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わたしのしあわせへと歩む

教師をしていた頃に
いかに

やりたい!やってみたい!

を引き出すかを考えるようになっていた

人間は本来、成長することに喜びを感じるはず
だから、新しいことへの挑戦は本当は苦でないはず

だけど、それまでしてきた経験がそれらに制限を課す

すると、
・失敗するかもしれない
・おもしろくなさそう
・できなさそう
そんな思いや謎の理由の数々が湧き上がり
新しいことに対してのわくわくを失う
というかわくわくしていることにすら気づかなくなるのだと思う

わくわくを起こして
それをサポートする仲間がいれば
誰だってなんだってできるんだ

だから、私は「逆上がり」のやり方は教えなかった
補助の仕方は教える
あとは、お手本を見て
3人一組で考えてもらうのだ。

そうすれば、休み時間にも自分たちで取り組む。
しかも、友達を誘って。

共に歩んでくれる仲間がいる
少しづつ出来ていくことに喜びを感じる
それは、先生の力じゃない
自分たちで見つけ
自分たちで得た力だ

私が授業を教えていた頃
全く上手くいかなかった
なんなら崩壊した

私が授業の中で
考える視点を与えるようになって
この学習の目的・目標を共に考えるようになって
子どもたちはびっくりするくらい学ぶようになった

1年生のときに担任した子たちは
やってもやらなくてもいい自主学習を進んでやってきた
自主学習は「自主」の「学習」だ
何を学んでもいい

自分で考えるのが苦手な子には
興味のありそうなプリントを何枚か用意しておいた

あとは、
それぞれがやってきた自主学習を
掲示する

そうすれば、
それをヒントにまた伸びる

やりたい気持ちさえあれば
子どもたちは勝手に学ぶ

やりたい気持ちをサポートする環境があれば
子どもたちはさらに学ぶ

子どもたちの可能性は無限大だ

大人はどこまでついていけるか

そこがポイント

生活科の授業
そこのゴールを私は下の学年とやって簡単に終わらせたかった笑
だけど、もうやりたい!をやることに真剣な子どもたちは他校と交流したいと言い出した。

うーん、あまり他校としたくないと思った私
様々な課題を投げてレールの上を走らせようとした

誰が連絡する?
手紙書いておくったらいい!

誰がもっていく? 
私歩いてとなりの校区まで1人で行ったことあるから行ってくる!(ん?ん?それはそれで学校としては問題。笑)

そりゃ校区外だけぇ、先生がOK出せんわ…
じゃ、お母さんに連れて行ってもらう!

うん、わかった…じゃ、もう手紙書いて送ろうか…

結局こちらが負けました笑
やりたい!があれば、もう何らかの方法でそれを乗り越えようとする。

それは、私が1年間伝えたかったことだから
すんごく嬉しいことだった
(他校との連絡は嫌だったけど…笑)

さぁ、私、今見えなくなっている
何がやりたい。
お金に振り回されたらいかん。
お金はパートナーだ。
お金のために生きているわけではない。
また、ねばならないがつきまとう。

小さなしあわせも大事だけど
本当のしあわせに目を向けよう

その不安は本物か
過去を手放せ

私が生けるは未来のみ

未来は未だ来ぬ道
何にでもなる

焦らんでいい
まずは休め

入る余地のない場所には
何もはいらない

ゆとりを作る
ゆとりを作る

ゆるりとやる

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