だしが肝心だ。右手に冷め切ったコーヒーのコップ、左手に「エドウィン様」と手書きのサインボードを持って到着ゲートに立ちはだかる。
周りには各々の目的に忠実な出迎えの者達が待ち人の到着を心待ちにしている。サインボードを持ったリムジン運転手達はみなスーツ姿で、くたびれたジャケットと薄汚れたジーパン姿のカズマは少し気後れした。相手は所詮大学生だし、ジェフもエドウィンには弟のように接してくれと言っていたくらいだからこれでいいのだーそう自分に言い聞かせ、カズマは一服しに外に出た。
戻ってくると成田発の客は一通り出てしまったようで、ゲート付近は空になっていた。寒空から逃げるように外から入り込んできた鳩がカズマの頭上を飛び回る。あたりを見回してもエドウィンらしき人間は見当たらない。税関で止められているのだろうか。カズマが空港の案内係に向かって歩き出すと、か細い声が彼の足を止めた。
「それ、エドウィンて…僕ですか?」
エドウィンは自身の名を示すサインボードに目を落としている。
「君の名前がエドウィンなら、そうかもな。オレはカズマ。合ってる?」
エドウィンはおどおどしながら頷いた。カズマは歯を剥き出しに微笑み、握手の手を差し出した。エドウィンは躊躇しながらもカズマの骨ばった手をそっと握り返す。
「そんなんじゃなめられんぞ。握手はこう」
カズマは試すようにエドウィンの目を真っ直ぐに見ながら手を強めに握った。エドウィンは不安そうにカズマに視線を返す。
「何で出てくんの遅くなったの?」
「すいません、ちょっとトイレに行きたくなっちゃって…」
「ああ、ウンコか」
言葉を詰まらすエドウィンに構わずカズマは続ける。
「まあいいや。車あっちに止めてるから、行こう」
そう言ってカズマは出口付近に向かって歩き出し、ライフル銃を抱えた警備の機動隊にふざけて大袈裟な敬礼をした。
ターミナルから通りを挟んだ立体駐車場につくまでの間、二人は無言のまま歩いた。きっとエドウィンは自分からは話さないタイプなんだろうーカズマは直感的に感じた。時間はたっぷりある。いずれ心を開くだろう。
空を見上げるとちょうど雪が降り始めていた。今年はとにかく雪が多い。エドウィンの方をチラッと振り返るとパラパラと舞い落ちる大粒の新雪を憎々しそうに眺め、微かな舌打ちをしていた。
***
「これが俺の相棒。バグちゃんて呼んで」
カズマが足を止めた駐車スペースには旧型のビートルがあった。予想外のクラシックカーの登場にエドウィンの気分が少しだけ上がる。
「これ七十年型のですよね?」
「さあ?中古で衝動買いしたからよく覚えてないや」
カバの顔のように長く、丸みを帯びたクリーム色のボンネットには細かい擦り傷と極彩色のペンキが飛び散っている。
先に運転席に乗り込んだカズマに続きエドウィンは錆びかけたドアを開け、内綿の飛び出した硬い皮の助手席に乗り込んだ。エドウィンが旧式のシートベルトの締め方に苦戦しているうちにカズマは不安なエンジン音をふかせながら発車した。
本当にこの男はプロのコーディネーターなのだろうか?エドウィンがカズマの一挙一動を観察していると、カズマが口を開いた。
「ジェフは元気?」
エドウィンは肩をすくめる。父親の話はしたくなかった。
「まあ元気だろうな、あのオッサンは。それにしてもお前、親子でも全然タイプが違いそうだな。まあそういうもんか」
カズマは含み笑いをしながら呟くと、前方を向き直りギアチェンジして高速道路に合流した。エドウィンは空港で間に合わせに買ったパタゴニアのダウンジャケットのポケットからスマホを取り出すと小さな耳にのイアフォンをはめた。
ふと隣を見ると、カズマが落ち着きなくカーステレオのつまみを回している。そして音のがさついたパンクロック曲にチューンインすると大音量まであげ、ハンドルを強く握りながらヘッドバンギングをし、奇声をあげ始めた。慄いたエドウィンはイヤフォンを外した。
「すいません、ちょっと音下げてくれます?」
嫌悪感を露わにしたエドウィンの表情を見てカズマは音量を下げた。とぼけた表情で小刻みに足でリズムをとる姿は父親を思い出させ、エドウィンをさらに苛立たせた。
「フライトも長かったし、疲れてるんです」
カズマは何度か軽く頷くと、エドウィンの方を勢いよく向いた。
「初対面でさ、いきなり耳塞がれるとオレもちょっと傷つくんだよな。普通はなんか、頑張って会話しない?」
エドウィンは小声で「すいません」と謝った。悪いとは思わなかったが、こういう人間にはとりあえず謝って済ます事が一番なのだ。それに運転中は前を向いて欲しい。
「まあいいや、ところで今何聞いてたの?こっちのステレオにつなごうよ」
カズマは手を差し出す。エドウィンが仕方なくスマホを渡すと、カズマは皮膜が破けて配線がむき出しになったケーブルをヘッドフォンジャックに粗っぽく差し込んだ。速度計の脇についた小さなスピーカーからノイズミュージックが流れる。
うねるような音階と台風のように押し寄せる音にカズマは押し黙った。エドウィンがカズマの様子を伺うように目をやると、しばらくしてカズマが口を開いた。
「今日本ではこんな曲が流行ってんの?」
エドウィンはバツが悪そうに首を横に振った。
「そりゃそうだよな。でもおもしれー曲じゃん」
カズマが本当にこの曲の素晴らしさを理解したかは疑問だったが悪い気はしない。無機質ながらどこか優しいノイズが空中を漂うと今までの緊張や疲れがほぐれていく気がした。窓の外を流れるアメリカ特有の景色―古めかしい煉瓦造りの教会や、手の平が点灯する歩行者信号や、それを完全に無視して道を渡る人々や、その向こうの緑丘に並ぶ無数の白い墓石ーこの街を構成する断片がノイズと共に鮮やかに目に飛び込んでは過ぎ去っていく。
「カズマさんは、こっちで何の仕事してるんですか?」
少し意地悪な気持ちで尋ねた。カズマがアーチストだという事は父から聞いていたし機内で暇つぶしにネット検索もしていたのだ。調べによると三年前までは多少活躍し取材などもいくつか受けていたようだが最近の露出はなく、現在はくすぶっている事も何となく想像できた。
カズマは躊躇うことも恥じらうこともなく、五メートルほど離れた目前の車の尻を見つめたまま淡々と話し始めた。
「前は店の壁に絵を描いたり、道で絵を売ったり、メーカーに頼まれてTシャツデザインしたりとかして稼いでたけど、一番最近はキャバクラのウェイターかな。ついこないだ辞めたけどね。土方してた事もあるよ。引っ越し屋も何回かやったな。お金くれればなんでもやりまーす」
多少拍子抜けはしたものの、正直な人間ではありそうでエドウィンは少し安心した。
「アーチストなんですね?」
「どうだろうね。よくわかんない。もうオレが決める事じゃないのかもな」
カズマの表情は心なしか寂しそうに見えた。
「そっちは東京で何してるの?」
「僕はただの平凡な大学生です」
エドウィンは即答した。カズマの澄んだ視線にどこか劣等感を感じ、急かされてもいないのに焦って言葉を続ける。
「毎日同じ仕事を繰り返す機械になるための準備中です。でもそれが悪いとは思いません。どうせ自分にやりたい事なんかないし」
自嘲気味にエドウィンが答えると、カズマは首をかしげる。
「誰もそれが悪いなんて言ってないよ。安定して保証された人生。少し羨ましいくらいだぜ。立派な両親もいて、おかげで海外にも来れて。いい人生じゃん」
表情を変えず道路を真っ直ぐ見たままのカズマに皮肉の意はなさそうだ。
「でもやりたい事がないってもったいないな。オレなんてやりたい事がありすぎてどこから手をつけていいのかわかんないんだ」
カズマは混み始めてきた車線から外れるべく、軽やかにレーンを変えながらそう言い放った。
「カズマさんはいいですよね、自由そうで」
エドウィンは半ば苛ついて言葉を返す。
「今の日本は就職したって安定も何の保証も無いんです。でも結局色んなものにがんじがらめ。カズマさんにはわかんないでしょうね」
「自由なんて過大評価された言葉だ。みんな生きてる限り何かに縛られる」
カズマは詰まり始めた右側の車線に目を向けぼそっと答えると、ステレオを先ほどのラジオ局に戻した。そして誤魔化すように曲に合わせて雄叫びをあげた。
「Trash! Pick it up!」
「その曲、変えてもらっていいですか?」
「なんで?せっかくいいタイミングでニューヨークドールズがかかってるってのに」
「ゴミ拾いかなんかの歌ですか?」
「おお、少しは英語わかるんだな。違うけど。パンク嫌いなの?」
エドウィンはカズマの気分を損ねないよう言葉を選んだ。
「いや、嫌いというほどではないですけど、ちょっと波長が…」
「曖昧だな。アメリカはイエスかノーかはっきりさせないと自分が困るぞ」
カズマは挑発するようにさらにボリュームをあげる。
「嫌いです」
「理由を述べよ」
エドウィンがため息をついておし黙ると、カズマはまた音量のつまみに手をかける。まるで脅迫だ。
「…コードもメロディも単調で何も真新しい事ないし。何より美しくない。叫んでばっかりの騒音じゃないですか」
エドウィンが意を決して率直に答えると、カズマはまるで自身の名誉を傷つけられたとでも言わんばかりに声を荒げた。
「そこがいいんじゃん!世の中複雑過ぎんだから。お前理屈っぽいんだよ」
エドウィンは面倒くさくなり、投げやりに反論した。
「パンクが初めて世に出た時は悪くなかったと思うんですよ。既存の全てぶっ壊してやるって気概とかが新しくて受け入れられた。でも未だにその時のまま成長できないただのノスタルジアです」
カズマは尤もらしいエドウィンの意見に反論の言葉も見つからず小さく舌打ちし、ごまかす様に曲に頭を揺らした。
「まあせっかくアメリカに来たんだから、感じるままにやってみ。ここは自由の国なんだしさ!」
「自由」―さっきその言葉を否定したのはそっちじゃん。
その矛盾には全く気づかずカズマは縛り上げたドレッドからこぼれ落ちた髪の房を口に咥え、ハンドルを大きく右に切って出口に通じるレーンに間一髪で割り込んだ。
やはり苦手なタイプの人間だーエドウィンはそう確信し、これ以上の会話を避けるように窓の外に目をやった。
マンハッタンの高層ビル群が少しずつ近づいてくる。実体の見えない太陽がビル窓に強烈な光を浴びせ反射させている。それに呼応するようなニューヨークバンドの力強いシャウトに得体の知れない高揚感が沸き上がってくるのに気づいたが、エドウィンはそれをこっそり自分の中に閉じ込めた。
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